19歳でエジプトに渡った河江さん。現在はエジプト考古学者として活躍する(写真: 河江さん提供)

浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか?また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。

今回は、大学受験に失敗して単身エジプトへ渡り、現地の旅行会社でガイド生活をしながら再び大学受験し、カイロ・アメリカン大学へ合格。現在、エジプト考古学者として活躍する河江肖剰(ゆきのり)さんにお話を伺いました。

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大学受験に失敗、19歳でエジプトへ


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大学受験で失敗した経験は、多くの人にとって人生に後を引く挫折になると思います。

今回、インタビューをさせていただいた河江肖剰さんも、受験した大学に合格できず、自分の将来について悩む日々を送っていました。

しかし、河江さんは予備校に通う決断をせず、アルバイトでお金を稼いで単身エジプトに渡り、現地での受験勉強を経て26歳で大学に進学します。

現在、テレビやYouTubeなど各種メディアで活躍している河江さん。どうして19歳でエジプトに渡る決断をしたのか? 受験で挫折しエジプトに渡った経験が現在の活動にどう生きているのか? エジプト考古学者の知られざる半生に迫っていきます。

河江さんは1972年に、ガソリンスタンドを経営している父親と、専業主婦の母親のもと、兵庫県の宝塚市に生まれ育ちました。少年時代は外に出て遊ぶことが多い活発な子どもだったそうです。

勉強面では、「中の下から、中の中くらいの成績でした」と語る河江さんは、スポーツに打ち込む学校生活を送っていました。

「水泳部やサッカー部に入っていました。高校に入ってからはまった武道や格闘技は、今でもライフワークとして続けています」

小学校・中学校と地元の公立校に通っていた河江さんは、高校も公立の宝塚北高等学校に進学します。

「周囲が普通に進学する学校だったので、その流れで自分も大学に行くのかなと思っていました。だから、自分も何を勉強したいかを漠然と考えたときに、歴史に興味があったので古代史、西洋古代史などを学べる大学に行きたいと思ったんです」

そう考えて塾に通いつつ受験勉強をしていたものの、古武道と空手の練習に熱中しすぎたため勉強時間がなかなか確保できず、思うように成績を伸ばせませんでした。

結局、現役時は立命館大学と大手前大学を受験して落ちてしまいました。受験で失敗した河江さんは、浪人を決意します。その理由について「自分の中で、大学に行かずに働くという選択が具体的ではなかった」と河江さんは語ります。

「働いている自分の具体的な姿が思い浮かばなかったんです。仕事をする方法すらわかっていなかったので、働くよりは予備校に通うほうがいいかな、くらいに考えていました」

人生の方向を決めた、道場の先生の一言

また大学受験に落ちてしまった理由を、河江さんは「目的意識がなかったから」と振り返ります。

「勉強していませんでしたし、計画も何もありませんでした。それではまぁ、さすがに落ちますね」

浪人を決意した河江さん。しかし予備校通いをするか迷っていたようです。そんな河江さんの人生の方向を決定づけてくれたのは、当時通っていた古武道の道場の先生でした。


「『毎日道場に来てるやつが何で大学に行くんだ?』って言ってくださったんです。そこで『古代エジプトに興味があるのでそういう勉強をしたい』と先生に話したところ、『実際に行ってみたらいいんじゃないか』と背中を押してくださいました。それで私は、アルバイトでお金を貯めてエジプトまで行く決断をしたのです。予備校に通おうか迷っていたのですが、いま自分が興味がある勉強をすぐにしたいと思えたので、通うのをやめる決断ができました

こうして両親の理解も得た河江さんは、花屋のアルバイトでお金を貯めつつ、月1〜2回大阪の吹田まで通ってアラビア語を勉強する日々を送りました。

「まったく未知の世界を知ることができるという興味もあったのですが、そのまま日本で浪人をするより、海外に行くことがかっこいいと思っていたんです。

(自分自身の)プライドもありましたね。アルバイトでお金を貯めている時期、知らないおっちゃんに話しかけられて、海外に行こうとしてお金を貯めていることを伝えたら、『そういうの流行ってるよね』と見下されたような反応をされてムッとしたんです。そう言われたくなかったんで、何としても頑張ろうと思いました」

こうして翌年の2月、19歳の河江さんはついに貯めたお金を手に単身エジプトに渡ります。この時点では、大学に入ることはいったん白紙になっていました。

遺跡のガイドの仕事を始める

エジプトに着いて間もないころの河江さんは、博物館や遺跡に行く日々を過ごしていました。しばらくして、生計を立てるために遺跡のガイドの仕事をしようと考えます。

「仕事を探すため、日本と関わりのある方を探しました。飲食店で会った日本食の店のオーナーの方にご飯を食べさせてもらったり、そこで駐在の方にアラビア語を使って家を探す方法を教えてもらったりしました。さまざまな方にお世話になり、紹介をしていただく中で『バヒ・トラベルエージェンシー』を紹介してもらい、そこで仕事をさせてもらえることになりました」

何のツテもなく海を渡った青年が、現地の日本人の方々に世話していただけた幸運を、いま河江さんは感謝の気持ちを持ってしみじみと語ります。

河江さんはこうして、19歳から20代前半にかけて、仕事をしながらアフリカを回っていました。

「5日間、または10日間のツアーに参加してガイドの仕事をしていました。エジプトのカイロから南のほうを回ってまたカイロに帰ってくるといったツアーが多くて、それが月に2〜3本ほどあったんです。それを続けているうちに、貯金が貯まっていきました」

日本人がもっとも利用する旅行社であった『バヒ・トラベルエージェンシー』で精力的に働いていた河江さん。その会社にいるときにとても親身になって世話をして下さったのが、日本人ゼネラルマネジャーだった中野正道さんと、妻の眞由美さんでした。

大学に行くアドバイスをもらう

中野さんご夫妻は、最初こそ19歳の青年にガイドの仕事が務まるか不安に思っていたようですが、河江さんが仕事の休みを使って遺跡を回りながら熱心に勉強をしている様子を見て、大学で学ぶことを提案しました。

「24〜25歳のとき、『まだ若いから、大学でより深い知識を得てエジプトに貢献してほしい』という理由で、国内で唯一エジプト学が学べるカイロ・アメリカン大学に行ったらどうだという話をいただきました。心のどこかでずっと大学に行って勉強をしたいという思いはあったのですが、しばらくは『自分は本当に勉強に向いているのか』と悩んだまま行動に移せず、なかなか気持ちが入らなかったですね」

日本に戻って武道をやる選択肢も考えていたそうですが、勉強に対する心残りがあったこともあり、受験をすることを決意したそうです。

こうして河江さんは、20代半ばに突入してから、真剣に英語の勉強に取り組むことになります。

「私が目指したカイロ・アメリカン大学はTOEFLで550点が必要でした。ガイドの仕事で生計を立てながら、空いた時間に勉強をしていたのですが、最初に受けた25歳のときはまったく点数が足りませんでした。

それで26歳の年はより熱を入れて勉強して、530〜540点くらいの少し足りないくらいの点数を取れました。本来なら不合格なのですが、大学に指定された語学学校に通えば仮入学できるという『条件付き入学』のシステムがあって、なんとかそれで大学に入ることができました」

9月に大学に仮入学し、12月まで語学学校の集中講座を受講して修了した河江さんは、無事、カイロ・アメリカン大学に入学することができました。

こうして、26歳で大学に入った河江さん。仕事をしながらの受験勉強はとても大変だったと思うかもしれませんが、河江さん曰く「がんばった意識はない」そうです。

「私は社会人になって、働かざるをえない状況にありました。だから『受験勉強をがんばった』という感じではありません。遺跡を見たり触れたりといった好きなことをしながら、もっとこの分野のことをちゃんと知りたいという思いを育てていたんです。

どっぷりエジプトの遺跡の中に浸かって、自分の体験がすごく増えていったので、勉強をしたいという思いにつながったということなんですね。例えば、宇宙に興味がある人が宇宙のことをもっと知りたいから、NASAのアルバイトでずっと働いてたという感じです」

大学生活を支えてもらった

その思いを抱えて進学した4年間は専攻したエジプト学だけでなく、考古学などかつて学びたかった学問も熱心に学びました。そんな河江さんに再び受験してよかった理由を聞くと「勉強に対するコンプレックスが解消された」との答えが返ってきました。

「知りたいという欲求がありながらも、それが満たされていないという思いが強かったので、大学で勉強できて楽しかったです。大学に行く話をいただいてから、その選択について賛成した人が周囲にほとんどいなかったので悩んだ時期もありましたが、私の気持ちが入るまで辛抱強く待ってくださった中野夫妻には大変感謝しています

年間1万ドルほどする大学生活の学費を中野夫妻に奨学金として出してもらったこともあって、日々感謝の気持ちを抱えながら勉強に励んだそうです。

大勢の人にお世話になっていることもエネルギーとなり、勉強に励んでいた河江さんの知的好奇心は大学内だけにはとどまりませんでした。

大学在学の4年間で、エジプトで活動するさまざまな国の調査隊を訪問し、助手としてチームに加わって武者修行をしました。飽くなき探究心をじっくり養い、2003年に卒業する際には、成績優秀者に送られる複数の賞を受賞するまでになりました。

大学を出てからの河江さんは海外の国際調査チームに所属しながら、日本の研究機関とも組んで、物体の形状をデータとして取得する三次元計測を使ったさまざまな調査を行いました。

2009年には、日本に帰国して名古屋大学大学院の博士課程に入学。ピラミッドの構造や建築について三次元計測を用いた博士論文を書き、歴史学の博士号を取得しました。


現在の河江さん(写真:河江さん提供)

2018年には名古屋大学の高等研究院准教授にも就任し、調査を続けながらTBS『世界ふしぎ発見!』や日本テレビ『世界一受けたい授業』などの各種メディアにも出演。2021年にはYouTubeチャンネル「河江肖剰の古代エジプト」も開設し、現在もエジプト文明についての知見を精力的に広めています。

ガイドの仕事がいまに生きている

過去から現在までの経験はすべてつながっている。最後に、河江さんはその実感をしみじみとこう語りました。

「自分が勉強することや勉強に向いているのかを悩んでいた時期に、遺跡を回っていたことや、人に説明していた経験が、いまとても役に立っています。

大学の授業で『カルナック神殿の第三塔門』と出てきたら、実際に遺跡に行った経験のおかげで現地の情景が浮かんでくるようになり、とても学びが深まりました。

いまでも自分がYouTubeやメディアに出演させていただくとき、ガイドの仕事で身につけた人に物事を伝える感覚がとても生きていると思います。あのときガイドの仕事をやっていたことは、今の私にとって何一つ無駄になっていないと思います

かつて目的意識がないまま大学受験に臨んだ河江さん。さまざまな葛藤を経た現在の活躍には、今までの学びがたしかに生きているのだと思いました。

(濱井 正吾 : 教育系ライター)