04年日本ダービーを制したキングカメハメハ(ユーザー提供:teioさん)

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 きょう9日はキングカメハメハが死んで4回目の命日となる。04年に日本ダービーとNHKマイルカップを制し、種牡馬としても10年と11年にリーディングサイアーを獲得。今後の競馬界にも大きな影響を与え続ける名馬の足跡を振り返る。

 キングカメハメハは01年3月20日に北海道安平町のノーザンファームで生まれた。父キングマンボ、母マンファス、母の父ラストタイクーンの持込馬。01年のセレクトセール当歳で金子真人氏が7800万円で落札し、栗東の松田国英厩舎に預けられた。デビュー戦は2歳11月の京都芝1800m。ここを安藤勝己騎手とのコンビで快勝すると、続くエリカ賞は武豊騎手とコンビを組んで連勝。一気にクラシック候補へと躍り出た。

 年が明けて、京成杯で重賞に初挑戦。バルジュー騎手とコンビを組み、1番人気に支持されたものの、伸びを欠いて3着。春に向けて暗雲が立ち込めたが、結果的にこれが最初で最後の敗戦となる。続くすみれSを快勝して賞金加算に成功。再度の重賞チャレンジとなった毎日杯では福永祐一騎手と初タッグを結成し、1番人気こそシェルゲームに譲ったが、好位から難なく抜け出して重賞初制覇。春の大舞台へ大きく弾みをつけた。

 この後は皐月賞を見送り、NHKマイルCへ。ここが初のマイル戦だったが、中団から豪快に伸びて、2着のコスモサンビームに5馬身差の圧勝。GI初制覇を果たすとともに、日本ダービーの主役に浮上した。日本ダービーは単勝2.6倍の1番人気。前半57秒6のハイペースの中、安藤勝己騎手とキングカメハメハは中団から早めの進出。直線に向いて早々と先頭に立つと、食い下がるハイアーゲームを振り切り、大外から伸びたハーツクライの猛追も凌いで、悠々と先頭でゴール。

 90年にアイネスフウジンがマークしたレースレコードを2秒も更新する2分23秒3の好時計で、世代の頂点に立った。また、同じ松田国英厩舎の先輩2頭、クロフネとタニノギムレットが成し遂げられなかったNHKマイルCとダービーの「変則2冠達成」という意味でも、意義のある勝利だった。

 秋は始動戦の神戸新聞杯を快勝したものの、次走に予定していた天皇賞(秋)を前にして右前浅屈腱炎を発症。無念の引退となった。

 種牡馬としては、国内調教馬で当時の史上最高額となる総額21億円のシンジケートが組まれ、05年から北海道安平町の社台スタリオンステーションで繋養された。産駒の活躍は目覚ましく、JRAではGIの25勝を含めて重賞138勝。ドゥラメンテ、レイデオロ、アパパネなどがクラシックを勝てば、ロードカナロアは香港スプリントを連覇、ホッコータルマエがダート界で長期政権を築くなど、馬場や距離を問わずに超一流馬を輩出している。

 10年と11年にリーディングサイアーを獲得。その後も12年から18年までディープインパクトの2位の座を守り、名種牡馬の地位を確固たるものとした。また、母の父としてもデアリングタクトやソダシ、ウシュバテソーロなどを輩出。ブルードメアサイアーランキングでは20~22年に3連覇するなど、18年から5年連続で2位以内を確保している。

 もちろん、今後もキングカメハメハ系は発展していくはずだ。後継種牡馬ではロードカナロア、ドゥラメンテ、ルーラーシップなどが既に大成功。また、孫の代でもサートゥルナーリア、ダノンスマッシュ、キセキなどが既にスタッドインして、人気を集めている。国内はもちろん、海外にもキンカメの血が広がっていくことを期待したい。