後鳥羽上皇の懐刀?星智也さんが演じる京武者・藤原秀康の生涯をたどる【鎌倉殿の13人】

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令和4年(2022年)11月27日(日)、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」トークライブが開催されるとのこと。

会場は古く奈良時代からやんごとなき方々(主に政治犯)の流刑地として知られる隠岐の島。やがて後鳥羽上皇(演:尾上松也)もここへ流されやって来ます。

今回の出演者は三浦胤義(みうら たねよし)を演じる岸田タツヤさんと、藤原秀康(ふじわらの ひでやす)を演じる星智也さん。承久の乱(承久3・1221年)において後鳥羽上皇の側近として活躍した二人です。

三浦胤義を朝廷方へ引き込む秀康。『承久記絵巻』より

またリモート(遠隔)で三浦義村(みうら よしむら。平六)役の山本耕史さんもゲスト出演、当日の盛り上がりが期待されます。

※詳しくはこちら。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」トークライブ in 隠岐 観覧募集!−NHK

さて、この藤原秀康とは一体何者で、どんな活躍をしたのでしょうか。今回はその生涯をたどっていきましょう。

三浦胤義を仲間に引き込む

藤原秀康は生年不詳、『尊卑分脈』によると父は藤原秀宗(ひでむね)、母は源光基女(みなもとの みつもとのむすめ)とのこと。

弟に歌人として活躍する藤原秀能(ひでよし)、承久の乱で共に戦う藤原秀澄(ひでずみ)がおり、秀康は北面の武士として後鳥羽上皇に仕えました。

やがて朝廷と鎌倉幕府の対立が深まると、秀康は当時京都大番役を務めていた三浦胤義を説得して味方に引き込みます。

胤義の妻は源頼家(演:金子大地)の未亡人で、前の夫を謀殺した北条氏に怨みを持っているとのこと。

「ならば、共に力を合わせて執権を討ちましょうぞ!」

ついに戦乱の幕が開けた。『承久記絵巻』より

さっそく意気投合した秀康と胤義は、後鳥羽上皇の意に背いた京都守護の伊賀光季(いが みつすえ。北条義時の義兄弟)を攻め滅ぼしたのでした。

「朝敵となった以上、北条に味方する者など千人もおりますまい。平六(三浦義村)殿も日本国惣追捕使=鎌倉殿にしてやると約束したから、すぐにも相州(義時)の首級を持って馳せ参じるだろう」

と、甘く見ていたのですが、意外にも坂東武者たちは結束。尼御台・政子(演:小池栄子)の演説が彼らの心を打ったのでしょうか。

上洛する泰時たちを迎え撃つ

……惜名之族。早討取秀康。胤義等。可全三代將軍遺跡……

※『吾妻鏡』承久3年(1221年)5月19日条

【読み下し】名を惜しむの族(ともがら)は、早く秀康と胤義らを討ち取り、三代将軍の遺跡(ゆいせき)をまっとうすべし。

【意訳】坂東武者の名誉を守りたいと思うなら、一刻も早く藤原秀康・三浦胤義を討ち取り、源氏三代(源頼朝・源頼家・源実朝)の作り上げた鎌倉を守るのです!

御家人たちを叱咤する政子(イメージ)

もう公家どもの犬に成り下がるのはまっぴらだ!そんな思いが坂東武者たちに刺さり、北条泰時(演:坂口健太郎)らが上洛してきました。

これを迎え撃つべく秀康らは墨俣(現:岐阜県大垣市)に布陣しますが、兵力集中・先制攻撃を主張した山田重忠(やまだ しげただ)らの意見を退けます。

少ない兵力を分散させる戦術を採った結果、各方面で個々に撃破されてしまいました。

果たして決戦に敗れた胤義は京都で自害。秀康・秀澄兄弟は再起を期して脱出したもののやがて捕らわれ、10月14日に処刑されてしまったということです。

終わりに

遠く隠岐の島で果てられた後鳥羽上皇。前田晁『少年国史物語 第3巻』より

こうして滅び去った藤原秀康。弟の秀能は赦されて出家し、後鳥羽上皇を慕って流された隠岐島へ渡り、その最期を見届けます。

そんな因縁の地で行われる三浦胤義&藤原秀康(各役)のトークショー。そして弟の誘いに乗らなかった義村と3人で、どんな話が飛び出すのか楽しみですね!

※参考文献:

坂井孝一『承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱』中公新書、2018年12月関幸彦『承久の乱と後鳥羽院』吉川弘文館、2012年9月