※この記事は2012年03月17日にBLOGOSで公開されたものです

赤木智弘の眼光紙背：第215回

　大阪府に住んでいる61歳の男性が、若いころの恋人であった京都府の61歳の女性に、排泄物の入った宅配便を2度に渡って送りつけていたことが報じられた。(*1)

　今週は３月11日があったということで、世間は震災の振り返りに忙しかったようだ。しかし私はこの一年、震災のことを年中考えていたようなもので、むしろ３月11日くらい震災のことを忘れさせてくれと思っていた。

　そんな精神状態でこのニュースを見つけた時の気持ちはとても複雑なものだ。半ば半笑いで苦笑し、事件そのものをバカにしつつも、61歳にもなって昔の恋人に排泄物を送りつける人間の、なんというかその人生の悲哀みたいなものをどうやって自分の中に落としこんでいくべきなのかを考えざるを得なかった。

　記事の中にある捜査関係者の「（被害者の）女性と交際していた時期が一番楽しい時期だったのかもしれない」という言葉には、とても共感を持てる。20年前にそうした繋がりをわずかでも取り戻した時の喜びと、６年前にそれを失った時の悲しみ。そしてストーカー行為からやがて排泄物を送りつけるに至る混乱。

　ストーカー行為も、つきまといや自宅への侵入といった積極的なものに比べれば、2ヶ月に１回ほどの無言電話や、教材やカタログの送りつけなど、逮捕の原因となった排泄物の送りつけ以外は、非常に慎ましいものだ。

　住所を知っていて、大阪と京都という、それほど遠く離れた場所ではないのに、女性の家の周囲に現れなかったというのは、女性の側が気づかなかったのか、もしくは彼女に会って齢を重ねた姿を見れば、流れた年月を否応無しに自覚させられ、思い出が揺り動かされてしまうことを自覚していたが故なのか。

　そうした彼の心の動きは、詳細に記していけば小説の１冊もかけるほどに濃厚であるように思う。しかし、それほどの人生を送りながら、その背景にあったのであろう、幸せな家庭を築きながらも彼自身は薄さや乏しさを感じていたであろうことを思うに、人間はこんなに悲しくて寂しい存在になれてしまうんだなと、私にとって、とても辛く感じられた事件である。


　震災の被災者たちは悲しんでいる。自らの家を失い、仕事を失い、家族を失った。

　その一方で、大阪に住み、震災とは無縁のこの男の「悲しさ」が、こうして単なる「面白いネタ的な犯罪」として世間に報じられている。

　しかし私は、それらは悲しさの質は違っても、どちらも悲しんでいたり、辛く感じていることに違いはないと考える。

　震災で被災者に注目が集まり、絆だなんだのと言って、そうした人たちの悲しみや辛さをマスメディアは一生懸命伝えている。被災者という括りの中での悲しさが、大々的に報じられるのに対して、震災に関わっていない人間の、排泄物を送りつけるしかなかったような男の、個としての悲しさや辛さは無視されて、忘れ去られていく。

　本来そうした個々の辛さを引き上げていくのが小説や映画などのメディアの役割だったように思うのだが、震災後に乱発されている「３月11日の映画」は、むしろマスメディア的な風潮に批判なく同調し、個々の辛さを忘れ去らせるように作用してしまっているように、私は思う。


　ここからはごく個人的な話なのだが、私は２月に塚本晋也監督の新作『KOTOKO』(*2)の試写を見に行った。パンフに書かれている内容を読んだり、映画の中にもそれを少し感じさせるような表現があることから、私はこの映画もそうした「３月11日の映画」の１つだと思い込んでいた。

　しかし、この排泄物を昔の彼女に送りつけた男の話を見て、この映画はあくまでも個の辛さに終始一貫して注目している映画であったのだと思い直した。

　別に映画の感想を述べたいわけではない。思うに、３月11日の辛さばかりが強調される中で、私自身そうした風潮に引きずられている部分があったのかもしれないという反省であり、それを思い起こさせてくれたのが、今回の「震災とは関係ない所で発生した、すごく悲しくて辛い事件」なのである。

　だから今回、この話を、私にとっての３月11日の振り返りとして記すことにした。

*1：品名は「チョコ」…６１歳ストーカーが４０年前の彼女に贈ったモノ http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120310/waf12031007010001-n1.htm *２：映画『KOTOKO』の公式サイト http://www.kotoko-movie.com/

プロフィール
画像を見る赤木智弘（あかぎ・ともひろ）
 1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。著書に「若者を見殺しにする国 (朝日文庫)」など。