[野々村直通]島根県・開星高校野球部監督としてチームを春2回、夏7回の甲子園へと導く。2010年センバツでの「末代までの恥」発言で物議を醸す。2011年度をもって教師を定年退職し、この春からは画家、教育評論家として活動予定。お気に入りの白のスーツの裏地には自身でシルクスクリーンを施した浮世絵の柄が……

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『やくざ監督と呼ばれて』の著者にして、“やくざスタイル”だけど美術教師、破天荒過ぎる元高校野球監督・野々村直通氏に迫るインタビュー後編です。(前編はこちらから)


【「あいつはホラ吹きじゃなかった」と言われてホッとした】
─── 今回、この本を書こうと思った経緯を教えてください。

野々村 実はずいぶん前から、自分が高校野球の監督としてやってきたことが、他の監督さんにはない、面白い経験ばかりだという自負があってですね、どこかでまとめたいという思いがあったんです。それで昨夏の甲子園が終わっていよいよ次の3月で教師も退任だとなった時に、取材に来ていた『野球小僧』の方が「本を出しませんか?」と声をかけてくれたんです。

─── 「他の監督と違う」という話ですが、それは野球観や指導法においての違いですか?

野々村 指導法もありますが、それよりも野球部そのものをゼロから作ったという点ですね。主に広島の府中東という公立高校と、島根の松江第一(現・開星)という私立で監督をやらせて頂き、両方で甲子園に出ることはできたんですが、そのどちらも、野球部がある学校に赴任してチームを強くしたのではなく、ほぼゼロから野球部を立ち上げて、甲子園出場にまで持っていったんです。これは他の監督さんではなかなか出来ないことだろうな、と。

─── ゼロから甲子園、というのは、また漫画やドラマみたいですね。

野々村 松江第一にいたっては元々女子校でしたから。その中で、どうやって生徒を集めるか。指導方法でもオリジナルのものはあるけども、組織から、野球部そのものから作ったっていうが自分の自慢でもあるので、この経験を本にすれば読んでもらえるんじゃないかと思いましたね。

─── 府中東でも松江第一でも「5年で甲子園に行きます」と宣言されていました。この「5年」には何か根拠があったんですか? それとも、目標を置くことで選手のモチベーションを引き上げたり、環境を整えようという意図でしょうか?

野々村 「5年あれば絶対に行ける」ということではなく、単純に10年は長過ぎるだろうと。でも3年だと最初に入ってきた子が卒業してのワンサイクルで、体制を作るまでで終わってしまうんです。逆に考えれば、3年で体制作りが終わってそこからもうワンサイクルと考えれば、最短でも5年かな、と。それくらいの根拠ですよ。

─── でも、結果としてどちらの学校も5年が終わり、6年目で甲子園に出場を果たしていますから、見事に有言実行ですね。

野々村 結果的にですね。でも、「あいつはホラ吹きじゃなかった」と言われてホッとしたのはありますね。


【ただ生きるな、善く生きよ!】
─── そして、甲子園の常連校となるわけですが、ズバリ「野々村野球」とは何でしょうか?

野々村 やっぱり「気持ち」でしょうね。技術や体力も勝つためにはもちろん必要ですが、やっぱり高校野球って最後は精神力、心の問題なんです。技術の足りない部分をカバー出来るのは心。体力を最後にカバー出来るのも心。バッターボックスに立ったからには命がけでバットを振る気持ちですよね。

─── 「精神野球」と聞くと野球ファンであっても非難する人もいますが、ここで言う「精神」は努力・根性ではなく、野球への取り組み方・心構え、ということでしょうか?

野々村 そうですね。歯を食いしばって耐え忍ぶ根性論じゃなくて、やるからには一生懸命、心を込めてやろう! と。それが集中力にも繋がりますから。ワシは「常在戦場」とグラウンドに書いたんですが、「グラウンドに一歩出たら命がけでやろう。ユニホーム・練習着を着ることは鎧兜を身につけることと一緒だよ」と毎日の様に選手に言い聞かせてきました。

─── 滝に打たれたり、生徒を連れて靖国神社に行ったりするのも、心を鍛えるため?

野々村 そうです。結局、無駄に生きないというね。やっぱり、大好きな野球だから部活動として取り組んでいる訳で、その大好きな野球ができる今という時代に感謝しなきゃいけない。野球をやりたくてもできなかった時代があった。でも今の時代、お前らは腹一杯ごはんが食べられて、大好きな野球で甲子園を目指せる。それを義務でやっちゃいかん。そのためには、できなかった人たち、死んで行った人たちに思いを馳せることも必要なんです。

─── そこでも「感謝」につながってくるんですね。

野々村 これは、友人であるジャーナリスト・勝谷誠彦さんのモットーでもあるんですが、「ただ生きるな、善く生きよ!」と生徒にはよく伝えましたね。ただ腹減ったら飯食って眠くなったら寝てじゃなくて、「今日一日はもう戻らないから、ただ漫然と練習をするな! 最高の練習をしてベストを尽くそう」と。そこから、勝ち負けだけじゃない「高校野球をやってよかった」というものが生まれるんですね。今、東日本の大震災があってはじめて、当たり前にあることがいかに幸せなことか、みんな気づきましたよね。普通に家に帰ってスイッチを入れたら電気がつくという幸せ。普段からそういうことを意識して、そして感謝して野球を頑張ろうよ、と。その方が野球を大事にして、心を込めてやるでしょ。もう辛い・しんどい・練習やめたいと思った時に、野球が出来ることに感謝できたらそこからさらに頑張れる。それを引き出してあげたかったんです。


【親御さんも生徒も叩かれてOKだと思っている】
─── 発言にブレがないから監督のファンが増えるんでしょうか? 先日東京で行われた講演会も大盛況でした。

野々村 ありがたいですね。そうそう、あの講演会に漫才師のアンジュ…アンジャ…、なんだっけ? 来てたでしょ。娘が彼の大ファンで、彼がワシの講演に聞きに来てくれたことにもの凄い感動してましてね。甲子園に出て良かったなぁと思いました(笑)

─── アンジャッシュですね(笑)。芸能界にもファンが多く、野球界だけでなく一般の人でも監督のファンは多いわけですが、それでも、2年前の「末代までの恥」発言で世間から大バッシングを浴びました。なぜそこまでの騒ぎになってしまったのか、ご自身の見解を教えてください。

野々村 うーーん……負けず嫌いの気持ちが出てしまったのは間違いないんですよ。でも、あそこで言葉にしちゃいけないですよね、大人として。その点は反省しています。ただ、あそこまで騒ぎになる事件かな、という思いはやっぱりありますよ。原因のひとつには自分のキャラクターですよね。もう少し素直な顔をしとったら(笑)、言葉だけで止まっていたんだと思うんです。それが「なんだあの顔は」「なんだあの服装は」「あれでも教師か!」と飛びつきやすい要素がたくさんありましたから。それがあの時は、言葉を発したことによって全部悪い方に転がってしまったんでしょうね。でも救われたのは、発言の相手である向陽高校の監督さんと部長さんが「全く気にしてない」と言っていただいたことですね。あの時、世間と一緒になって「21世紀枠をなめるな。野球バカばっかり作ってる私学の野球学校が!」と言ったっておかしくないんです。それなのに、「野々村さんは本当に野球を愛していると思います」と言っていただいた。当事者が歩み寄ってくれたというのは最高に救われましたね。

─── 監督復帰の嘆願書も、向陽高校からの署名がかなりあったとお聞きしました。当事者は案外と冷静ですよね。

野々村 あともうひとつ、高校・大学と現場で監督をしている人で「お前はそれでも監督か、教育者か」と言った人は一人もいないんですよ。ああいう流れだから皆さん黙っていたけど、会話をする機会があれば「先生、みんな一緒の気持ちですよ」と言っていただいて。同じ現場で命がけでやっている皆さんに「野々村は正直だ」と思っていただけたのは救われましたね。あとはもう、しょうがない。だって、あの時のワシをおもしろ可笑しく書いたら、売れるもの。だから、あの事件で雑誌や新聞が売れたことで自分の顔も売れた。その結果、今回の本が売れる(笑)。今は逆にそう思うようにしていますよ。失言ではあったけど犯罪じゃないしね。いつまでも頭を下げることもない。逆に「あの発言で有名になった野々村でーす」とギャグにしてやろうと思ってますよ。

─── 監督の例に限らず、最近は様々な話題で「気にはなるけど、そんなに騒ぐこと?」という風に一人の人間が祭り上げられて、世の中全体の大問題のように騒がれる風潮があります。マスコミがひとつの意見に集約されていく、ということは、同じ体験をした野々村監督から見ていかがですか?

野々村 ありますねー。「なんでそこまで?」っていうのはね。小沢一郎や河本君なんかもそう思ってるんじゃないのかな。道義的に許せん、という話題であっても、そこで一人の人間を吊るし上げるのはどうなのか、という問題はありますね。

─── それはマスコミの問題なのか、受け手の問題なのでしょうか。

野々村 読者も期待してますよね、餌食になる存在を。それはネットの書き込みなんかで匿名で何でもできる、鬱憤ばらしをするという世の中の影響ですよね。読者にそういう思いがあるから、マスコミも書けば売れるとニュースにする。読者が白けたら、マスコミもあそこまでは追わんですよね。

─── 教育者・野々村として、こうあるべし! というメッセージはありますか?

野々村 結局ね、色んな価値観があってもいいんですが、少なくても「意見は名を名乗って言え!」と思いますよね。自分の場合、まずは共同通信が発した、これはいい。その記事を元に読売も朝日もスポーツ紙も書いた、これもいいですよ。売れると思ったんだろうし署名記事だから。そこから一緒になって学校に電話してくる人、FAXする人、ブログに書き込む人、見事に匿名なんですよ。

─── 反論があるなら直接言ってこいと。

野々村 匿名でタレ込むということが当たり前の世の中になってしまった。高野連に来るタレコミも全部匿名ですから。私が生徒を叩いていることが許せんのだったら、学校に来て、直接言えばいいじゃないですか! だいたい親御さんにしても生徒にしても叩かれてOKだと思っているのに、何も知らない第三者の匿名が騒ぎ立てるんですよ。それが嫌ですね。見えない敵は言い返せないですからね。マスコミは一応名乗ってるから、気に食わんかったら呼びつければいい(笑)。ワシの時はブログやインターネットはスゴかったらしいですからね。インターネット使わないからいいんだけど、そういう世の中が嫌だね。

─── すみません、うち、そのインターネットメディアなんですけど、大丈夫でしたか……?

野々村 あ、そうなんだっけ?(笑)

─── では最後に、今後の予定を教えてください。

野々村 毎週水曜日にサンケイスポーツで「末代までの教育論」というコラムを書くことになりました。全10回の連載です。あとは先ほども話題に出た勝谷さんとの対談本『にっぽん玉砕道』が22日発売です。この2つですかね。あとは地元で教育論について講演してくれというのがありますので、その辺をボチボチとですかね。『にっぽん玉砕道』でもまた過激なことばっかり書いてるんですけど、まあ、もうこっち方面で勝負するしかないかなぁと思っているので。フリージャーナリストですから(笑)
(オグマナオト)