『それをお金で買いますか―市場主義の限界』(マイケル・サンデル 著、鬼澤忍 訳/早川書房)
第1章「行列に割り込む」、第2章「インセンティブ」、第3章「いかにして市場は道徳を締め出すか」、第4章「生と死を扱う市場」、第5章「命名権」の5章に渡って、市場的価値と道徳的価値について問いかける。

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「巨人開幕戦助っ人、サンデル白熱始球式」(報知新聞2011年3月5日)
最初にこの見出しを見たときには、報知が何を言いたいのかさっぱりわからなかった。でも、こんな変な一面を使ってくれたおかげで私はサンデル教授を知ることができたのだけれど。結局この「サンデル始球式」企画は東日本大震災による影響で実現しなかったのだが、私の中でサンデル教授がいかに野球を愛する知識人なのか、ということを認識することができた。
もっとも、この認識はあまり正しくはない。マイケル・サンデル氏はアメリカの政治哲学者。『これからの「正義」の話をしよう』は日本でもベストセラーになっているので、むしろこちらでご存知の方が多いはずだ。究極の選択を目の前に提示し、正しい選択とは何か、どうしてその選択をするのかについてとことんまで考えさせ、議論を深めていく。サンデル教授が有名になったキッカケが、ハーバード大学での哲学講義があまりに面白いということで聴講生が詰めかけたから、というのも有名なエピソードだ。講義の様子をまとめた番組がNHKでも「ハーバード白熱教室」というタイトルで放映され、こちらで知った人も多いことと思う。その後何度となく来日を果たし、東大をはじめ各大学でハーバードと同じスタイルで生徒との討論を挑んで来たのがサンデル教授だ。ずっと講義を聴いていると「なるほど、君の名前は?」という教授の口癖をなぜか真似したくなってくる。

そんなサンデル教授が、再び日本にやってきた。今度のテーマはズバリ「お金」だ。『それをお金で買いますか―市場主義の限界』と題した新著の発売と合わせて来日し、東京国際フォーラムにおいて5000人の聴講生を前にまたあのサンデル節を発揮してくれた。講義の模様は明日16日(土)、23日(土)のそれぞれ14時〜15時でNHK・EテレでON AIRされる。
だが、哲学やお金の話、というだけで敬遠する人って結構多いんじゃないだろうか。実際、私もそうだった。また、これまでのサンデル教授の著作を読んで「難しすぎて……」「ちょっと敷居が高い」という感想を抱いた方もいるだろう。そんな方でも、今回の『それをお金で買いますか』の中の第5章「命名権」についてはすんなり頭に入ってくると思うので、入門編としてオススメしたい。というのも、この章ではサンデル教授の一番の趣味であり、我々にとっても身近で連想しやすい野球やスポーツを主な題材に議論を進めているからだ。

「命名権」(なぜか日本では「ネーミングライツ」の名称の方が市民権を得ているが)と言えば、日本でも2003年に東京スタジアムが「味の素スタジアム」になり、その後各スタジアムや商業施設にも伝搬したことで、もはや当たり前の存在になってしまった。だが、そこはスポーツ大国にしてマーケティング至上主義の国・アメリカ、日本の先(?)を行く命名権が進行していることが本書を読むとわかってくる。

<MLBダイヤモンドバックスの本拠地がある銀行によって「バンクワン・ボールパーク」と命名され、その命名権に付随する契約により、アナウンサーはホームランが飛び出た際に「バンクワン・ブラスト」(※ブラストはホームランの意)と実況しなければならない>(色々な実況があるが、通常は「It's gone」や「See ya!」)。
<生命保険会社ニューヨーク・ライフ・インシュアランス・カンパニーは、ランナーがホームに生還したと審判が判定するたびに会社のロゴがテレビ画面に映り、実況アナウンサーが「セーフです。安全と安心、ニューヨーク・ライフ」と実況しなければならない契約を全米10球団と結んでいる>

「スアジアム名くらいなら別にいいか、アメリカでは普通何でしょ」。味スタの名称が採用された際、多くの日本人、スポーツファンの認識はこれくらいが普通で、その是非についはあまり議論されなかったように思う。だが、その命名権の守備範囲が少しズレるだけで、なんだかスポーツが冒涜されているような印象を受けないだろうか。もちろん一方では、それで収入が増えてチームが強くなるならばいい、と考える人もいるだろう。いずれにせよ、命名権がそうだったように、アメリカのスポーツ界で行われていることは、近未来の日本スポーツ界の予想図でもあり、決して他人事としてスルーすべきではない、今から議論しておくべきにテーマなのだ。
そしてこの命名権の背景にある「市場主義」「商業主義」は当然スポーツの世界に限ったことではない。導入当初、賛否両論だったバスのラッピング広告はもはやあまりに見慣れた存在になってしまい、たまにラッピングのないバスを見ると逆に違和感を覚えるほどだ。さらに海外では、バスはバスでもスクールバスにまでラッピング広告を施し、あげくパトカーにもラッピングが検討されたり、消火栓にケンタッキー・フライドチキンのロゴがプリントされるまでに至るという。だが、それら拒む理由はどこにあるのだろうか? サンデル教授が問いかけるのもまさにここだ。一見拒む理由がなさそうな事象において、本当にそうなのか、道徳的価値と市民的善はあるのかを問いかけ続けるのだ。

サンデル教授は、それらの問題に対しての議論は求めるが決して「答え」は出さない。不都合やマイナス面、道徳的不利益を冷静に提示・分析しつつも、もう一方にある利点・利便性の必要性にも触れ、また読む者を迷わせる。

<市場や商業は触れた善の性質を変えてしまうことをひとたび理解すれば、われわれは、市場がふさわしい場所はどこで、ふさわしくない場所はどこかを問わざるをえない。そして、この問いに答えるには、善の意味と目的について、それらを支配するべき価値観についての熟議は欠かせない>

求めることは「自ら考えることだ」。そして「考えることから民主主義が生まれる」と訴える。それはハーバードでの講義から常に変わらぬサンデル・メソッドでもある。経済の話をするときに我々が必要とする力は「計算」だったり「統計」の考えと捉えがちだ。だが、サンデル教授によれば、そこに本来必要なものは「道徳」であると気づかされる。本書の中では他にも、「ダフ屋行為はなぜ悪いのか」「成績が良い子どもにお金を払うべきか否か」「絶滅の危機に瀕したクロサイを撃つ権利が売買されているという事実」など様々なお金と道徳的価値について問題提起されている。「お金で買えないものがある」というマスターカード理論に対しての反証と実情の提示の数々は、現在生きているこの世界が何を基準に成り立っているのかを考える契機にもなるだろう。

本書を買うべきかどうか迷う場合は、まずは明日TV放映されるサンデル教授の特別講演を見て、サンデル・メソッドの一端に触れてみるのがオススメ。教授と観客(受講生)、そして見ず知らずの観客同士の熱い議論が交わされているのだが、そこで扱われるテーマも「レディ・ガガのチケットと医療の診察券、ダフ屋好意が許されるのは?」といったものから「がれき処理」「原発再稼働」「電気料金値上げ」など、まさに今の日本ならではのテーマばかりであり、一度は考えたことがある話題だ。誰もが身近に感じられるテーマだからこそ、何が市場の適切な役割なのかを議論・討論しなければならないと訴えるサンデル教授の言葉に耳を傾けてみるべきだろう。

そうそう、命名権でひとつだけどうしても気になることがあるので私もサンデル教授のように問題提起してみたい。
大阪ドームは現在「京セラドーム大阪」という名前になっているのだけれど、京セラって元々は「京都セラミック」でしょ。京都なの?大阪なの? いや、大阪だけど。ここ、もっと多いに議論すべきだったのではないだろうか……って別にどっちでもいいか。
(オグマナオト)