長岡花火の放送台本を紹介する小林さん(23日、長岡市で)

写真拡大

 「日本三大花火」の一つ、長岡まつり大花火大会(長岡花火)が8月2、3日に開かれる。

 「打ち上げ、開始でございます」の名物アナウンスで知られる小林真弓さん(58)は今年、場内アナウンスを担当して25年を迎えた。中越地震やコロナ禍などの困難を乗り越え、平和への願いを込めた花火を間近で見つめ続けてきた小林さんに、長岡花火への思いを聞いた。(本田紗ら)

 2年前に公開されたドキュメンタリー映画「長岡大花火 打ち上げ、開始でございます」のタイトルにもなった小林さんのフレーズ。実は、着任した頃は「開始です」と「開始でございます」が入り交じっていたという。二つの違いについて市民から疑問の声が寄せられ、関係者で話し合った結果、昔ながらの雰囲気が漂う「ございます」に統一された。すると、子どもたちがまねをするようになり、いつしかおなじみのフレーズになっていった。

 新潟県の佐渡島出身の小林さんは、小学生の時に長岡へ移住。夏の夜空を彩る花火大会は「地元のお祭り」だった。その後、東京を中心にモデルやナレーターとして活躍していたが、30歳の頃に長岡へ拠点を移した。

 場内アナウンスの依頼が舞い込んできたのは2001年だった。前任者の出産に伴い、「声が似ていたから」という理由で白羽の矢が立った。だが、最初の数年は極度の緊張で、「毎年、会場の設営が進むにつれて逃げたくなっていた」と笑う。

 四半世紀を振り返ると、長岡花火は幾度も困難に直面し、その都度それを乗り越えてきた。04年には最大震度7を観測した中越地震が発生。翌年に復興を祈願した花火「フェニックス」が誕生した。「視界に収まらないほどの壮大な花火。度肝を抜かれたし、涙が出た」と当時の感動を振り返る。

 東日本大震災が発生した11年には、直前の豪雨で観覧場所が浸水した。一時は開催が危ぶまれたが、関係者の懸命な復旧作業で予定通りの打ち上げにこぎ着けた。「長岡魂というか、絶対に日付を変えずに花火を打ち上げるんだという気迫を感じた」という。

 コロナ禍では2年連続の中止を余儀なくされた。復活後も、マスク着用や掛け声ではなく拍手でのカウントダウンで開催した年もあった。23年に通常開催に戻った時は「やっと日常が戻ってきたと感じて、本当にうれしかった」と顔をほころばせる。

 「25年前には、こんなに続くと思っていなかった」。台本を正確に読むことに加え、緊急事態に対し臨機応変に対応することも求められる。プレッシャーも大きいが「声を掛けてもらえる限り、携わり続けたい」と力を込める。

 長岡花火の当日は、大手大橋と長生橋の間にある警備本部で打ち上げの時を待つ。「皆さんの楽しい記憶の片隅に、私の声が残ってくれたらうれしい」。今年も小林さんのアナウンスを合図に、大輪の花が長岡の夜空に輝くだろう。