「私の『推し』間違っていませんよね」「このペン正解ですよね」 名門校教師が見た、令和の子供たちの“正解病”
都内のある有名私立校では、ある時期から生徒たちがいちいち口癖のようにこう聞くようになったという。
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「これで正解ですか」
「合ってますか」
「間違っていないですよね」
定期テストや進路のことだけではない。文化祭の出し物を決めた時、修学旅行のコースを決めた時、はたまた異性にした告白の内容まで、教員に話して「自分は正解か」と尋ねるのだそうだ。
テストの問題と違って、文化祭や修学旅行の内容はもちろん、告白の仕方にも正解があるわけがない。
だが、教員がそれを説明して「自分で考えてごらん」「君がいいと思えばいいんじゃないか」と返すと、7〜8割の生徒は「やっぱり間違いなんですね」「あー、もう終わった」と肩を落として、意見を撤回するらしい。

教員は話す。
「生徒があらゆることに正解を求めるのは、大きく二つ原因があると思います。一つが幼い頃からずっと受験勉強漬けにさせられて正解を求められてきたこと。もう一つがネットの炎上に象徴されるように『正解』でなければ叩かれるという社会的風潮です。この“正解病”にかかっている生徒の特徴は、不安症で、傷つくことを恐れ、自己防御に徹することです」
現在、「コミックバンチバンチkai」で連載中の『教育虐待』では、家庭、学校、社会のゆがみの中で変容していく子供たちの姿を描き、大きな反響を呼んできた。本稿では、その取材から、教育のゆがみが子供に与える影響について考えてみたい。
「私の『推し』間違っていませんよね」
名門校に通う子供たちの間には、以前から正解主義と呼べるような思考はあった。受験の中で徹底的に正解を出す訓練を課されてきたからだ。
正解を追求する思考は決して悪いことではない。数学、法律、医学、設計など正解が存在するジャンルは一定数あるからだ。少なくともこれらの分野で生きていこうとすれば、その思考は必須だ。
だが、最近の子供に顕著なのは明確な答えがないジャンルにおいても、必要以上に正解を欲することだという。先の教員によれば、生徒から「私、この声優の推しなんですけど、間違っていませんよね」とか、「このペンを買ったのって正解ですよね」と尋ねてくることが珍しくないらしい。
教員は次のように話す。
「こういう子たちは、自分が好きだとか、自分が何かをしたいという個の感情より、社会的に正しいかどうかを心配する気持ちの方が大きいんです。それが間違っていたら、自分はダメな人間なんだと落ち込んでしまう。ひどい時には自己否定感にまでつながる。だから、あらゆることに正解を求めようとするんです」
背景には先述のような理由があるという。
「正解」を求めがちな別の理由には…
文部科学省は「探究型の教育」「教育の多様性」を謳っている。だが、首都圏をはじめとした中学受験ブームの中で、子供たちは小学校の低学年から徹底的に正解を出す訓練をさせられていたり、学校のGIGAスクール構想で導入された電子黒板に自分の回答が他の生徒のものと共に羅列されて比較されるのが日常になったりすることで、正解を求める思考が過度に植え付けられている。
また、ネットの世界では、間違った言動をした人たちが袋叩きに遭う姿が毎日のように繰り広げられている。ネットリンチである。こういう時代に育った子供たちは、正解が得られなければ血祭りにあげられるという不安と共に生きている。
さらにここ数年は生成AIの使用が子供たちの間に広がっていることも大きいという。先の教員は言う。
「今の子たちにとって生成AIは親や教員以上に重要な相談相手です。勉強がわからなければ画像を送るだけで詳しい説明と共に答えを教えてくれるし、『正しい作文』だって完璧に書いてくれます。
また、今の子は服のコーディネイト、メイク、デートコース、そこでする会話まであらゆることを生成AIに尋ねます。今日のコーディはどうすればいい? このメイクで合ってる? と。生成AIはこれらの問いに対して即座に『正解』を教えてくれます。今の子からすれば、生成AIに従えば、間違いはないという意識なんです。
そんな中で子供たちが正解を過剰なまでに求めるようになるのは、むしろ自然のことなのかもしれません」
昔もファッションに一定の「正解」はあったが、そこには“自己流(オリジナル)”を組み込む余地もあった。
しかし、画像をアップすれば、即座に生成AIが最適な回答を用意してくれる社会の中では、それが介入する余地が狭まっているのかもしれない。
公的なところでは「自分」を隠す子供たち
子供たちが間違いを恐れていくら正解を欲したところで、「自分」が消えてなくなるわけではない。
いや、むしろ学校をはじめとした社会の中で「自分」を押し殺さなければならないぶん、その反動で別のところでそれを誇示したいという気持ちが膨らむ。
彼らが自己を表出させる空間として選ぶのがSNSだという。SNSの中であれば、匿名で「自分」を出すことができるし、そこでレスをもらうことによって自己承認欲求を満たすことができる。
そうしてみれば、公的なところでは「自分」を押し隠して正解を求める一方で、SNSでは別人のように「自分」を出そうとする今の子供たちの心理的メカニズムが理解できる。
教員は言う。
「我々教員が見ていて不安なのは、“正解病”の子供たちがSNSで間違った形で自己表現をすることです。それによってトラブルになることがものすごく多いんです。
トラブルに至るケースは二種類あって、一つはSNSの中ではっちゃけて過剰なまでに自分を出し過ぎて袋叩きにされるケース、二つ目はSNSの中でも正解を求めてそうじゃない人や意見を見つけては正論でネットリンチをしようとするケースです。
このようなSNSの使い方は、ネットの中でも反感を買い、最終的にはその子がバッシングされることになります。それがトラブルとして表に出てくるのです」
たしかにSNSの中では極端な思考を書き綴ったり、必要以上に他者に正論を押し付けたりする人がいる。そういう人たちは、一周回って他者から批判されることになることも少なくない。
教員はつづける。
「“正解病”の子たちは、自信がないので、他人から攻撃されて傷つくことを極端に恐れます。そのため、ゆがんだやり方で予防線を張ったり、自己防御したりします。
最近よく見かけるのが自分は弱者であるという主張です。人から攻撃されたら『私はメンタルを病んでいます』『私はLGBTQなのです』などという。あるいは前もってプロ欄に『ADHD』『被虐待』とか書き込んだりする。
つまり、自分は社会的弱者の立場にあるのだから、トラブルを起こすのは仕方ないとか、批判しないでくれとか、特別扱いしてくれという論調で自己正当化しようとするのです」
周りからすれば、自分は障害とか病気だと主張されれば、その人を責めることができにくくなる。良いか悪いかは別にして、それが彼らなりの自己防御や予防線なのだとしたら、一定の効果はあるのかもしれない。
「自ら切り開いていく力を」と大人たちは言うけれど
複数の教員によれば、“正解病”の子供は学力の高い学校の方が顕著だという。それだけ多くのところで正解を求められてきたということなのかもしれない。
こうした人たちは、子供時代より、成人した後の方が様々な問題行動を起こすことが少なくない。その細かな事例は、漫画『教育虐待』にも描かれているので、ぜひ参考にしていただきたい。
考えなければならないのは、教育に携わる大勢の大人たちが「これからは答えのない世界を自ら切り開いていく力が重要」と口をそろえているのに、子供たちがそれに逆行しているところだ。
ならば本当に今の教育は、子供たちにとって適したものとなっているのか。
それをもう一度考え直す時期にきているのかもしれない。
石井光太(いしい こうた)
1977年、東京生まれ。2021年『こどもホスピスの奇跡』で新潮ドキュメント賞を受賞。主な著書に『遺体 震災、津波の果てに』『「鬼畜」の家 わが子を殺す親たち』『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』『教育虐待 子供を壊す「教育熱心」な親たち』など。『ぼくたちはなぜ、学校へ行くのか。マララ・ユスフザイさんの国連演説から考える』など児童書も多い。『ルポ スマホ育児が子供を壊す』(新潮社)はロングセラーとなっている。
デイリー新潮編集部
