(左から)見上愛、上坂樹里

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実際には現代劇?

 朝ドラことNHK連続テレビ小説「風、薫る」が6月27日に第65回の放送を終え、折り返し地点を過ぎた。この作品の特色とテーマを読み解く。【高堀冬彦/放送コラムニスト、ジャーナリスト】

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「風、薫る」の舞台は明治期の看護界。しかし、そこで描かれている看護界の問題や社会の課題、男女格差は現代にも通じる。近代時代劇の姿を借りた現代劇と呼んでも差し障りないだろう。

「虎に翼」(2024年前期)と似た性格を持つ。同作も戦前・戦後の司法界を描きながら、現代にも当てはまる司法の課題や、女性と少数派の生きづらさを浮き彫りにしていた。看護と司法の教育から描き出している点も共通している。メッセージ性が強いところも同様だ。

(左から)見上愛、上坂樹里

 ダブルヒロインの看護婦・一ノ瀬りん(見上愛)と大家直美(上坂樹里)は、1888(明治21)年に2年制の梅岡看護婦養成所を卒業した(第59回、6月18日)。2人には5人の同期生がいた。同期生にもフォーカスを当て、群像劇風に仕立てている点も「虎に翼」と一致している。

 同期生で、現在はともに帝都医大病院で働く玉田多江(生田絵梨花)は、もともと医師を志していた。父親も兄も医師。自分も1884(明治17)年、女性に門戸が開かれたばかりの医術開業試験を受験した。だが不合格となり、看護婦へと方向転換した経緯がある。

 多江の受験当時、女性の合格者はたった1人しかいなかった。男性受験者とは実質的な難易度が違ったのだ。そもそも、当時の女性は医科大学への入学すらほとんど認められていなかった。

 多江は看護学校への入学後も医師の道を諦めきれず、父親に「私、医者になりたいんです」と訴える。だが「お前には無理だ」と一蹴されてしまい、医学生との見合い話を進められる(第29回、5月7日)。

 昔話では済ませられない。りんたちの時代から130年以上が過ぎた2018年8月、読売新聞朝刊に「女性受験者を一律減点 東京医大 恣意的操作」という衝撃的なスクープが載った。同大は女性の合格者数を意図的に抑制していたのだ。

 理由は多江の父の発想と根本的には変わらない。「女性は医師に向かない」と根拠なく決めつけていたからである。その後の調査によって、計10大学の医学部が女性を差別する合格判定を行っていたことが確認された。

 もしスクープがなければ、こうした女性への不当な扱いが今も続いていた可能性が高い。医療界の女性たちは現在も警戒を緩めておらず、社会全体による監視も必要だ。

 また、この作品によって、看護職が日常的に直面する「惨事ストレス」を初めて意識した人も多いようだ。患者の死に接する際に受ける強い衝撃や喪失感、罪悪感などである。その辛さは明治期も現代も変わらない。

多死社会の中で

 りんたちの看護学校の同期生の1人に、東雲ゆき(中井友望)がいた。子爵の家に生まれ、ナイチンゲールを崇拝する純粋な女性だった。ゆきは帝都医大病院での実習中、重い心臓病を患う小野田里久(宮地雅子)を担当する。里久から「ゆきさんに看てもらえて幸せ」と感謝され、看護の喜びを知った。これも現代の患者と看護師の関係と違わないはずだ(第43回、5月27日)。

 しかし、ほどなくして里久の容体が急変する。ゆきは腰を抜かし、茫然自失のまま動けなくなってしまう。すべてを察した青森出身の同期生・工藤トメ(原嶋凛)がすかさずフォローに入った(第45回、同29日)。

 やがて里久が事切れると、ゆきは激しく取り乱し、それから3日間寝込んでしまう。布団にくるまって泣き続け、食事ものどを通らなかった(第46回、6月1日)。

 ゆきは「私は人の生き死にに関われる人間ではない」と、教師のマーガレット・バーンズ(エマ・ハワード)と同期生に告げ、看護学校を去る。誰も彼女を責められず、止めることも出来ず、皆で涙を流した。死と接する悲痛は全員が分かっていたからだ(第47回、同2日)。

 ここまで丁寧に看護職の惨事ストレスを描いたドラマは、過去になかったのではないか。惨事ストレスは不眠や頭痛、食欲不振、引きこもりなどを引き起こすほか、最悪の場合は自死を招く恐れすらある。

 救急領域に勤務する看護師を対象としたある調査によると、惨事ストレスの経験者は92.0%にも上る。さらに約半数の看護師が、惨事ストレスを避けられなかった要因として「小児の心肺停止」を挙げている。

 ゆきは看護学校を去る直前、「思い知りました。この仕事は人を助けるだけでなく、見送る仕事であることが」と漏らす。視聴する側も、自分たちが看護師らに肉親を看取ってもらっているのだという事実をあらためて思い起こさせられた。

 高齢化が猛スピードで進む日本は「多死社会」を迎えており、年間約159万人が亡くなる。平成が始まった1989年は約78万人だったから、約2倍に増加した。優れた看護師の養成は急務となっている。

 それは国や大学も認識しており、看護学部・学科を持つ大学は1990年の11校から、2023年には283校へと激増した。看護職養成機関の急増ぶりは、りんたちの時代と酷似している。

 養成ばかりに目を奪われ、待遇への配慮が後回しになっている点も当時と似通っている。看護の仕事は惨事ストレスのみならず、感染リスクなども伴い、精神的重圧と身体的負担が極めて大きい。夜勤もある。それにもかかわらず、待遇は十分とは言えない。この作品は収入問題に2度も踏み込んでいる。

 1度目は看護学生の間で月給が話題になった際、りんは「アメリカでは月30円だって」とつぶやく。米国で看護婦資格を取得した大山捨松(多部未華子)から、そう聞いていたからだ(第42回、5月26日)。

 だが、帝都医大病院に看護婦として採用され、初月給を手にした瞬間にりんたちは気落ちする。各診療科の看護婦取締に任命され、看護科の教師まで押し付けられながら、手渡された月給の中身は10円だった(第62回、6月23日)。

 りんたちが生きた明治20年頃の1円は、現在の約1万2500〜2万円に相当する。月給は10円だから12万5000〜20万円。当時の大卒初任給や、大工職人、工場の熟練労働者の月給が約20円だったことを考えると、恵まれていたとはとても言い難い。

 トメは「青森じゃ女が10円ももらえる仕事はねえ」と言って自分を納得させるが、ここは東京。しかも精神的重圧と身体的負担を伴う専門職である。まるで、やりがい搾取だった。

ダブルヒロインの理由

 米国との収入格差は、現代もまったく変わっていない。日本の場合、看護師の2025年の平均年収は524万7200円(厚労省調査)。対する米国の看護師の年収は約1200万〜1800万円に達するため、日本は米国の3分の1程度という状態が続いている。これはOECD加盟国でも最低クラスだ。

 医療従事者団体や看護職団体は長年にわたって収入の改善を訴え続けているが、状況は一向に変わらない。今なお看護師たちの高い職業意識と責任感が搾取されていると言わざるを得ない。

 りんたちは大学病院看護科の教師も担当した。負担増も問題だったが、りんは「自分たちが2年かけて学んだ看護を、わずか1年で教える」というカリキュラムに危機感を抱く(第61回、6月22日)。

 この看護科のモデルとなったのは、1887(明治20)年に開設された東京帝国大学医科大学付属看護婦講習科である。やはり1年制だった。明治時代の看護教育は、修業年限が教育機関によって1年から3年以上までとバラつきがあった。短期で養成しようとしたのは、医師側(病院側)にとって都合が良かったからである。

 修業年限の違いは、知識格差や待遇格差、ひいては昇進格差を招く。これは現代の「准看護師問題」を強く連想させる。同じ医療現場で働いていても、准看護師は自分の判断で行えることが限られ、医師や看護師の指示を仰がなければならない。平均年収も約417万円と、看護師より約100万円低く抑えられている。

 准看護師制度は1951年、戦後の深刻な看護師不足を解消するため、当面の措置として生まれたはずだった。日本看護協会は一貫して准看護師養成の停止を訴え、1996年には厚生省(現・厚労省)の検討会が「制度の統合に努める」と提言した。それなのに現在も存続している。医師会などが強く反対しているからだ。こうした医師本位の看護制度のあり方も、明治期と酷似している。

 看病婦として働きながら看護科で学んでいた三浦ツヤ(東野絢香)の解雇はやりきれなかった。仕事と勉強の掛け持ちによる疲労から、患者への解熱剤の投与を失念してしまい、それを理由に仕事も学習機会も奪われてしまった。

 昔も今も、経済的余裕がなければ教育を受けにくい。ツヤがりんたちに向かって「私、諦めませんから」と言い残したのが、せめてもの救いだった(第65回、6月27日)。

 朝ドラにおけるダブルヒロインは「だんだん」(2008年度後期)に次ぎ6作目となるが、過去の作品は母娘や姉妹など、すべて家族だった。縁もゆかりもない他人同士の2人がダブル主演を務めるのは、朝ドラ史上初の試みである。

 当初はりんと直美の生活拠点が異なっていたため、ストーリーが分かりにくい面もあったが、ともに看護学校編に入り、拠点が一つになった第20回(4月24日)以降はその懸念も解消された。

 ダブルヒロインにした理由は、作中で看護科の生徒たちが放った陰口によってはっきりした。

「一ノ瀬先生みたいに何でも患者のお願いを聞いていたら、時間がかかって仕方がない」「大家先生はとにかく要領が大事。でも、ちょっと雑で、誰に対しても言い方がきつい」「足して2で割ればいいのに」(第65回、6月27日)

 制作陣はヒロインを完璧な人間にしたくなかったのだろう。そんな人間は存在しないからだ。2人はお互いの足りない部分を補い合っている。朝ドラ初の試みは成功したと言えるのではないか。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年にスポーツニッポン新聞社に入社し、放送担当記者、専門委員。2015年に毎日新聞出版社に入社し、サンデー毎日編集次長。2019年に独立。前放送批評懇談会出版編集委員。

デイリー新潮編集部