●「荒木殿には折り入ってお願いが…」
テレビ画面を注視していたかどうかが分かる視聴データを独自に取得・分析するREVISIOでは、7日に放送されたNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』(総合 毎週日曜20:00〜 ほか)の第22話「播磨大誤算」の視聴分析をまとめた。

『豊臣兄弟!』第22話より (C)NHK

○妻・だしの膝に頭を乗せる村重「もうとんだ濡れ衣じゃったわ」

最も注目されたのは20時33分で、注目度76.5%。安国寺恵瓊(立川談春)が荒木村重(トータス松本)の元を訪れるシーンだ。

村重は主君である織田信長(小栗旬)に呼び出され、完成間近の安土城へ赴いた。のん気に登城した村重を、信長は村重の家臣が毛利に内応している咎により切り捨てようと刀を手にする。おどろいた村重は必死に弁明し、一旦は疑いを晴らすことができた。

「もうとんだ濡れ衣じゃったわ」村重は有岡城へ戻ると、妻のだし(山谷花純)の膝に頭を乗せる。「ご無事で何よりでございました」「上様を裏切る気など、毛頭ないのにどうしてそれが分かってもらえんかのう」だしは夫を優しく労いながらも、村重のそんな愚痴にはこれまでの所業を思えば信じられないのも仕方ない、とちくりと言ってのける。「生き残るにはそれしかなかったんじゃ!」今や織田家の重鎮となった村重だが、美しい妻の前ではまるで子どものような風情だ。

そこへ村重の与力である高山右近(市川知宏)と中川清秀(すがおゆうじ)の来訪を家臣が告げた。夫婦は慌てて居住まいを正すと、村重は「通せ」と低い声で命じる。右近と清秀が村重の前に腰を下ろすと、「どうじゃ?毛利と通じとったもんは分かったか」と、村重は2人に問う。2人はだしが同席していることを気にしたが、村重がかまわずに話の先をうながすと「はっ。荒木殿にご判断していただきたくここに連れてまいりました」と、右近が口火を切った。

何やら厄介なことになっている。そう直感した村重が怪訝な表情を浮かべると、見慣れぬ1人の僧が現れた。「誰じゃ」「毛利家の使者、安国寺恵瓊殿でございます」清秀がそう答えると、村重はあ然とした。「安国寺恵瓊と申しまする。わが主、毛利輝元(濱正悟)の使いとして参りました。荒木殿には折り入ってお願いが…」「やめんか!」村重は勢いよく立ち上がり、恵瓊の言葉を遮った。「これは一体、どういうこっちゃ。まさか、通じとったんはお前らか」動揺する村重に右近はひとまず恵瓊の話を聞くよう勧めるが、村重は耳を貸そうとしない。

その様子を見て「どうやらご迷惑じゃったようじゃな。すぐに退散いたしまする」と、恵瓊は静かに立ち上がる。「ただ、織田信長という男は1度疑いをかけた者をやすやすと許すようなお方であろうか」恵瓊の言葉は村重の胸に深く刺さった。「誤解されねばよいがのう」その静かな声は、村重の心中を激しく揺さぶった。

『豊臣兄弟!』第22話の毎分注視データ推移

○「恵瓊の話術がマジですごいな」

このシーンは、底の知れない胡散臭さをまき散らす安国寺恵瓊に、視聴者の注目が集まったと考えられる。

命からがら安土城から戻った村重だったが、居城である有岡城ではさらに驚きの事態が待っていた。毛利に内応していたのは、与力の右近と清秀だった。信長の恐ろしさが骨身に染みている村重は恵瓊を必死に追い出そうとする。しかし、輝元の祖父・毛利元就の代から仕える海千山千の外交僧である恵瓊の前に村重は無力だった。そしてこの後の村重の行動は、周囲の人たちの運命を大いに狂わせる。

SNSでは「僧侶なのに武将より戦国感があるし、裏で何手も先を読んでいる顔しているな」「恵瓊の話術がマジですごいな。村重を完全に手玉にとっている」「言葉遣いが丁寧なだけにうさん臭さが際立っているな」と恵瓊の存在感にコメントが集まった。

荒木村重は、摂津の国人領主から織田信長に仕えて摂津一国を任されるまで出世した人物。当初は摂津の有力国人・池田勝正に仕えていたが、三好三人衆の調略で勝正の弟・知正とともに三好家へ寝返る。さらに1571(元亀2)年の白井河原の戦いに勝利したことで信長に重用され、三好家から織田家へ移った。だしに不忠をなじられても仕方ない。

また、村重は文化人としての素養も持ち、利休七哲の一人として茶人・道薫としても知られている。末子である岩佐又兵衛は武家の出身ながら江戸初期に絵師として大成し、国宝に指定されている『洛中洛外図屏風』など数々の作品を残している。

●尼子勝久と山中幸盛、散る
(C)NHK

今回は1578(天正6)年の様子が描かれた。尼子勝久(渡邉蒼)と山中幸盛(廣瀬友祐)を見殺しにしてしまった秀吉(池松壮亮)は、罪の意識にさいなまれ記憶を失った。小一郎(仲野太賀)はそんな兄の記憶が戻ることを祈願して書写山・円教寺の柱に名を刻む。以下では、最も注目されたシーン以外の見どころを紹介していく。

まずは、尼子家再興を夢見た尼子勝久と山中幸盛が上月城の戦いで敗れ、散るシーンが挙げられる。1566(永禄9)年に毛利元就の侵攻で滅亡した尼子氏。命からがら生き延びた勝久と幸盛は秀吉に保護された。そして上月城を拠点に尼子家再興を目指す。

しかしそれも束の間、上月城に毛利と宇喜多の軍勢が迫った。秀吉は織田信長に援軍を要請するが、無情にも援軍は現れなかった。史実によると毛利・宇喜多勢の3万に対し、上月城の尼子勢はわずか3千だった。秀吉にはどうすることもできず、撤退という苦渋の決断を下すことになった。

SNSでは「秀吉が尼子をギリギリまで助けたいと思ってたのは、尼子が再興のために小勢で奮起する様子を、身分が低かった頃の自分を重ねていたのかもしれないね」「勝久と幸盛も援軍は来ないというのは薄々分かってはいたんだろうなあ」と、上月城の悲劇が話題となった。

尼子勝久はかつての中国地方を大内家と二分した名門・尼子家の最後の当主。祖父に尼子国久、父に尼子誠久を持ち、1553(天文22)年に生まれた。幼少期に主君・尼子晴久からの粛清を逃れ、京都の東福寺で僧侶となったが、1568(永禄11)年に山中幸盛ら旧臣に擁立されて還俗し、尼子氏再興の旗印となった。

山中幸盛は1545(天文14)年頃に生まれた尼子家の家臣。通称の山中鹿介の名で広く知られている。毛利氏によって主家が滅亡した後も、尼子家再興のために生涯を捧げた。尼子勝久を擁立して各地を転戦し、一時は出雲への復帰を目指したが、上月城の戦いで敗北した。その後、織田方の武将として活動中に備中国で毛利方に捕らえられ殺害された。

幸盛はただ武勇に優れていただけではなく、尼子勝久を擁立するため京都まで赴き、旧臣団をまとめ上げるなど、優れた政治力や交渉力も発揮している。若い頃、三日月に向かって「願わくは我に七難八苦を与えたまえ」と祈ったエピソードは非常に有名だ。通常は幸福や成功を願うところだが、あえて困難を求めた幸盛。その波乱に満ちた生涯はとてもドラマチックなものだった。

(C)NHK

○両兵衛、碁盤上で火花を散らす

次に高倉山の陣中で碁を打つ官兵衛(倉悠貴)と半兵衛(菅田将暉)の姿が挙げられる。半兵衛の誘いに応じた官兵衛。負けた方が何でも1ついうことを聞くという約束で2人の名軍師が対決する。勝負は終盤までもつれ、官兵衛の会心の一手を半兵衛は鮮やかに返した。勝利を確信した半兵衛は織田側へ付いた官兵衛の本心をするどく指摘する。追いつめられた官兵衛が、雨が降ってきたことを理由に強引に勝負を打ち切ると、突然半兵衛がその場に倒れこんでしまう。いよいよ半兵衛の最期が近づいてきたようだ。

SNSでは「半兵衛くん、自分の死期を悟っているから後釜を見つけるのに必死なんだね」「図星なのか、官兵衛君面白い顔してるな。まだまだ腹芸は未熟だね」と、2人の名軍師のやりとりにコメントが集まった。

きょう14日に放送される第23話「さらば半兵衛」では、謀反を起こした荒木村重の説得に小寺官兵衛が向かったが、逆に村重に捕らわれてしまう。戻らない官兵衛に、謀反に加担したという噂がでっち上げられ、織田信長は官兵衛の息子・松寿丸の処刑を決定。竹中半兵衛は小一郎と秀吉に、松寿丸を助けるための策を進言する。

REVISIO 独自開発した人体認識センサー搭載の調査機器を一般家庭のテレビに設置し、「テレビの前にいる人は誰で、その人が画面をきちんと見ているか」がわかる視聴データを取得。広告主・広告会社・放送局など国内累計200社以上のクライアントに視聴分析サービスを提供している。本記事で使用した指標「注目度」は、テレビの前にいる人のうち、画面に視線を向けていた人の割合を表したもので、シーンにくぎづけになっている度合いを示す。 この著者の記事一覧はこちら

(C)NHK