自分の進路はどう選ぶべきなのか。解剖学者・養老孟司さんは「あまり今の世の中に合わせないほうがよいだろう。たとえば『景気のいい企業を選ぶ』というのはよくない」という。講演録をまとめた『こう考えると、うまくいく。〜脳化社会の歩き方〜』(扶桑社)より、一部を紹介する――。
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■子育ては世の中に合わせないほうがよい

私は解剖を専攻しましたが、東大医学部で解剖を始めたころは、解剖なんて時代遅れだという感じでした。死んだ人なんか調べて、いまさらわかることありますか、と言われました。

解剖学なんて400年も500年も歴史がありますから、玄人でもそういうふうに言っていました。今さらそんなことをやったって何もわからんでしょうと。そういう仕事をやっていましたが、一周遅れのランナーということで、おかげでずいぶん得をさせていただきました。

余計なことかもしれませんが、子どもさんをお育てになるときに、将来のことなんかお考えになるときに、あまり今の世の中に合わせないほうがよいと思います。これは大学の教師がよく言っていることですが、就職を考えるときが典型的にそうで、若い人に選ばせると、そのときに景気のいい企業に入る、これは有名な話です。

■景気のいい企業も、数十年後には不景気に

僕が学生のころもそうでして、僕が学生のころに景気のいいところ、あったんですが、それが今になると、どうしようもない不景気なんですね。40、50年先なんてとても読めませんから。むしろ一番いいのは、どういう時代になっても人間のすることを考えてみることで、これなら大体わかる。当たり前ということはわかるので、何がつぶれて何がつぶれないか、つまり、流行りとは何かということが何となくわかってくる。

要するに、「身に付いたものが財産である」ということです。私の母は極端な人でしたが、そのことを私が医者になる前に話してくれました。

ハンス・セリエというオーストリアの医学者がいます。皆さんストレスという言葉をご存じだと思いますが、ストレスという言葉は、じつはセリエがつくったんですね。ストレス症候群という言葉をつくりました。

■「財産とは自分の身に付いたものだ」

この人はもう古い人ですが、ウィーン生まれで、お父さんはオーストリアの貴族でした。何が起こったかというと、第一次世界大戦が起こりまして、ご存じのようにオーストリア・ハンガリー帝国というのが分解してしまいます。今の小さなオーストリアになっちゃった。そしてセリエのお父さんは、自分が先祖代々持っていた財産を失います。

それで亡くなるときに、息子に言う。それが、財産とは自分の身に付いたものだ、ということなんです。お金でもないし、先祖代々土地を持っていたって、そういうことがあれば結局なくなってしまう。だけれども、もし財産と思えるものがあるとすれば、それは墓に持っていけるものだと。

お墓に持っていけるものというのは自分に身に付いたものです。家も持っていけません。土地も持っていけません。お金も持っていけないですが、自分の身に付いた技術は墓に持っていける。だからそれが自分の財産だと。

■若者がポジションに執着するのは気の毒

そういうふうな非常に強い社会的な変化を受けて生きてきた人は、みんな同じことを言うみたいで、考えてみるとうちの母もそうなんですね。戦争を経験していますし、関東大震災も通っていますし、そういうところを通っていますと、やっぱり財産というのは身に付いたものと考えるようです。

今の若い人はよくお金のことを言うんですが、そうじゃなくて自分の身に付いたものだというのは、極端な状況を通らないとなかなか悟らないことです。セリエのお父さんが墓に持っていけるのが自分の財産であると言っていたように、やっぱり身に付いたものが財産であると。

現代の状況を見ていますと、若い方は全然違うことを考えているような気がしないでもないですね。僕は大学に長いこといましたから、率直に申し上げますが、例えば大学で中堅どころ、20代、30代の人が何を考えているかというと、いかにして自分のポジション、社会的な位置を確保するかということをいつも考えています。これは気の毒だなと思っていました。

私のころは、そんなことは考えませんでした。解剖をやったのはなぜかといいますと、医学部を出て解剖なんかやったら食えないよというのが世間の通り相場で、食えないところで何とか生き延びているんですから、それだけでありがたいと思っていたわけで、これ以上どうとかということを考えないで済んでいました。

■私の世代はサツマイモとカボチャは一生分食った

私は鎌倉のハリス幼稚園に通わされていたんですが、別に行きたいから行っていたわけではない。ただ、そのときの状況を考えてみますと、大体半ズボンに決まっていたんですね。そして、履くものが何もないから運動靴で、戦争中ですから、もう穴があいています。

ハリスはまだ私立だからよかったんですが、小学校に入ってから、時に母親が新しい靴なんか買ってきて、それを履いて学校へ行ったら、帰りにはないんですよ。新しいのは誰かが履いて行っちゃっていますから。そういう時代ですから、新しい靴は履かないほうがいい。

それから、靴下なんかありませんから、当然素足です。あんなの、あったってすぐ穴があいちゃいますから。それで半ズボンで素足で、だから冬は寒いんですね。それが当たり前だと思って暮らしていました。

食べるものというと、サツマイモとカボチャですから。私の世代は、お聞きになればわかると思いますが、たいていの人がサツマイモとカボチャはもう食わないと言っています。一生食う分、もう食ったと。懐石料理で、たいてい最近はサツマイモとカボチャが入っていますが、それだけは残すというのが我々の世代です。

■苦労して偉くなった人が奨学金をつくる不思議

そういうふうに暮らしてきて、自分たちの子どもを育てて、そのときは一生懸命やって、そんなことは考えたことはありませんでしたが、今ごろになってふとおかしいなと思うことがあるんです。

それは、うちでよくけんかになる話なんです。大げさなけんかをするわけじゃないんですが、たとえば本田宗一郎とか松下幸之助とか、偉い人がいますね。小学校しか出てない。苦学して偉くなって、お金持ちになった。そういう人が、時々新聞に出ているんですが、奨学金をつくるわけです。何が新聞に書いてあるかというと、自分は若いときに苦学して大変だったから、若い人が勉強をするために奨学金を出してやると。

■自分とは違う環境だからうまく育てられない

そういう記事を見ると、女房にけんか吹っ掛けて、何だ、これは、おかしいじゃないのというわけ。自分が貧乏して苦労して偉くなったんだから、若い者も俺と同じようにしろと、なぜ言わないんだろう。それでお金もらって楽させたら、じゃあ若い人はよくなると思っているのかなと。そうすると女房が、そんなへその曲がったことを言うもんじゃないと、そういう議論になるわけです。

だけれども、この問題を私は案外深刻な問題かなと思っています。なぜかといいますと、私どもが親としての世代として考えてみると、子どもに自分の育った環境とはまったく違う環境を与えてあげている。そうすると、親が子どもの教育ができなくて、当たり前なんですよ。違うんだから。違うことをやらせちゃっているわけですから。

これがどこまで効いてくるかというと、影響はかなり大きいんですね。

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■日本は過去を白黒はっきりさせるのを避けてきた

世界遺産に広島の原爆ドームが登録されたときに、日本の代表がじつは根回しをしました。新聞に出ていたと思いますが、どういう根回しをしたか。世界遺産に選ぶことの意味づけについて一切議論しない、しないでくれという根回しをいたしました。

そして、それに対して、中国とアメリカが文句を言ったんじゃないけれども、態度を保留した。つまり、日本はどういうつもりで、どういう意味合いであれを保存しようとするのかと。この根回しは、ご存じのように核兵器反対とか、そういうことを正面に出したくないということでやったんだと思いますが、極めて日本型です。はっきりとさせないで、ともかく登録するという点では、それは成功したわけです。

それはよろしいんですが、皆さんもお気づきだと思いますが、中国なり韓国なりが日本に対して言うことがあります。それは歴史のことです。近ごろは慰安婦問題というのがありまして、私のところに分厚いコピーを送ってきた方があります。それは現在出ている教科書です。使われている教科書のコピーでして、こういうふうに書かれていますと。それはけしからんという人なんですが、とにかくそういうふうに歴史に関して議論がいろいろある。

■子どもの教育に自信をもてなくなった理由

今申し上げていたことでおわかりだと思いますが、少なくとも私どもの世代は、自分が育った育ち方をよしとしない。はっきり言えば、カボチャとサツマイモと、半ズボンと、あれはまずかった。だから子どもには冷蔵庫を開ければいつでも食べ物が出てくるようにしてと、こういうふうにやっている。

養老孟司『こう考えると、うまくいく。〜脳化社会の歩き方〜』(扶桑社)

そうすると、つまり自分の過去を否定してしまった人というのは、他人にどうしろと言えなくなるということに気がつきます。それが今申し上げた歴史観の問題ですね。

ですから、それを大げさにしていきますと、日本という国がどういうふうに動いてきたかということを、どういうふうに把握するかということが言えなくなるんです。

違うやり方もいいでしょうと。やってみて、違う育ちかたをした今の子どもが大きくなってみますと、これはちょっとおかしいんじゃないかと、今度は言い出す。これも変な話であって、自分自身の育ちを肯定するのかしないのか、まずそれがあるわけで、それをうっかりといいますか、ある意味で全否定してきたのが現代ですから。そうしますとわけがわからなくなって当然だなと私は思うようになりました。

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養老 孟司(ようろう・たけし)
解剖学者、東京大学名誉教授
1937年、神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学名誉教授。医学博士。解剖学者。東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。95年、東京大学医学部教授を退官後は、北里大学教授、大正大学客員教授を歴任。京都国際マンガミュージアム名誉館長。89年、『からだの見方』(筑摩書房)でサントリー学芸賞を受賞。著書に、毎日出版文化賞特別賞を受賞し、447万部のベストセラーとなった『バカの壁』(新潮新書)のほか、『唯脳論』(青土社・ちくま学芸文庫)、『超バカの壁』『「自分」の壁』『遺言。』(以上、新潮新書)、伊集院光との共著『世間とズレちゃうのはしょうがない』(PHP研究所)、『子どもが心配』(PHP研究所)、『こう考えると、うまくいく。〜脳化社会の歩き方〜』(扶桑社)など多数。
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(解剖学者、東京大学名誉教授 養老 孟司)