「五十嵐苺園」のあまりん(写真:五十嵐苺園提供)

日本のフルーツ産業は、安定したおいしさ・美観・供給体制の評価が「高級品」として市場を形成する、世界的にも特異な地位にある。フルーツの生産を極めたつくり手にとって、「1億円プレーヤー」になることも、決して夢ではない。

そんなフルーツ界にも、スポーツの世界と同じように、生産者(選手)を発掘し、伴走し、一流として評価されうる舞台へと引き上げるプロフェッショナルがいることはあまり知られていないだろう。老舗の高級果物専門店「銀座千疋屋」で仕入長を務める石部一保さん(51)はまさに、国内高級フルーツ界の“コーチ”とも“スカウトマン”とも呼べる存在だ。石部さんの伴走の下、一流のフルーツづくりに没頭する精鋭の生産者たちを取材した。全3回でお届けする。

前編:高級メロン農家育てる、銀座千疋屋の凄い仕事術

埼玉のいちご農家に大きな転機

埼玉県深谷市にある「埼玉産直センター」は、生活協同組合向けに野菜や果物を卸す50年の歴史がある生産者グループ。ここに所属するいちご農家に2019年、大きな転機がもたらされた。

埼玉県内でのみ栽培が許される、希少ないちご「あまりん」。収量の少なさから「幻のいちご」ともいわれる「あまりん」の本格栽培が2軒の農家でスタートしたのと同時に、高級果物専門店「銀座千疋屋」への出荷が始まったのだ。

高級いちごブランド「天照(あまてらす)」として、オリジナルのパフェやケーキも売り出された。今や、旬を待ち侘びるファンが期間限定の味覚をSNSで拡散する、銀座千疋屋を代表するいちごブランドの1つになった。


あまりんを使った銀座千疋屋のパフェ(写真:銀座千疋屋提供)

長年、生協向けに一般商品の出荷をメインにしてきた埼玉産直センターにとって、高級フルーツ市場はまったくの未知の世界。1農家当たり5本の苗で始めた試験栽培から、わずか1年という短期間で切り開いた新規市場だった。その跳躍の裏には、「あまりん」の希少な価値を確実に届けたいと意気込む生産者たちと、銀座千疋屋仕入長・石部一保さんの出会いがあった。

「糖度だけじゃない。同じいちごの甘さでも、ずっしりとした奥が深い甘さ。あまりんはどうも、ほかと格段に違う」

五十嵐貞良(82)さん、淳さん(50)親子は試験栽培で初めて採れた「あまりん」の実に、これまでにない光る可能性を感じたという。


五十嵐苺園の五十嵐貞良さん(右)と淳さん(写真:筆者撮影)

「あまりん」は2016年に埼玉県農業技術研究センターで育成された埼玉県オリジナルのいちご品種。埼玉県内の生産者団体と許諾契約を結んで苗を提供し、他都道府県や家庭菜園などでの栽培は許されていない。地域限定栽培のいちごだ。

あまりんの栽培に二の足を踏んでいた

ただ、味がいいとはいえ、それまでメインで栽培していた「とちおとめ」に比べると、1つの苗から採れる収量はその6割程度にとどまる。栽培面積を広げたところで、確実に売れるという保証はない。どの農家も新品種の扱いに二の足を踏むなか、27ある産直センターのいちご農家の中で、真っ先に「あまりん」の栽培に乗り出したのが五十嵐苺園と久米原農園だった。

「どうせやるからには、うめ〜ほうがいい。どこよりも美味しいいちご作ってみて〜っていう、単純な話よ。結果を出せば、みんなもついてくるだろうって」(貞良さん)

試験栽培した「あまりん」の収穫が始まってまもない、2018年1月15日、淳さんと久米原農園の久米原美幸(ヨシユキ・38)さんは採れたての「あまりん」を手に、東京・銀座の街を訪れていた。

「産直センターを通して生協に少し出してみたけど、収穫量が少なく、単価を設定すると高くなった。普通の2段詰めでその割に値段が高い。お客さんから『もう買わない』という意見もあって、初めて東京の中心で売られている“日本一のいちご”を調べてみようと考えました」(淳さん)

銀座三越、銀座千疋屋など、思いつくままに、高級フルーツ店に入り、片っ端からさまざまな種類のいちごを買い集めた。

「うちで採れた新しい品種のいちごなんですけど、試しに食べてみていただけないでしょうか」

店頭で持ってきた「あまりん」を差し出した中で、即座に受け取ってくれたのが銀座千疋屋だった。

「今、ちょうど仕入長がおりますのでお待ちください」

そのまま応接室へ通され、そこで2人は石部さんと対面した。

「美味しいですね、どうやって作っているの、どういうふうに売りたいの、って聞かれたのですが、うちは全然そういうのも考えきれていない。収穫量も少なくて単価を高くしないと合わないんだけど、そのノウハウを持っていないので勉強しているところですと伝えた。それじゃ、近いうちにそちらに行くからということになって」(淳さん)

産直センター初のギフト市場開拓へ

本当に来てくれるのだろうか。そう思っているうちに、2週間ほどで石部さんが本庄市内にある農園を訪ねてきた。

「果物の質のよさは当然ですが、やる気があるところ、やってみたいと自ら動くところとは、どんどんつながる」

石部さんがそう言うように、その日から、産直センター初のギフト市場開拓へと、物事が一気に動き出した。

野菜や果物の200軒の生産者でつくる「埼玉産直センター」は、微生物研究に基づく発酵技術を生かした土づくりに定評がある。大量生産を前提に、日本の農業が安くて効率のよい化学肥料や化学合成農薬を盛んに使うようになる中、その流れに疑問を持つ生産者たちが微生物農法を学び、土の生態系を整えて「健康な作物」を作ろうと結束して発展してきた。

「長年、化学肥料を使わず、減農薬の栽培に取り組んできましたが、当初は環境に対する世の中の意識はあまりなくて。50年前に始めた人たちは、よそから見れば変わり者と言われて苦労しました。ようやく時代が追いついてきた感じです」(貞良さん)

そんなこだわりの土で育つ「あまりん」の味のバランスのよさは、石部さんの舌にも目にも、明らかだった。

石部さんの最初の訪問からわずか1週間後には、銀座千疋屋の店舗にいちごを発送する輸送のテストを開始。それと同時に、産地直送のギフト商品開発に向け、パッケージデザインの制作に取り掛かった。

同じころ、淳さんと久米原さんは石部さんの案内で初めて早朝の東京・大田市場を訪れた。さまざまな種類の果物や包装・輸送資材が一堂にそろい、商品開発の参考になっただけではない。仲卸やバイヤーが果物を手に、1つひとつ商品を吟味していく市場の熱気に圧倒されたという。

「今までは、いいものを安く届けるという流通システムの中で商品を卸し、その先のことはあまり気にしていませんでした。でも、大田市場の選別の現場を見て、その後、銀座千疋屋さんのパティスリーや、スイーツを作っている本社工場も案内してもらって見方が変わった。これまでとは真逆の、値が高くてもいいものを届け、広めていく、そんな市場があるんだということに、改めて気付かされました」(淳さん)

農家の収入も約1.5倍に

銀座千疋屋との取引がもたらしたインパクトは、五十嵐さん親子の想像をはるかに超えていた。小売業界に「あまりん」の品質のよさが一気に知られるようになり、問い合わせが相次いだ。

それまで生協のみだった出荷先は、食材を全国宅配するオイシックス、農協、大手スーパーへと急拡大。2018年に0.6ヘクタールからスタートした栽培面積は、その後2〜3ヘクタールに増え、来年は産直センター全体で5.8ヘクタール程度を見込む。

とちおとめを栽培していたときには3億円に届かなかった苺部会の売上高も、今シーズンは4億4千万円になり、1農家当たりの収入も約1.5倍になったという。最初の一歩を踏み出した五十嵐さん親子と久米原さんの後に続き、「あまりん」を増やす農家が増え、新規の就農希望者も現れた。

「とちおとめのときは、量を取ることが目標になっていましたが、あまりんになってから、味と見た目もかなり重要だと考えるようになりました。温度の管理や収穫の際にいちごが汚れない、傷つかないよう工夫を凝らしたり。気を配ることが増えて大変ですが、売る先が広がりました。やりがいはかなりあります」と淳さんは言う。

売り上げが拡大する一方で、生産者たちは、猛暑や台風など容赦ない気候変動を潜り抜け、はい上がるように、慈しむように、作物と向き合いながら豊かな実りを支えている。

石部さんは流行の発信地、東京・銀座にあった果物店の長男として生まれ育った。銀座にある別のフルーツの名店で販売などを経験し、その後35歳で銀座千疋屋に中途入社。50年にわたり、同じ銀座から定点で国内のフルーツ業界の変遷を見てきた、唯一無二とも言える原体験と経歴を持つ。全国各地の生産者との交流を通して、石部さんにはいま、どんな風景が見えているのだろうか。

行動を起こせば、次の波に乗れる

「商売においては、銀座はやはり日本の中心。ここにいると、流行の波が次々と押し寄せ、入れ替わる様子がどこよりも早くわかります。

サーフボードに例えると、バンバン押し寄せる波の中で、沖に出るためのカレントをうまくつかまえられた人が、波に乗ってサーフィンを楽しむことができる。商売も同じで、いま行動を起こしておけば、次にやってくる時代の大きな波に乗り遅れることなく、沖に出ることができる。そんなポイントがあるように思います」と石部さんは言う。

銀座千疋屋は販売や流通が専門であり、果物をつくれるわけではない。だが、東京・銀座を拠点に全国の生産者とつながり、気候変動や技術革新など日々試行錯誤に没頭する作り手の生きた情報に触れるからこそ、「見えるもの、伝えられることがある」と考えている。


銀座千疋屋仕入長・石部一保さん(写真:筆者撮影)

「海に行こうぜと誘っても、やるかやらないか、ついてくるかどうかは、結局その人次第。タイミングやスピードを含め、『そうだ、今じゃなきゃ』と行動に移せるかどうかで、その先の結果が大きく変わってくる。五十嵐さんたちの動きは、まさにそうでした。違いはやる気なのか、感性なのか、それはもう、理屈じゃないですよね。誘う理由をこちらが説明したり、説得したりするわけでもありませんから」(石部さん)

「五十嵐苺園」は、貞良さんから淳さんへと受け継がれていく途上で、銀座千疋屋という新たなステージに立つチャンスを得た。それこそが、やる気に裏打ちされた好奇心の強さが引き寄せた「結果の違い」なのかもしれない。

息の抜けない挑戦と革新

だが、それさえあれば時代の大波に乗れるというわけではない。技術力も底力も圧倒的な努力で見せつける、上には上の強者がいる。一度つかんだ舞台に立ち続けられるか、試合に出続けられるかどうか。五十嵐さん親子にとって、息の抜けない挑戦と革新が問われるのは、むしろこれからだろう。

つくり手と売り手が、互いの専門性を掛け合わせながら育み、耕し続け、高みを目指す「場」の魅力に、私たちは自然と引き寄せられていく。

(座安 あきの : POLESTAR OKINAWA GATEWAY取締役、広報戦略支援室長)