大谷翔平選手の活躍は自分と無関係のはず...なのに重ね合わせる(写真・GettyImages)

連合、厚労省、経団連の春闘の結果が出そろった。

最も対象企業が多い連合の2023年の春闘(平均賃金方式で回答を引き出した5272組合の加重平均)における正社員の賃上げ率は平均3.58%だった。資本金10億円以上で従業員1000人以上の労働組合がある364社が対象の厚労省の集計結果は3.60%で、大手企業16業種136社(従業員500人以上)が対象の経団連調査では3.99%だった。

大企業ほど賃上げ率が高い結果となったが、組合のない企業を含めても全体として定期昇給(1.5〜2.0%とみられる)の影響を除いて1%超のベースアップとなったとみられる。厚労省のデータでは、1993年以来の高い伸び率となった。

ついに賃金上昇を伴うインフレが発生し、日本人の「ノルム」(社会通念)にも変化が生じるという期待が高まる。

しかし、この「ノルム」がどのように定着してきたかは定かではない。「デフレ・マインド」という、わかるようでわからないナイーブな概念はいったい何なのか。過去30年間で人口動態も大きく変化していることも考慮すると、構造変化は容易には生じないと、筆者は考えている。

実質賃金の回復には約6年かかる?

名目賃金の上昇に注目が集まるが、インフレ高進を考慮すると、実質賃金は減少している。

今後、インフレが徐々に鈍化することにより、実質賃金は上昇に転じる可能性が高いが、例えば今後徐々にインフレ率が鈍化し、名目賃金上昇率が年1.5%、インフレ率が年1.0%のペースに定着した場合でも、2019年末の水準まで実質賃金が戻るのには約6年かかる。


実質賃金が回復するためには、約6年間はインフレ率が「低迷してくれないと困る」という皮肉な状況である。インフレ率が低迷しながらでも高い賃上げ率を継続することができるか、ないしは高いインフレ率をさらに上回る賃上げ率が実現するか。いずれもそう簡単なことではない。

むろん、時間がかかったとしても、家計が前向きな変化だと考えているのであれば問題はない。しかし、内閣府の消費動向調査によると、消費者態度指数は低迷している。


指数を構成する指標のうち、特に「暮らし向き」が低迷しており、実質賃金の目減りが影響している可能性が高い。

実際に、家計は消費を抑制しているようであり、総務省の家計調査によると実質消費支出は4〜6月期まで3四半期連続で減少し、6月は前年同月比マイナス4.2%と、まとまった幅のマイナスである。

前向きな消費行動どころか、コロナ後のペントアップ(繰越)需要もままならない状況と言える。

年金受給者は「賃上げ」に縁がない

過去30年間で年金の受給者数は増加傾向にある。給与所得者も微増だが、日本人の家計の所得に占める割合としては年金所得が増えている。

国税庁のデータによると、2010年代に給与所得者数は増加したが、共働き世帯の増加や高齢者の労働参加率の上昇の一巡により頭打ち感が強まっている。

一方、厚労省が公表する公的年金の実受給権者数(公的年金受給者数〈延べ人数〉から重複を除いたもの)も同様に足元ではおおむね横ばいで推移しているが、この約20年間でみると大きく増加した。また、国税庁と厚労省がそれぞれ公表する所得データを確認すると、金額ベースで給与所得は増えているが、年金所得も増加している。

ここで、給与所得者と年金所得者の消費動向調査「暮らし向き」の水準を比較すると、足元のインフレで大きく下がったのは年金受給者であることがわかる。


年金額は物価スライドによってインフレにある程度連動するものの、マクロ経済スライドによってインフレ率ほどは増えないため、年金受給者のほうがインフレをネガティブに捉えやすいのだろう。年金受給者の比率が増えているということは、日本経済全体として足元の実質賃金の目減りをネガティブに捉えている人が増えているということである。

また、低所得者ほど高インフレの負担が大きくなりやすい面があるため、消費動向調査「暮らし向き」は所得階層による差が拡大している。

年収「1200万円以上」の暮らし向きはコロナ前を回復しているが、他の階層はコロナ前を下回っており、低所得層ほど悪化が目立っている。給与所得者の間でも、賃上げに対する評価はわかれていそうである。

賃上げでも幸福度が上がらない理由

このような格差拡大は、全体の「幸福度」を低下させる可能性がある。

一般に所得が増えると幸福になる(幸福度が上がる)という関係があるが、このような関係が成り立たない例も数多く指摘されており、「幸福のパラドクス」と呼ばれている。

『幸福感の統計分析』(橘木俊詔、 郄松里江著)によると、「幸福のパラドクス」の背景には「準拠集団の理論」があるという。「準拠集団」とは、自分が置かれた状況を比較するときに、比較対象となる集団や人のことである。

すなわち、幸福感にとっては「準拠集団」に対する「自己」の「相対的評価」が重要であるという指摘である。

自分の所得の絶対値が増えていても、(より高い)他者と比較することによって幸福度が下がるという研究もあるという。例えば、賃金が増えても同じような仕事をしている同僚よりも上昇幅が小さかったことを知った場合はショックが大きいだろう。

「幸福度」という概念は幅広く、曖昧な概念である。しかし、「将来不安」や「デフレ・マインド」といった「ノルム」を払拭するには、日本人の「幸福度」を引き上げる必要があるだろう。

筆者は7月26日に『幸福感の統計分析』の著者である立命館大学総合心理学部准教授の郄松里江氏と議論する機会を得た 。郄松氏は、日本の幸福度が高まり難いことについて、現在の日本のような成熟した国では親の世代と比べるケースが想定されるとし、「親よりも豊かになれない」という感覚を幸福度を下げる要因として指摘した。

「横並び」かどうかより「横並びと感じる」かどうか

今回の賃上げ議論について、その際の議論も参考に「準拠集団」の観点から考えると、以下のような問題があるため今回の賃上げは幸福度が上がりにくい可能性が高い。なお、カッコ内は想定される準拠集団(比較対象)である。

多少の賃上げでも「親よりも豊かになれない」という状況は続く(親世代)アメリカなど他の先進国のほうが賃金上昇率は高い(海外)今回の賃上げは「安い日本」が進んだ結果によるところが大きい(海外)政府主導の「横並び」の賃上げである(周囲の給与所得者)年金世帯は給与所得者と比べて賃上げの恩恵がない(給与所得者)低所得者は高所得者と比べて賃上げの恩恵が少ない(高所得者)

ここで、「周囲の給与所得者」を準拠集団とする場合、全員が相対的に高い賃上げを実現するというのは論理矛盾ではないかと考える人がいるかもしれない。しかし、「準拠集団の理論」はあくまでも「印象」の議論であることが重要である。『幸福感の統計分析』でも、「準拠集団」との比較は想像に基づいている。

すなわち、実際に賃上げが「横並び」であるかどうかはそれほど重要ではない。「横並び」であるという印象を給与所得者が感じているかどうかが重要である。

今後、賃上げの動きを好循環に結び付けることができるかどうかのカギは、「準拠集団」ではなく「自己」の捉え方だろうと筆者は考えている。

例えば、1980年代の日本経済の強さを示す言葉として「ジャパン・アズ・ナンバーワン」というものがある。もともと、社会学者のエズラ・ヴォーゲルが日本人の高い学習意欲、日本的経営、日本特有の経済・社会制度を再評価した著書のタイトルであるこの言葉は、1980年代の日本経済の絶頂期を表わすものとして用いられている。

1985年生まれの筆者には1980年代の記憶はほとんどないが、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉からは、日本が一丸となって成長していった姿が想像できる。

「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という状況では、日本人の個人それぞれの「準拠集団」に対する「自己」が、「日本経済そのもの」となっていたのではないかと筆者はみている。

すなわち、日本に対する誇りのようなものが強く、「自己=日本経済」と捉えられていたのではないか。「自己=日本経済」であれば、日本全体で「横並び」で成長することもポジティブに感じることができる。

家計のノルムは変わるのか

この感覚は多くの日本人が、MLBのエンゼルスで「二刀流」として大活躍する大谷翔平選手に対して感じているものと似ているのかもしれない。

筆者も含むほとんどの人が、大谷選手の活躍とは無関係であるはずだが、どこか誇らしい気持ちになる。「同じ日本人として誇らしい」という感覚である。「自己=個人」と考えれば、大谷選手の活躍から幸福感が得られるはずはないのだが、大谷選手の活躍を耳にしているときは「自己=日本」という感覚なのだろう。

1970〜1980年代と比べれば人口構成は大きく変わり、社会はさまざまな年代が幅広く存在する多様化したものとなった。年金所得者が増え、日本経済に求めるものが「成長」だけではなくなっている面もある。「自己=個人」という色彩は日に日に濃くなっているように思われる。多少の賃上げでは家計は動かないだろう。

しかし、大谷選手の活躍と世の中の反応をみていると、「自己=日本」という感覚が現在も残っていることも確認できる。

家計の「ノルム」が変化し、日本経済が前向きな循環に向かうかどうかは、人々の中で日本経済が大谷選手のような誇らしい存在となり、「自己=日本」という感覚が復活してくるか、という問いに集約されるのではないかと筆者はみている。

(末廣 徹 : 大和証券 チーフエコノミスト)