「オリンピックを目指すのは時間がもったいない」入江聖奈に敗れ東京五輪出場ならず→プロボクサーに 晝田瑞希の新しい夢はアメリカの大舞台
女子格闘家ファイル(6)
晝田瑞希(ひるた・みずき)インタビュー後編
(前編:方向音痴がキッカケで世界王者へ 女子0人のボクシング部に「本当に入るとは考えていなかった」>>)
地元・岡山の高校でボクシングを始めた晝田瑞希は、アマチュアボクシングの全日本女子選手権のフライ級(2018年)、フェザー級(2019年)の2階級で優勝。2021年の東京五輪出場を目指したが、2019年12月に行なわれた最終選考の大会で、のちに金メダルを獲得する入江聖奈に2−3の判定で敗れた。
入江と東京五輪出場を争い、プロ転向後4戦目で世界王者になった晝田
――東京五輪の最終選考で入江聖奈さんと対戦して敗退。出場の道が断たれましたが、当時の気持ちはいかがでしたか?
「キツい、としか表現できないですね。ボクシング以外も、すべてのことに対して意欲がなくなってしまって。ボクシングをやっている時は、服がすごく好きなので『古着屋さんで働きたい』とか、『オシャレをしたい』とか"普通の女の子の生活"に憧れていたんです。でも、現実的にボクシングを辞めるかもしれない状態になって、そういった憧れまでどこかにいってしまいました。
自衛隊体育学校に入って以降は、ボクシングの練習が仕事みたいな状態だったので練習は続けていましたが、まったく身が入っていませんでした。両親にはボクシングを辞めると伝えたんですが、『ボクシングを辞めたら仕事を続けられるのか心配だから、もう1年だけも頑張って』と。あの時に自衛隊を辞めていたら、今はボクシングをやっていなかったと思います」
――その後、2021年3月に自衛隊を除隊し、現在の三迫ジムに入門して5月にはプロテストに合格。一方で、同年の東京五輪では入江さんが金メダルを獲得しました。晝田選手としては複雑な思いもあったんじゃないでしょうか。
「その時期もしんどくて、開会式さえ見る気になれませんでした。テレビをつけず、SNSの通知もミュートにしていたんですが、バイト先が『KOD LAB FITNESS BOXING』 (元世界王者・内山高志が手がけるボクシングジム)だったので、毎日のように『昨日の入江選手の試合見た?』と聞かれましたけどね。
みんなは私がオリンピックを目指していたことも知らないし、"ちょっとボクシングをかじってる女の子"くらいに思われていましたから。入江選手はどんどん勝ち進むので、情報をシャットアウトしたくても話題は入ってきてしまう。苦しかったですが、そこで泣いたらおかしいし、なんとか笑顔で乗りきりました」
――入江さんは"カエル好き"というキャラクターもあって大きな話題になりましたね。
「彼女個人のことはまったく嫌いじゃなかったし、その強さは私が1番わかっていると思っていました。いろいろ落ち着いたあとに東京五輪での彼女の試合を見たら、私とやった時よりも強くなっていましたね。闘っていた時からそうですが、今でも尊敬しています」
――入江さんは2022年11月の全日本選手権を最後に引退し、この春から東京農工大学大学院の修士課程でカエルの研究を始めます。引退を聞いた時の気持ちは?
「感謝の気持ちでいっぱいです。アマチュアで最後に対戦した相手が、オリンピックで金メダルを獲得するという経験ができる人はなかなかいない。敗けたあとの苦しみ、それを乗り越えることを経験ができたのは入江選手のおかげです。
彼女は辞め方も100点ですよね。頂点に立って、そのまま競技を離れるわけですから。もがいてでも幸せになろうとしている私とは真逆の人生。人気絶頂で引退した山口百恵さんみたいでかっこいいですね」
――1980年の引退コンサートの最後、山口百恵さんがステージ中央にマイクを置いて去るシーンは有名ですが......26歳の晝田選手からその例えが出てくるとは思いませんでした(笑)。
「憧れの人なんです。私も山口百恵さんみたいにリングを去りたかったけど、入江選手がそれをやった。『強い人は、そういうところもかっこいいんだな』と。彼女は金メダルを獲ってからより謙虚になりましたし、ボクシング以外の人間性、生き方なども勉強になります。新しい道に進む今も刺激をもらっています」
――アマチュア時代は、話をする機会もあったんですか?
「ありましたよ。一緒に海外の試合に行くこともありましたから。練習でも、たまにカエルのTシャツを着ていましたね。本当にテレビで見せるキャラクターそのままで、飾らないし、嘘もつかない。ありのままで本当に面白いです。
今でもたまに、SNSでやり取りをします。彼女の現役最後の大会になったアジア選手権でも、初戦でめちゃくちゃ強い台湾の選手(元世界女王の林郁婷)に勝ったんですが、その試合前日に意気込みをつぶやいていたので『頑張って』とメッセージを送りました。そうしたら、『晝田さんも頑張ってください。いつも刺激を受けてます』と返してくれました」
――その後、晝田選手も世界の頂点に立ちました。少し話は戻りますが、アマチュアからプロになり、本気でやろうと思ったきっかけは何だったんですか?
「正直、プロになる前は『オリンピックをもう1回目指そうかな』とも思いました。パリ五輪から、私にぴったりな階級が設けられるかもしれないという話も聞いていたので。すごく悩んだんですが、『ここまで悩むということは、私は本当にボクシングが好きなんだな』と再確認することができたんです。
アマチュア時代は、実力だけじゃないさまざまな部分で悔しい思いをすることがありました。そういったストレスを感じながら次のオリンピックを目指すのは『時間がもったいない』と思うようになって。私は表現することも好きだから、プロの世界のほうが楽しいんじゃないかとワクワクしてきて、新たな挑戦に踏み出したんです。早く気づいていれば、もっと強い選手になれていたかもしれませんけど、それは"タラレバ"ですね」
――プロの世界王者に目標を変えたわけですね。
「世界王者というよりは、自分が幸せになるための目標という感じかもしれません。オリンピックに出場できなくても、ずっと応援してくれていた人たちのことを、ボクシングで幸せにできたら最高だなって」
――晝田選手は「スーパースターを目指す」とも公言していますが、どんなイメージですか?
「一般的なボクシングのスーパースターといえば、男子ですが井上尚弥選手ですよね。弱いところがひとつもない。でも、私はあんな選手には絶対になれません。ボクシングでいいことも苦しいこともあって、悩みながらここまできました。すぐ泣くし、怒るし、ホームシックにもなる。そんな私が頑張ることで、『勇気を出して1歩踏み出せば輝けることがある』ことを証明したい。プラスのエネルギーを発する選手になって、頑張ろうって思ってくれる人をひとりでも増やしたいです」
――スーパースターになるために、具体的に強化したいところは?
「もう少し力強いボクシングをしたいです。打ち合いもできるし、足もしっかり使えるような。その上で決めるところは、しっかり決める。トータルでパワフルなボクシングがしたいんですが......ビビりなので、試合ではどうしても守りに入ってしまいがちなんです」
――試合を見る限り、そんな印象はありませんが......。
「世界戦でも安全圏で闘ってしまって。ギリギリの距離で打ち合えれば、もっと決定打を与えられたと思うんです。自信をもってもう1歩踏み出して闘えるように、技術もパワーも上げていきたいです」
――憧れの選手はいますか?
「『スーパースターになった未来の自分』って言いたいところですけど......挙げるとすれば、(昨年4月に)ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン(MSG)で闘ったケイティー・テイラー選手とアマンダ・セラーノ選手の試合が忘れられません。映像でも、どこまで観客がいるのかわからなかった。あんな会場で盛り上がる試合をした2人はかっこよかったです。
私は特に、同じサウスポーのアマンダ・セラーノ選手が好きですが、女子ボクサーとしてあの舞台に立つことは憧れです。私もいずれは、MSGのリングにも立ちたい。私は目の前の目標に集中するタイプなので、世界王者になるまでは先のことを話してきませんでしたが、海外の大きな舞台に立つという新たな夢は、はっきり口にしながら目指したいです」
――晝田選手のキャラクターは、アメリカでもウケそうですね。
「インパクトはあるかもしれませんが、アメリカはより実力社会だと思うので、実力でも認めてもらえるくらい強くなりたい。あちらでは重い階級が人気ですし、女子の軽い階級、しかもアジア人ボクサーはチャンスが少ないかもしれません。それでも私は、『女子のアジア人ボクサーでもここまでできるんだ』と思わせたいです!」
【プロフィール】
晝田瑞希 (ひるた・みずき)
1996年4月12日、岡山県岡山市生まれ。現WBO女子スーパーフライ級王者。身長163cmのサウスポー。岡山工業高等学校でボクシングを始め、卒業後は自衛隊体育学校に進学。全日本女子選手権はフライ級 (2018年)、フェザー級 (2019年)で優勝。東京五輪出場を目指したが最終選考で入江聖奈に敗れた。2021年3月に自衛隊を除隊し、三迫ジムに入門。 同年5月にプロテストに合格し、10月にプロデビュー。2022年12月のプロ4戦目で世界タイトルを手にした。アマチュア成績は45戦29勝(13KO/RSC)16敗。プロ成績は4戦4勝。