10代後半にオンラインゲームにハマり、留学で無理やりネトゲ廃人を脱した木原悠太郎さん(33歳)。しかし中国留学で人生が一気に変化、紆余曲折を経て台湾の地に自らの居場所を見出すことに(写真:Mlenny/Getty Images Plus)

20代半ばから30代に訪れるとされる「クォーター・ライフ・クライシス」(以下QLC)。一人前の大人へと移行するなかで、仕事、結婚、家庭などなど、自分の将来の生活や人生に対して「このままでいいのか?」と悩み、漠然とした不安や焦燥感にさいなまれる時期のことを指す。

もともと2000年代前半にイギリスの研究者たちが用いるようになった言葉だが、日本の若者たちの関心も集めつつあり、SNSやブログで自身の心境をつづる人も。

そこで、本連載では性別職業問わず、さまざまなアラサーたちに取材。それぞれのQLCを描きながら、現代の若者たちが味わう苦悩を浮き彫りにしていく。10代後半にオンラインゲームにハマり、紆余曲折を経て台湾の地に自らの「居場所」と「天職」を見出した木原悠太郎さん(33歳)のケースを取り上げる。

高2の夏にネトゲにハマってFラン大学へ

経済停滞する日本に見切りをつけて国外へ脱出する若者はいま少なくないらしい。外務省によると、海外で暮らす日本人の数は30年間で倍増しているそうだ。本連載ではITや語学のスキルを活かして経済的安定を海外で掴み、QLCを抜け出すケースを取り上げてきたが、木原さんもそのひとりだ。

京都出身の木原さんは高校2年の夏休みに興味本位で始めたオンラインゲームにハマり、ネトゲ廃人化。以降、遅刻や早退を繰り返す高校生活を送り、「大学だけは出ろ」という両親に従い、いわゆるFラン大学に入学した。

「深夜に寝て昼前に起きるという生活で、年間100回以上遅刻していたので、高3に上がるのもギリギリ。遅刻して学校に行き、早退で帰るみたいな感じでしたが、なんとか3年で高校を卒業しました」

社会で生きていくうえでは、大学を出てレールに乗ることが大切……両親はそう感じていたのだろうが、ネトゲに夢中な木原さんの耳には届かなかった。大学進学後も状況は変わらず、1日の平均プレイ時間は14時間という中毒ぶりでゲームに打ち込み、大学2年に至るまでの約4年間で100万円以上を課金したという。

まさに人生の夏休み的生活を謳歌していた木原さんだったが、大学2年の前期に大学の掲示板で、交換留学生の募集を見つけたことが大きな転機となる。

「周りの人間関係や自分の将来を考えて、ネトゲを断ち切ろうと思い、中国への交換留学の説明会に行きました。『留学すれば強制的にまったく違う人生なるかもしれない』という期待感だけで、とりあえず日本から脱出しようと」

このままネトゲにハマっていていいのか……という葛藤は、彼も持っていたらしい。

本来、大学の交換留学には一定の語学力が求められるが、折りしも当時は「段ボール肉まん」「冷凍ギョーザによる食中毒事件」など、中国産食品のバッドニュースが世を騒がせていた頃。木原さん以外に希望者がいなかったという幸運も重なり、すんなり上海に程近いところにある、蘇州大学への留学が決まった。

「私自身はネトゲさえプレイできていれば満足で、ネトゲに対してネガティブな思いや、それを断ち切る強い決意が正直あったわけでもないです。ただ、説明会で『ぜひ、お願いしたい』と言われて、頷けば留学できるという状況だったので。『留学する道もアリ』という感じでした」

中国行きが決まった後も中国語や土地勘はゼロのまま。出発の3時間前までネトゲをプレイし、1時間で荷造りを整えて空港へ向かったそうだ。

カルチャーショックを受けて語学の勉強にハマる

かくして始まった留学生活で木原さんは語学の勉強に覚醒し、ネトゲ断ちに成功。クラスを2回飛び級し、1年間で2年半分の課程を修めたというから、ゲーマーのバイタリティーや集中力は侮れない。

「とりわけ中国人女性と交際したことが語学の上達に効きましたね。まだまだ自分の語学レベルが低い状態で付き合い始めたんですが、彼女がほかの友達と私以上のコミュニケーションをとれている状況って、やっぱり悔しいもんで。自然と勉強も頑張るようになりました。英語と同じでネイティブとの会話って難易度が高いので、最初の頃はあまり日本人とは現地でつるまないようにして、中国語でコミュニケーションできる留学生同士でよく会話するようにしていました」

異性やパートナーの存在は、語学を学ぶ大学生にとって強い動機には違いない。だが、お世辞にも日本では勉強熱心な学生ではなかった木原さんは、なぜ中国に行った途端、人並み以上に語学の勉強を頑張ろうと思ったのか?

「そもそも留学前は世間的な中国に対するイメージすらなかったんですが、現地に行って中国のことが好きになったのはありますね。中国人の直接言いたいこと言う動物的なコミュニケーションが、自分は気持ちが良く感じて、この人たちともっとわかり合いたいという気持ちになりました。

私自身が、本音と建前を使い分ける文化が強い京都出身というのもあると思います。留学して最初の頃、スーパーで買い物をしたら釣り銭を雑に叩きつけるみたいな感じで渡されたことがあって。単にその時、その店員の機嫌が悪かっただけなんですが、レジに来た客だろうと構わず、その気持ちを表に出せちゃうって、すごいなと。驚きましたけど魅力的に感じました」

中国での生活が思いのほか肌に合った木原さんは、1年間の交換留学後、北京にある清華大学や、大連にある大連外国語大学へ留学。計2年間を中国で過ごし、その後さらにオーストラリアで1年間の語学留学も経験する。

「英語に関しては日常会話ができる程度ですが、今の会社でも英語は使っています」とのことだが、それもエリート中国人学生に英語ができないことを直接バカにされたのが理由らしい。

新卒入社した専門商社を1年半で退職

「帰国後は中国語を活かして国内就職しようと思い、商社や貿易会社をいくつか受けましたが、その頃はネトゲ廃人だった過去や就活の現実に直面したような時期だった気がします。

語学ができる就活生の中でも学歴フィルターはあるし、中国語や英語が自分と同じくらいできて、有名大学の学生が目指すような会社に就職するのは現実的ではなかったので。けっこう就活はテキトーでした」

その抜群のバイタリティーから、本連載でよく用いる例えである「迷走」は似合わず、どちらかと言えば「爆走」という雰囲気の木原さんだが、それでも社会人生活は順風満帆ではなかったよう。海外駐在を目当てに専門商社に就職するが、駐在まで3〜5年は国内向け事業に従事させるという会社の方針に耐えられず、1年半で退職したのだ。

その後、台湾出向を条件に観光コンサル事業などを行う零細企業に転職する。

「海外駐在に関しては内定前にあらかじめ説明されていましたが、結果的には我慢できなかったですね。しっかり言語化して考えていたわけでも、明確な不安があったわけでもないんですが、やっぱり20代前半の1年間ってめちゃめちゃ大きいし、忙しく働く中で時間の大切さを感じていたというか」

QLCに陥る若者は年齢とともにとれるリスクが減っていく感覚に非常に敏感だ。30代・40代になって振り返れば20代の数年間の忍耐など短いものだが、若者の1年を同じ重みや時間感覚で捉えるべきではないだろう。

もっとも、ネトゲに時間を費やしていた頃からは想像できないような意識と言えなくもないのだが、木原さんの場合、留学先での経験も当時の焦燥感の要因だったようだ。

「中国の日本人留学生のコミュニティーって、私の頃は全体的に少し落ちぶれた感のある人も多かったんですが、やはり中には英語がもともと堪能で、名門大学で第三言語として中国語を選択し、留学しているような優秀層もいて。とくに帰国後はそういう人たちと自分を比べてしまいがちなところはあったかもしれません。

新卒で入社した専門商社では完全に日本語で取引先とやりとりする国内向け業務をしていましたが、残業や休日出勤も多く、どんどん周りに置いていかれる感覚がありました」

台湾で見つけた家庭教師という「天職」

「2社目の会社は台湾人観光客を関西の観光施設に呼び込むため、台湾の旅行会社などに契約先の宿泊施設や飲食店を売り込み、それに付随して広告などの翻訳や通訳をする仕事でした。

なんでも屋だったので大変は大変で、給料もフルタイムで月10万円程度と前職の半分以下でしたが、台湾では普通に生活できる収入で、零細企業時代のほうがやりたいことをできている充実感はありました」

しかし、入社1年半で会社の業績が行き詰まり“現地解散”。そのまま台湾に残り、旅行業の企業へ転職。コロナ禍を経て、現在は台湾のフィンテック企業に勤める。

「事実上の倒産で、『もし帰国するなら関連企業に紹介するけど、現地に残るなら自分で仕事を探してほしい』とのことでしたが、もともと好き好んで海外で働いていたので、とくに暗い雰囲気はなかったです。

給料10万円で台湾に出向していたので、副業として自分の語学力アップも兼ねて日本語の個人家庭教師を台湾で始めたんですが、会社が解散する頃には当時の本業と同じくらい稼げるようになっていたのも大きかったですね」

現在も家賃3万円(エレベーターなし・5階)の部屋に住みながら、毎月20万円ほどを投資資金に当てているそうだが、その財源となっている家庭教師の副業は、彼にお金以上の充足感を与えてくれているようだ。

「1時間半で5000円〜7000円と、新卒の給料が12万円ほどの台湾ではちょっと高い価格設定なのですが、インターネットで生徒の募集をかけると、空きコマができてもすぐ埋まるような状態です。

台湾では日本より結婚に対する価値観が多様化しているので、そういう悩みを聞くことが多いですね。台湾はパートナーはいても結婚しない、子ども産まないって人が多く、同性結婚が認められる場合もある一方、親世代は逆に日本より保守的な人が多く、相談できる相手が少ないようで。

その点、私は日本人で、話が外に漏れる心配がない。『自分の知り合いと交流がない、言葉が通じる外国人』というのは、相談相手としてちょうどいい存在なんですよね(笑)。日本語の勉強のための先生というより、精神面で支えてくれるカウンセリングの先生だと喜んでくれる人が増えたのは自分としても想定外でしたよね」

人と違った生き方をしてきた木原さんだからこそ、生徒も話しやすいのだろう。そう伝えると、木原さんはやや照れながらこう続けた。

「生徒さんたちには本当に感謝してもしきれません。最初は『相談を聞いてアドバイスするだけでお金がもらえるなんてラッキー!』といった気持ちでしたが、今では『これが自分の好きなことなんだ』と認識しました。家庭教師という仕事は、自分にとって天職です」

ちなみに、家庭教師の副収入と合わせて、年収は現在700万円ほどだという。だが、日本企業と違い雇用が流動的なこともあり、第三の収入源を築こうと、ここ数年は株式投資にも熱を上げているとのことで、ここでもバイタリティーがスゴい。

他者の悩みと向き合い、自分のQLCも抜けていった

台湾での生活を経済的に安定させるために始めた家庭教師の仕事で、さまざまな人の悩みを聞くうちに、木原さん自身のクライシスも落ち着いてきたという。

「10年後、20年後どうなるかわからない不透明感はありますが、日本の大企業で働く人だってそれは同じだろうし、どうなっても仕方ないと思っている意味では、QLC的な悩みはもうないです」


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最後に興味本位で、木原さんのご両親について聞くと、こう語っていた。

「『将来はできれば公務員に』みたいな堅い両親でしたが、留学した頃からは『大企業とかじゃなくても自分の能力を活かせる好きな仕事をしたほうがいいかもね』という態度に変わっていました。

思えば、ネトゲ廃人だった頃から自分のことを信じて応援してくれる親ではあったなと感じています。当時は毎年のようにパソコン壊していたんですが、普通に買い替えてくれていましたからね。

台湾の永住ビザも取得できたので、今後は自分の好きなタイミングで好きなことだけして生きていけると思っています。40歳までに会社勤めを辞めようって考えていて……実はネトゲは今もちょっとやっているんですが、いつか京都に戻って、時間を気にせず没頭したいと思います」

子どもが毎日ずっとゲームをしている……親としては心配に思えるかもしれないが、なにかに没頭できるというのは素晴らしいことだろう。子育てや教育というものの奥深さを感じさせる話だった。

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(伊藤 綾 : フリーライター)