日本のマンションの歴史を彩り、一時代を画し、現在にも名を残す名物マンションについて振り返っていきます。その時代のトレンドを先取りし、現在のマンションのベースを築いたマンションといってもいいでしょう。まずはマンション黎明期の名物マンションから紹介していきます。

日本初の分譲マンション「宮益坂ビルディング」|1953年築・11階建て

日本における民間分譲マンションの第1号は、東京・四谷の四谷コーポラスといわれています。しかし、“民間”という文字をはずすと、実はそれ以前に分譲されたマンションがありました。それが、東京・渋谷の宮益坂ビルディングです。

四谷コーポラスは1956年の竣工ですが、宮益坂ビルディングは1953年の竣工で、東京都によって分譲されました。当時はまだ日本住宅公団(現在のUR都市機構)、都道府県の住宅供給公社もなかった時代で、都道府県が直接供給していました。

分譲時の資料を見ると、当時めずらしかったエレベーターやセントラルヒーテンィグなどを備えた11階建ての高層マンションでした。今は多くのビルが林立する渋谷駅周辺ですが、その頃あったビルは東横百貨店(後の東急百貨店東横店、2020年に閉店)ぐらいで、11階建ての建物はひときわ目立っていました。

分譲価格は住戸によって異なりますが100万円前後で、当時の会社員の平均年収の5倍程度。何しろ一般向けの住宅ローンがまだ存在しない時期だったので、現金で購入するしかなく、庶民にとっては高嶺の花だったようです。

この宮益坂ビルディング、四谷コーポラスともに旭化成不動産が中心となって建て替えられて、現在は最先端のマンションになっています。

※実際のマンション画像は下記の出典先でご確認いただけます。リンクが表示されない場合は、オリジナルページをご確認ください。

出典:旭化成 マンション建替え研究所ホームページ

超高層マンションの先駆け「三田綱町パークマンション」|1971年築・19階建て

今では、超高層マンションといえば20階建て以上が当たり前になっています。その条件を満たす日本初の超高層マンションは、1976年竣工の住友不動産が埼玉県与野市(現在の埼玉県さいたま市)に分譲した与野ハウスといわれています。

しかし、その5年前の1971年には三井不動産の三田綱町パークマンション(東京都港区)が誕生しています。最高階は19階であり、20階以上には当てはまりませんが、当時の報道では、「東京タワー、霞が関ビルに次ぐ、日本における第3の高層建築物」ともてはやされました。三井不動産の最高級ブランドである「パークマンション」シリーズの第1弾でもあり、19階建てとはいえ、高層マンションの先駆けといっても問題がないのではないでしょうか。

※実際のマンション画像は下記の出典先でご確認いただけます。リンクが表示されない場合は、オリジナルページをご確認ください。

出典:三井不動産レジデンシャル株式会社ホームページ

都心のヴィンテージマンションの象徴「広尾ガーデンヒルズ」|1987年全体竣工・7階~14階建て

広尾ガーデンヒルズの街並み(画像:PIXTA)

東京メトロ日比谷線の広尾駅から徒歩4分という都心の至便な立地にありながら、周辺の喧騒とは一線を画する閑静な住宅地の中に建設された広尾ガーデンヒルズ(東京都渋谷区)。敷地面積6.6万平方メートル、全15棟、総戸数1,181戸という規模感だけではなく、高低差を活かした配棟計画、独自のコンセプトによるゾーニング、デザインにこだわった建物が、豊かな緑に囲まれています。どれをとっても色あせることはなく、今でも高い人気を誇り、都心のヴィンテージマンションの象徴と言っていいでしょう。

住友不動産を中心に、三井不動産、三菱地所の御三家と、第一生命保険の4社による共同事業で、施工も清水建設、鹿島建設、大成建設、大林組など日本を代表するゼネコンが手がけました。不動産、建設業界のオールキャストによる一大プロジェクトでした。

全体竣工は1987年ですが、人気エリアかつ話題満載の大規模物件ということもあり、1982年の分譲開始時の倍率は40倍を超え、最高倍率は209倍に達しました。

超高層マンション時代を切り開く「エルザタワー55」|1998年築・55階建て

エルザタワー55(画像:PIXTA)

エルザタワー55(埼玉県川口市)は大京によって開発された55階建ての超高層マンションです。1998年竣工で、高さは185メートル。竣工時には居住用の建築物としては日本一を誇り、2004年まで日本一の座を守りました。

2000年に入ってから超高層マンションが急増しますが、エルザタワー55は、超高層マンションブームの先駆け、超高層マンション時代を切り開いた物件と言っていいかもしれません。

単に高さだけではなく、総戸数650戸という規模の大きさとともに、ペデストリアンデッキで結ばれた商業棟にはスーパーマーケット、フィットネスクラブなどが設置されました。また、保育園、医療施設、飲食施設なども誘致し、超高層マンションを中心に生活に必要なものがすべて揃う街が形成されました。その後の超高層マンションを中心とする街づくりへの指標ともなり、現在も大京グループで不動産流通部門を担う大京穴吹不動産のホームページにはエルザタワー55のページが設けられ、コンセプトから設備仕様まで細かく紹介されています。

バブル崩壊後の都心回帰の流れを築く「東京ツインパークス」|2002年築・47階建て

東京ツインパークス(画像:PIXTA)

1980年代のバブル時代、地価が高騰して都心やその周辺のマンション価格が値上がり、平均的な会社員では手が届かなくなったため、マンション立地はどんどん郊外化しました。しかし、1990年代のバブル崩壊で地価も下落、都心やその周辺にマンションが多く建設されるようになりました。

それを象徴するのが、東京ツインパークス(東京都港区)です。国鉄(現在のJR)の貨物駅跡地の再開発の一環で建設された47階建ての2棟、総戸数1,000戸のメガマンションです。三菱地所が中心となって、三井不動産、住友不動産、東京建物などの大手不動産会社が共同開発し、2002年に完成しました。

「200年経っても古びないデザイン」がコンセプトで、段差の解消、手すりの設置から空間構成、設備機器に至るまでユニバーサルデザインの思想が徹底されています。また、浜離宮を見下ろすという立地から、敷地内には3つの趣が異なる庭が設置され、都心のマンションとは思えない緑に囲まれた住まいとなっています。

都心の駅前物件の高価格を決定づける「ブリリアタワーズ目黒」|2018年築・38・40階建て

ブリリアタワーズ目黒※写真右側(画像:PIXTA)

ブリリアタワーズ目黒(東京都品川区)は、JR山手線などが利用できる目黒駅徒歩約1分、人気エリアの駅前物件で、38階建て・40階建てのツインタワーで、総戸数は960戸。開発は東京建物で、施工は大成建設と竹中工務店です。

2018年の竣工で、2015年の第1期販売では495戸が平均倍率3.5倍、最高倍率43倍で完売するほどの人気を集めました。販売価格は4,850万円~4億5,900万円で、平均販売価格は1億1,434万円と高額でした。

出典:東京建物株式会社「平成27年7月23日ニュースリリース」

オリンピックの選手村マンション「晴海フラッグ」|2023年秋完成予定・14階~18階建て

晴海フラッグ※写真手前(画像:PIXTA)

晴海フラッグ(東京都中央区)は周知のように、東京2020オリンピック・パラリンピックで選手村として利用された後、現在は分譲マンションへのリフォームが進められています。総戸数は4,145戸で、三井不動産レジデンシャル、三菱地所レジデンス、住友不動産など、日本を代表する不動産会社10社の共同事業です。これまでのマンション開発のノウハウをすべてつぎ込んだ集大成といっても過言ではありません。

約18万平方メートルの広大な敷地や周辺に、住宅だけではなく、交通・商業・公園・学校・保育など、暮らしに必要なものが揃う、まさに都心隣接型のコンパクトシティーです。これからのマンションの方向性を決定づけるプロジェクトと言っていいでしょう

中高層マンションは2023年の竣工予定ですが、すでに2019年から分譲が始まっています。オリンピックの延期などの影響もあって一時販売が中断していましたが、2021年11月からは第2期販売が始まりました。もともと、選手村として利用することを前提に、東京都がかなり安く土地を提供しているので、価格面では割安感があります。この2年間、都心のマンションが上がり続けている中でも、販売価格はほぼ2019年と同じ水準に抑えられており、お買い得感がさらに高まっているのではないでしょうか。

最寄り駅の都営地下鉄大江戸線の勝どき駅から徒歩20分前後という徒歩時間の長さというハンデがあるなかでも、人気を集め、購入希望者が多いようです。

これからどんな名物マンションが登場するのか

日本のマンションの歴史に名を残してきたマンション、またこれからレガシーとなりそうなマンションを取り上げてきました。それぞれの時代を象徴するマンションであり、その後のマンション開発に大きな影響を与えてきました。

今後分譲されるマンションの中から、将来的にそうした名物マンションに名を連ねるような物件を見つけるためにも、過去の事例を参考にしてもらいたいものです。