■なぜ岩崎容疑者の写真は「中学生時代」だったのか

5月28日の朝、神奈川県川崎市多摩区で私立カリタス小学校の児童ら20人が次々と殺傷された。この事件の背景を知るうえで参考になるのが、岩崎隆一容疑者(51)の写真だ。

新聞やテレビで使われている岩崎容疑者の顔写真は、どれも中学校の卒業アルバムから接写されたものだ。なぜ、35年以上も前の顔写真が使われているのか。だれもが「現在の写真はないのか」と思うはずだ。

児童らを殺傷した岩崎隆一容疑者の自宅に家宅捜索に入る神奈川県警の捜査員=29日、神奈川県川崎市麻生区(写真=時事通信フォト)

新聞やテレビは事件発生直後から岩崎容疑者の顔写真を探し回ったはずだ。だが、どうしても中学生のときの写真しか見つからなかった。これは岩崎容疑者が中学校を卒業してから社会との接点をほとんど持たなかったことを示している。

報道によれば、スマホやパソコンも持っていなかったという。一体、どんな生活を送っていたのか。これまで外の世界と関係をほとんど持たずに生きてきたのだろう。まさに「ひきこもり」である。

■具体的にどんな人生を送ってきたのか

「8050問題」という言葉がある。80代の親が、ひきこもりの50代の子供の生活を年金などで支える問題だ。ひきこもりが社会問題として認知されはじめた1980〜90年代にかけては、多くのひきこもりはまだ若かった。だが、30年という歳月がたち、当時の若者が40〜50代、その親が70〜80代となり、問題がより深刻になっている。8050の親子が社会的に孤立し、生活が成り立たなくなり、餓死や無理心中などに至るケースも起きている。

岩崎容疑者の事件の背景には、この8050問題がある。

これまでの神奈川県警の調べによると、岩崎容疑者は川崎市内の小中学校に通っていた。当時、両親が離婚し、伯父伯母の2人が岩崎容疑者の面倒をみてきた。具体的にどんな人生を送ってきたのか。不明な点は多い。10年以上も仕事に就かず、川崎市麻生区の自宅の自室からほとんど出ない引きこもりの状態だった。もちろん結婚もせず、独身だった。いっしょに暮らしていた伯父や伯母との会話もほとんどなかった。

人は社会的動物といわれ、1人では生活はできない。それにもかかわらず、岩崎容疑者は51歳で自殺するまで孤独を貫いた。なぜなのか。

■事件直前に丸刈りにしたので、岩崎容疑者だと分からなかった

事件直前、岩崎容疑者は突然、髪を切り、頭を丸刈りにした。犯行への強い決意の表れだったのだろう。

身元確認で写真を見せられた同居中の伯父や伯母は、丸刈りのために岩崎容疑者だと分からなかった。このため神奈川県警は岩崎容疑者の指紋を採取し、自宅に残っていた指紋と照合するとともにDNA鑑定も実施した。身元確認は手間取り、12時間以上もかかった。

神奈川県警が家宅捜索に入ったところ、岩崎容疑者の自室は日中でも薄暗く、漫画本やゲーム機が散らかっていた。思想性の強い書物や偏向した趣味をうかがわせるようなものはなかった。遺書もなかった。結局、押収されたのは犯行に使ったとみられる包丁の空き箱やノート、本、キャッシュカードなど計約30点だけだった。犯行時にはいていたジーンズのポケットには現金10万円が入っていた。

岩崎容疑者は28日午前7時40分ごろ、カリタス小学校のスクールバスを待っていた児童らを柳刃包丁2本で襲い、その直後に自刃した。なぜ、20人もの児童らを殺傷したのか。類似事件の再発防止のためにも、犯行の動機の解明は欠かせない。

■元農水次官の長男刺殺事件の動機にも影響

岩崎容疑の事件は波紋を広げている。

たとえば、農林水産省の元事務次官の熊澤英昭容疑者(76)が、44歳の長男を刺して逮捕された事件だ。6月1日、東京都練馬区早宮の自宅で、熊澤容疑者は長男を包丁で刺して死亡させた。警視庁は熊澤容疑者を殺人未遂の疑いで逮捕し、3日には容疑を殺人に切り替えて検察庁に送った。

これまでの調べによると、熊澤容疑者は「長男は引きこもりがちで、家庭内暴力があった」と話していた。その後の調べに対し、「川崎の殺傷事件を知って自分の息子も周りに危害を加えるかもしれないと不安に思った」と供述している。

霞が関の官庁で事務方トップの事務次官まで務め上げた人物が、わが子を殺す事件は何とも悲惨である。これまで報じられた供述によれば、岩崎容疑者の事件が引き金を引いたことになる。

ネットでは「ひきこもりは悲惨な事件を引き起こす」「ひきこもりの人間は犯罪予備軍だ」という非難の声も聞こえるが、そう考えることに沙鴎一歩は反対である。

■1人で死ねば、すべての問題は解決するのか

ひきこもっている人は、決して凶悪な犯罪者ではない。ひきこもりを偏見視することは、彼らをさらに社会から隔絶することになる。その行き着く先は自殺だろう。それでいいはずがない。

岩崎容疑者に対し、テレビの情報番組で「小学生を巻き込まずに1人で死ねばいい」との趣旨の発言をする著名人が目立つ。

報道によれば、ニュースキャスターの安藤優子氏は事件発生直後の5月28日、フジテレビ「直撃LIVE グッディ!」で「自分1人で自分の命を絶てば済むことだ」と発言した。これにコメンテーターで弁護士の北村晴男氏が「死にたいなら1人で死ねよ、と言いたくなる」と応えた。

同じ28日、TBS「ひるおび!」では、落語家の立川志らく氏が「死にたいなら1人で死んでくれよ」と話した。

こうした非難の声がテレビ番組から発信され、ネット上でも拡散していった。

■悩んでいる人を、さらに苦しませるだけ

これに反論したのが、貧困者を支援するNPO「ほっとプラス」の代表理事の藤田孝典氏だった。藤田氏はYahoo!ニュース(個人)で「川崎殺傷事件『死にたいなら一人で死ぬべき』という非難は控えてほしい」と呼びかけた。この藤田氏の反論は、ネット上だけでなく、テレビの情報番組でも取り上げられ、大きな話題になった。

沙鴎一歩は藤田氏の考え方に賛成である。テレビでコメントする場合、出演者は冷静かつ慎重になるべきだ。「1人で死ねばいい」という感情的な思考は、あまりにも単純だ。

「1人で死ねばいい」という発言が繰り返されることは、ひきこもりなどで悩んでいる人を、さらに苦しませるだけだろう。

■なぜ無防備な子供たちが狙われてしまったのか

新聞各紙は社説でこの問題をどう扱っているか。

5月29日付の毎日新聞の社説はその序盤で「状況から無差別殺傷事件の可能性が強い。容疑者は犯行後、自殺したとみられている。無防備な子供たちがなぜ狙われたのか、動機についての警察の捜査が待たれる」と書く。やはり重要なのは、無差別殺傷事件に対する動機の解明である。

毎日社説は続けて書く。

「児童8人が男に刺殺された2001年6月の大阪教育大付属池田小の事件を思い起こす。あの時は、校内に入った男が犯行に及んだ」
「今回は、路上で起きた事件だ。本来安全なはずのスクールバスが狙われたところに、事件の持つ衝撃の大きさがある」
「スクールバスに乗り込もうと集団でいた子供たちが被害に遭った今回の事件は、これまでの対策が想定していなかったことだ」
「安倍晋三首相は、小中学生の登下校時の安全確保について対策を講じるよう改めて柴山昌彦文部科学相らに指示した。どう子供たちを守るか、政府レベルでも議論が必要だ」

想定外の事態は起きる。大切なのは起きてしまった後、どう再発防止に努めるかである。

この事件は社会的な問題である。警察と検察が動機をしっかりと調べるだけでなく、それらを基に専門家が岩崎容疑者といまの社会との関係について徹底して掘り下げることが必要だろう。

■本当に警備員を配置すれば、事件を防げるのか

「予兆はなかったのか。なぜこの場所が狙われたのか。容疑者は死亡しているが、警察は動機や、凶行に至る経緯を出来る限り解明すべきだ。捜査結果を何らかの形で公表し、社会全体で教訓をくみ取れるようにしてほしい」

こう訴えるのは、5月30日付の読売新聞の社説である。なるほど、調査結果は社会全体で共有できるようにすべきだ。

読売社説は後半で登下校の安全対策について言及する。

「通学路の安全は度々問題になっている。一昨年、千葉県松戸市で、登校中のベトナム国籍の小学女児が殺害された。昨年5月にも新潟市で下校中の女児が犠牲になり、文部科学省は改めて、学校に通学路の点検を求めていた」
「登下校の安全対策の基本は、子供を一人にしないことだ。集団登下校やスクールバスの活用は子供を守る手段だった。ところが今回は、バスを待つ集団が襲われた。想定外の事態と言うほかない」
「子供の集合場所には、教員に加えて警備員を配置するなど、地道な努力を重ねる必要がある」

スクールバスを待つ児童が標的→想定外→警備員の配置。これが読売社説の論法だが、やみくもに警備を強化しても人員や経費がかかるだけだ。今回の事件の動機をしっかりと解明し、的を絞って対策を講じるべきである。

動機を解明していくうえで忘れてならないのは、これまで起きた同様な事件と比較し、そこから共通項を探ることだ。海外の事件も参考にしつつ、共通項に応じて、それに見合った現実的な対策を練ることが肝要だ。

■川崎の殺傷事件を契機に議論すべきこと

5月29日付の東京新聞の社説が学校の安全対策についてこんなことを書いている。

「ただ学校や通学路などを要塞のようにして地域や社会との接点をなくしてしまうことは、長期的な視点で子どもたちの心を育み、安定させることにはつながらないだろう。そこが悩ましい」
「池田小児童殺傷事件の遺族の一人は講演で、学校の安全対策とともに、犯罪者を生まない社会づくりの必要性をこう訴えている。『命の大切さが次の世代に伝えられるよう(子どもたちを)導いてほしい』。米国では昨年、高校での銃乱射事件などをきっかけに、高校生たちが銃の規制強化を求め、デモを行うなどの運動を始めた」
「子どもたちが命の大切さや社会正義を信じることができる社会を維持する。そのためにできることを議論し、実行する。それが大人に課せられた使命だ。今回のように、事件という形で困難が訪れたとしても」

川崎の殺傷事件を契機に「心の教育」「犯罪を生まない社会」「命の大切さ」「社会正義」をあらためて考え、議論すべきだと思う。

(ジャーナリスト 沙鴎 一歩 写真=時事通信フォト)