今の大学生がXやInstagramといったSNSと、どう付き合っているかをお伝えします(写真:bee/PIXTA)

若者と接する場面では、「なぜそんな行動をとるのか」「なぜそんな受け取り方をするのか」など理解しがたいことが多々起きる。

企業組織を研究する東京大学の舟津昌平氏は、新刊『Z世代化する社会』の中で、それは単に若者が悪いとかおかしいという問題ではなく、もっと違う原因――たとえば入社までを過ごす学校や大学の在り方、就活や会社をはじめとするビジネスの在り方、そして社会の在り方が影響した結果であると主張する。

本記事では、前回に続いて、著者の舟津昌平氏がZ世代の東大生3名に、世で語られるZ世代像へのリアルな意見を聞いていく(3名は仮名、敬称略)。

SNSってどう使ってる?


舟津:今回は、みなさんの大学生活のリアルについて伺っていきたいと思います。まずは、若者を代表するツールと称されているSNSについて。みなさん自身、あるいは、周りの人がXやInstagramといったSNSと、どう付き合っているかについて、教えていただけますか。

中村:そもそも、僕はあんまりSNSやっていないですね。

原田:私もほとんどやってないです。

菊池:僕もインスタで発信することはないですね。

中村:もしかすると、僕たちはZ世代の中でも使っていない側という偏りがあるので、今回の座談会では、その点はノイズになるかもしれません。

舟津:いや、これは大事な機会ですね。つまり、おそらくはマイノリティになりつつある、SNSをやっていない人、どっぷりやっていない側から見て、SNSをやっている人たちがどう見えているか、あるいはなぜやらなかったのか。そのあたりを伺ってみたいです。

中村:僕は、SNSをやる必要性がなかったのが一番の理由です。つまり、自分のリアルなコミュニティで満足できているので、不特定多数と繋がらなくてもいいと思っているからですね。一応、インスタでもリアルな友だちと繋がってはいますが、コミュニケーションは基本的にLINEでやっています。でも、リアルのコミュニティがなかったら、もしかするともっとSNSをやっていたのかなとも思いますね。

原田:私はずっと昔から、ニコニコ動画とかYouTubeは好きで、そのときからネットは怖いものだっていう認識がありました。ニコニコに書き込みをするなんて恐ろしいことを、と少し思っていたことがあったし、時々見聞きするXでカギをかけずに発信する危険性もそれに近いものなのかなと。

ただ、カギしているのであれば、インスタはやっています。と言っても、インスタを始めたのも去年の9月からで、友だちから「なんで写真が趣味なのに君はインスタをやってないの?」って言われて始めたんですけど(笑)。

だから私は、リアルの交友関係とインスタの交友関係はほとんど同じもので、知らない人と繋がるために使うというよりは、むしろ、ストーリーでみんなの近況がわかるから、リアルの交友関係を助けるものとしてインスタを使っているところはありますね。小学校高学年とか中学生の最初くらいまでは、LINEでもタイムライン機能が動いていたんですけど、今は誰も使っていないので、LINEだけでは近況がほとんどわからなくなりました。

菊池:僕の場合は、インスタは友だちと繋がるためにも使ってなくて、通っているジムの会館情報がインスタに上がるので、それを確認するときだけに使っています。Xもやってはいますが、リアルの友だちとは繋がってないです。そもそも僕が、友だちが今何をやっているかに興味がなくて、直接会ったときに話せばいいやと思っているからですね。

手段としてSNSを使いこなしている

舟津:なるほど。そういう意味では、みなさんSNSを手段として使いこなしていますね。

中村:たしかに、そうかもしれません。僕はさっき、必要性がないからSNSを使っていないって言いましたけど、目的があったら使いますね。SNSって複数のアカウントを作れるので、それぞれの目的に沿ってアカウントを使い分けることができます。かくいう私も、就活のときは就活アカを作っていました。SNS使っていないって言いましたけど、全然嘘でした(笑)。

就活の情報って、自分の周りだけでは集められないんで、就活中は毎日Xを見ていましたね。目的があれば、普段使わない僕でもやるんだなという気付きがありました。

菊池:それで言うと、全然収益化はしてないんですけど、僕はYouTubeを手段としてやっているところはあります。きっかけは、とあるYouTuberグループの裏方的なお仕事を業務委託でやることがあって、そのときにYouTubeに関して自分でもいろいろ検証するためにゲーム配信なんかをやったりしていました。その時に、見てくれた方がXでフォローをしてくれることがあるので、ますますゲーム関連の情報がXで入手できるようになったり、「今から配信します」というのを告知するためにXを活用していました。

舟津:やっぱりわれわれ世代とも差があるのを感じますね。ツールとしてこれだけ進化したもの、しれっと使いこなして、しれっと発信者側に回ったりとかすることが、珍しくなくなっている。それはすごいことだし、乗りこなしていますよね。

広い意味ではSNSとも関連した話として、中学・高校時代のコミュニティと大学でのコミュニティの違いについても伺ってみたいです。中高時代の狭い世界、集団性がある中で、大学に入ってそれは変わったかとか、同じ感じだったかとか。そういうお話を伺えたらと。

中高と大学でコミュニティはいかに変容したのか

中村:中高時代はめちゃくちゃ狭かったですね。それ以外の世界がないかのようで。そこからネットの世界に行けるかというとそうではなくて、場合によっては「ネットばっかりやってる陰キャ」みたいなスティグマを押されかねない。だから、すごく狭い世界の中で生きる必要があって、さらにそれぞれでLINEやインスタを使いつつグループを作るから、「いろんな人がいるよね」っていう多様性に向かうよりは、むしろどこか排他的な感じがありました。

でも、大学では明らかに世界は広がったなと認識しています。単純に関わる人数や属性が増えたのが大きいですね。サークルに入って先輩・後輩がいたり、バイトを始めて社会人や他の大学の学生と関わったり。

舟津:中学・高校って、周りと差別化したグループになることをかなり意識しているところがありますよね。なんとなく仲いい人たちだけで繋がっているというよりかは、「このグループは何々のグループだ」というアイデンティティ化が重要視されている。

それは昔からあると同時に、中村さんがおっしゃったようにLINEなどを通じて可視化されて、グループを作りやすくなったのかなと思います。さらには、それがカースト化に繋がるという感じですかね。原田さんはいかがですか。

原田:幸運なことなのかはわからないですけど、中高と大学で、世界が大きく変わった感じはなかったです。私は、中学・高校で学級委員をして、それなりに勉強を頑張っていたので、鶴の一声でいう鶴のようなことが、どちらかというとできたのが大きな要因かもしれません。たとえば、クラスでいじめっぽいことが起きたとしても、やめようと声をかけることができた。そのうえ、一人で過ごすことにも抵抗はなかったので、集団から一時的に距離をおくこともできました。だから、中高では偏狭な集団性に悩まされるようなことはなかったように思います。

大学では大人びた人が多いとは感じますが、高校・大学問わず、お互いをリスペクトする雰囲気は変わらないと思いますね。

リーダー受難の時代

舟津:なるほど。言うなれば、原田さんは中高時代はリーダーであったということですね。

原田:いや、それは自分では迷うところです。肩書だけ見れば学級委員ではあるかもしれませんが、今になって振り返ってみると、人に対する関心があまりなかったとも言えるし、本当に慕われていたか否かって言われると、自分では疑問に思うところです。

舟津:私は中高時代の原田さんを全然知りませんけど、外から聞いている分には、めっちゃリーダーだと思いますよ。でも、原田さんの葛藤は現代的に重要なテーマで、いわばリーダー受難の時代というか。現実的にリーダーをちゃんとできている人が、それを自覚できないことが増えてきている。

「罰ゲーム化する管理職」って言われるくらい、管理職に求めるものが多くなっていて、ある意味リーダーが過大視されている。だから、自分はリーダーをできているかって考えるときのリーダーの基準が、非常に高くなっているのではないかと。

原田:そうですね。私はリーダーの役割の1つに、人の内面まで入って何かを訴えかけることがあると思っていて。おそらく、管理職も部下の人が活躍できるようにそういうことをする必要があると思うんですけど、干渉することが好まれてないようにも思ってしまって。だから、そうしたことができないのに、リーダーを名乗っていいのかなっていうのはありますね。

舟津:なるほど。たしかに、そうした振る舞いはリーダーに必要な部分ではありますね。でも、それが必ずしも受容されないこともわかっている。周りが見えすぎているかもしれませんね。

私は経営学者なので、いろんな経営者について学びますが、他者に踏み込むというところには躊躇がない方が多いとは感じます。でも、視野の狭さゆえの強さ、鋭さは、良い方向に働くこともある。強い思い込み、自分の信念が経営の舞台で成功に繋がることで、自身の信念が社会の一般法則だというくらいに思い込んでいく。

もっと雑に言い換えると、SNSを実名カギなしで発信し続けているような自信の強さ、とでも言いましょうか。ある調査によると、社会的地位が高い人、年齢が高い人ほど、そうしたことをする傾向にある。年を取った人には熟慮があって、若い人は向こう見ずである、みたいな旧来的なイメージとは、SNSに関しては真逆のことが起きている。こういうのは面白いですよね。

菊池さんは、中高と大学を比べてどう思われますか。

同調圧力がある中で、いかに自分を貫けるか

菊池:高校時代の僕は、結構浮いていたように思います。部活に所属していたんですが、勉強にも熱を入れていたので、練習終わりはすぐに塾へ行っていました。そのときの部活のメンバーからは、僕を塾に行かせないようにスクラムを組まれることもあって。

学校の授業も内容的に信用していなかったので、部活が終わった高3からはほとんど行かずに、単位が足りなくなりかけました。だから、高校のときから1人で行動することも多くて、そこは大学と変わらない気もします。

舟津:菊池さんはたしか地方から東大を受けてこられていましたよね。

菊池:はい、そうです。

舟津:菊池さんは自分があって、それを貫けていますよね。言葉を選ばずに言うと、さっき話した思い込みに近いものを持っている。

でも、実は東大って、全国からそういう人が集まる場所でもあったといいます。空想の話でしかないですけど、菊池さんがもっと周りに合わせる人間だったら東大に来られていないかもしれない。周りに合わせることによる機会損失はあると思うんです。

私の見立てでは、高校も大学も集団化が強くなっている。多様性を謳いつつも個人の逸脱を許さなくなっているような感じがしていて。自分の信念を貫くことで生まれる可能性ってあると私は思うので、本人がそう思うなら、間違っていたとしてもいいじゃないかとも思うんですよね。同調圧力がある中で、いかに自分を貫けるかというのは重要なテーマ。

中村:偏見ですけど、むしろ昭和のほうが同調圧力が強いイメージです。大学に入って、一斉に就職して、転職せずにずっとそこで働いて、みたいな。

だから、そういうところから優れた経営者が出てきているほうが、僕はすごいなって思います。むしろ僕の周りでは転職は当たり前で、「VUCAの時代だから、自分で考えないといけない」という感じですね。サンプル数としてはありえないほど小さいのは承知のうえで、我が強いやつとか、むしろ起業したい、みたいなのばっかりなので。

チャンスを発揮する環境は整っているが…

舟津:今のご指摘はすごく重要だし面白いところでもありますね。たしかに、昭和に比べると、選択肢や手段は今のほうがずっと豊かではあるんですよね。なので、中村さんがおっしゃっているように、少数の飛び抜けた人とか、外れ値的な能力を発揮できる環境にはなってきている。

中村:そうだと思います。

舟津高校生でもYouTuberになれるっていう話もそうだし、学生起業だってそうです。ほとんどないとはいえ、田舎の高校生がDMを送ってすごいチャンスをもらう、なんてことも可能性としてはある。

中村:友人にいますね。びっくりしたんですけど、九州でそういうチャンスをつかんで起業していました。

舟津:外れ値的な個人に対するフレキシビリティは、ものすごく上がってきている。これは間違いないんですよね。

一方で、真逆のことも起きていて、金沢大学の金間大介先生が本の中で書かれていたこととして、20歳前後ぐらいの人に、「あなたの結果を左右するものは何ですか」とか「社会で成功している人の要因は何ですか」って聞いたら、学歴やコネだと答える人が増えているそうです。つまり、集団帰属的になっている。

だから、学歴やコネに関係なく個人の力を発揮するチャンスが増えている一方で、特定の集団に属すればいいだろうという考えも広がっている。これは同時に起りうることでもあるんですよね。

では、最終回はみなさんのキャリア観や率直に今の社会に求めることについて深掘って伺えたらと思います。

(9月27日公開の第3回に続く)

(舟津 昌平 : 経営学者、東京大学大学院経済学研究科講師)