吉ヶ原を発車する中鉄北部バス。旧片上鉄道の駅舎がバスの待合室となっている(筆者撮影)

ローカル鉄道の廃止反対理由として、「鉄道がなくなると町がさびれてしまう」としばしば述べられる。しかし現実には鉄道の乗客が高齢者と高校生だけとなり、利用客数が極端に減少してしまったからこそ廃止論議が起こる。消えた鉄道の沿線地域と、鉄道を代替した公共交通機関は今、どうなっているのか。今回は鉱山産出品の輸送のため建設された、岡山県の同和鉱業片上鉄道沿線の現在を見る。

柵原鉱山は1991年に閉山

片上鉄道は柵原(やなはら)鉱山の鉄鉱石を輸送するため、1931年に片上―和気―柵原間が全通した。1957年に経営が同和鉱業(現・DOWAホールディングス)に移っている。

当初より片上港、もしくは国鉄山陽本線和気駅への貨物輸送のため建設された鉄道であり、沿線の人口は多くはなかった。貨物輸送のトラックへの転換を経て、円高による海外産の安い鉄鉱石の流入により柵原鉱山が1991年に閉山されると、使命を失って同年7月1日付で全線廃止されてしまっている。

廃止後は日生運輸(備前片鉄バス)により廃止代替バスが運転されていたが、経営難により同社が2015年にバス事業から撤退すると、その後は市営バスによって引き継がれた。けれども片上鉄道のルートは人の流れ、行政区分とは必ずしも合致していなかった面もあるためか、2023年現在のバスの運転ルートは、鉄道時代とは異なっている部分がある。

片上鉄道の起点であった片上駅は、1962年の国鉄赤穂線全通より先に存在しており、とくにほかの鉄道との接続はなかった。現在、駅跡はスーパーマーケットなどになっている。最寄り駅はJR赤穂線の西片上駅で、歩くと5〜6分かかる。


気動車を模した待合室がある片鉄片上バス停(筆者撮影)

片上―和気間は日生運輸が撤退した際、備前市と和気町の市町界を越えるためか、「代替バスの代替バス」が設定されず、しばらくの間、直通する公共交通機関がない状態が続いた。これが解消されたのが2019年で、備前市営バス、和気町営バスが共同運行する片上和気線の形で復活している。

片上―和気間は別ルート

このバス系統の起点は備前市の中心部である備前片上駅前。当然の施策だが、備前市内の主要公共施設を経由してから和気へ向かう。ただ、片上鉄道は片上駅から東へ向かって発車し、西片上駅のすぐ側で赤穂線をくぐっていた。

しかし片上和気線は今も片鉄片上を名乗るバス停から西へ発車。国道250号、374号を走り、隣りのJR伊部駅近くまで行ってから赤穂線、山陽新幹線をくぐる。片上鉄道とは完全に別ルートだが、片上の次の駅は国道374号と合流してからさらに進んだ和気町内の清水であったため、鉄道を代替していると言えば代替している。


片鉄片上に到着する備前市営バス(筆者撮影)

今回は片鉄片上7時20分発の便に乗った。備前市の公式サイトでは、この路線は、2022年10月1日ダイヤ改正現在で、平日のみ6往復の運転と案内されている。

ところが共同運行相手の和気町の公式サイトでは、2021年5月1日改定として、1日4往復運転になっており、面食らった。ここは新しい方を信じ、かつ両方の時刻表に掲載されている7時20分発の便を利用して事なきを得ている。運賃は200円。定期券、回数券は双方で共通利用できる。


JR山陽本線の和気駅が片上鉄道との接続駅であった(筆者撮影)

途中、2、3人の利用客を拾い、峠を越えて和気駅南に7時37分着。この先の周匝(すさい)方面へのバスは、JR和気駅の下をくぐる自由通路で反対に出た、北側の駅前広場から出る。鉄道時代、片上―柵原の直通列車であっても、和気でほぼ全員、入れ替わってしまったことを思い出す。

吉井川に沿って北上

和気駅―周匝間は「赤磐市広域路線バス」の赤磐・和気線が代替路線となっている。赤磐市は2005年に山陽町、赤坂町、熊山町、吉井町が合併して誕生した自治体だが、市役所はJR瀬戸駅に近い旧山陽町に置かれている。

片上鉄道の駅は、旧吉井町の備前福田、周匝の両駅が現在の市域にあっただけで、和気から備前塩田までの各駅は現在の和気町域に位置していた。赤磐市の人の流れは主に岡山市に向いており、宇野バスが結んでいる。

赤磐・和気線は、和気駅前―周匝上間に4.5往復、塩田出張所―周匝上間の区間便2往復の設定があり、うち周匝上行き2本、和気駅前行き3本と区間便は土曜運休。日曜、祝日は全便運休だ。

そのほか、周匝上6時30分発の佐伯庁舎(旧佐伯町役場、現在は和気町)行きがあり(土曜運休)、これが和気町営バス佐伯・熊山線と接続。JR熊山駅方面へ向かう。現在は大半が自家用車利用ではあろうけど、そういう方向への需要も存在する。


和気駅前で待機する広域路線バス赤磐・和気線(筆者撮影)

私は地下道を急ぎ通り抜け、7時50分発の周匝上行きに間に合った。これを逃すと次は13時発だ。10人乗りのワゴン車は途中、中学生の乗り降りなどが多少あったが、大半の区間は私だけを乗せて、吉井川沿いの国道374号を北上してゆく。運賃は、塩田出張所・塩田コミュニティハウスが境で、和気町内が200円、赤磐市内が150円で、市町境を越える場合は合算して350円になる。

塩田は和気町域だが、旧吉井町の中心地、周匝が近く、そちらとのつながりが深いとみられる。周匝にはロードサイド店なども集まる。片上鉄道にとっても主要駅の1つであった。2007年までは岡山県立備作高等学校もここにあり、鉄道・バス利用の通学もあったと思われるが、JR和気駅に近い、和気町の和気閑谷高等学校に統合された。

柵原へは直通するバス路線がない

現在、和気からバスで直通できるのも周匝まで。ここから終点の柵原まで行こうと思えば、旧柵原町営バスの流れを汲む津山・柵原・吉井線共同バス「柵原星のふる里バス」が吉井支所まで乗り入れてきているが、柵原方面行きは朝6時40分発の1便しかない。

そこで少し回り道になるが、赤磐市広域路線バスの赤磐・美作線にまず乗り継ぐ。これは赤磐市中心部から美咲町、美作市を通って、湯郷温泉経由JR姫新線の林野駅前までを結ぶ、こちらも文字通りの広域バスだ。

面白いのは、岡山市の表町バスセンター、岡山駅前から、やはり林野駅前まで走っている宇野バス2往復とは共同運行の形を取っていること。料金も共通で時刻表にも一緒に掲載されている。民間バスの一部の便(4往復分)を代替しているのだ。


周匝に到着する赤磐・美作線林野駅前行き(筆者撮影)

今回は周匝8時39分発の林野駅前行きに乗り継ぎ、3分ほど乗った美咲町内の高下(こおげ)で150円払ってすぐ降りる。宇野バスと共通の区間制なので、整理券を取って乗るところが珍しい。高下までは、津山からの中鉄北部バスがやってくる。このあたりは、岡山市より津山市の方が最寄りの都市になるのだ。


高下バス停にて。折返し津山方面行きの中鉄北部バス(筆者撮影)

中鉄北部バスの高下バス停は赤磐市広域路線バスとは別の場所で、探すのに手間取ったが、接続はよく、8時58分発の津山駅経由スポーツセンター行きに乗り継げた。これに乗ると、柵原鉱山の入口で片上鉄道でもっとも大きな駅だった吉ヶ原へ行ける。

沿線北部の需要は津山市へ向く

吉ヶ原9時14分着。ここには駅舎や車両、構内の線路が保存され、柵原ふれあい鉱山公園となった。駅舎は、そのまま中鉄北部バスの待合室として利用されている。掲げられたままの広告は津山市内のもの。地域的なつながりがどちらへ向いていたかがわかる。片上鉄道も廃止前は「津山へつながっていれば」とも言われたものだ。


構内が鉄道公園として整備された旧吉ヶ原駅(筆者撮影)


吉ヶ原駅舎内の広告(筆者撮影)

吉ヶ原から終点の柵原までは1.3km。旧柵原町は久米郡の町で、中央町、旭町と2005年に合併して美咲町となった。久米郡はJR津山線沿線にまで東西に広がる地域で、やはり津山への指向が強いところだ。律令国では美作国で、備前国に属する赤磐市や和気町との文化的、経済的つながりはもともと薄かったと思われる。

それでも市町境が錯綜しているため、美咲町は周辺地域の利便も図って、赤磐市、津山市と共同で、津山駅前―柵原病院前間3.5往復のバスを走らせている。そのうち一部が赤磐市吉井支所まで直通しているのだ。ただ、片上鉄道を代替するような役割ではない。

地理的な条件もあろうけど、市町村営バスは自治体のエリア内だけを相手にしている例を各地で見てきただけに、住民サービス重視の姿勢が、ここでは強く感じられた。美咲町は合併した3町間を結ぶ町営バスも運行している。

寂れた感じがしない終点

吉ヶ原から柵原病院前までは、適当なバスの便がないので歩いて観察。鉱山従業員の社宅が今も残る風景を眺める。完全に人が去ってしまった北海道や九州の炭鉱とは違い、まだ現在も同和鉱業系の事業所が柵原駅跡の周囲で操業している。人口は残っており、寂れた感じはしない。


中鉄北部バスの柵原病院前バス停(筆者撮影)

柵原病院前のバス停は、中鉄北部バスが病院前の幹線道路。柵原星のふる里バスと美作市営バスが病院の裏と分かれており、いずれも病院敷地内には乗り入れていない。柵原駅を名乗る柵原星のふる里バスのバス停もあるが、今はもう鉄道の痕跡はない。


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(土屋 武之 : 鉄道ジャーナリスト)