映画『君たちはどう生きるか』は事前の宣伝なしでも大ヒット(写真:時事)

宮粼駿監督としては、およそ10年ぶりの長編新作となる『君たちはどう生きるか』が7月14日に公開された。

この作品は、事前宣伝を廃し、ポスター1種のみの掲示という、近年では稀なマーケティングを行ったことでも注目を集めた。未発売であった映画パンフレットは8月11日に劇場に置かれた。ただ、多くの観客が待ち焦がれている映画に対する公式の解説は、今もまだ発表されていない。

そこで、これまで宮粼作品を追い続けた取材体験、映画関係者のインタビュー記事、これまでに発表されたヒントをもとに、作品に対する考察をしてみようと思う。

※本記事は多くのネタバレを含んでいますので、まだ映画を観ていない人はご注意ください。

「上の世界」と「下の世界」

では、映画の疑問を解き明かしていこう。

映画「君たちはどう生きるか」のあらすじは、比較的シンプルである。主人公の牧眞人(まきまひと)少年は、太平洋戦争の始まりとともに母を亡くし、母の妹と再婚する父に連れられて、疎開先に向かう。そこには大伯父が建てた洋館があり、ある日、あやしい青サギに導かれて、中に立ち入ると、そこには別の世界が存在していた。

2つの世界感で映画が展開することから、ここでは仮に「上の世界」「下の世界」と書いてみることにする。

映画の始まりは昭和初期の「上の世界」である。

宮粼氏の生い立ちはすでに多くの文献で明らかになっている。そこからわかるのは、牧眞人は生きた時代も境遇も、紛れもなく宮粼氏自身の少年時代の姿であるということだ。両親への曲がった愛情や、喫煙との出会い、軍国少年の風貌など、宮粼氏の当時の姿がよみがえってくるようである。

映画の冒頭、眞人は空襲により実母のヒサコを失う。実際の宮粼氏の母は病弱であったものの健在であり、このヒサコは何かの象徴で描いたものと推察される。ヒサコは「自由と平和」を象徴とする存在なのであろう。その自由と平和は凄まじい火災、つまり太平洋戦争の開戦で失われてしまったものだ。

そして11歳の彼は、豪放な37歳の父・勝一とともに、疎開をすることになる。宮粼氏の父も、軍需を支えた宮崎航空工業の工場長として、戦闘機の製造に携わったことから、青年実業家の父は「大日本帝国」そのものを表したに違いない。

ディズニーへのリスペクトも

また主人公が反発し、その後、行方知らずとなってしまう継母の夏子は「芸術と創造」の象徴と思われる。戦時中、軍部による検閲で、手が届かない場所へと行ってしまった、表現の自由を表しているのだ。

学校では、弓矢の作成(軍事教練)を受けるが、その校友たちとの生活の過程で、小石による自傷行為に出る。これは、出会ってしまった「漫画」であると考えると理解しやすくなると思う。規律正しい軍国少年として育った宮粼氏にとって、当時、漫画は絶対に出会ってはいけないものであった。しかし、決して消えないその思春期の時の傷が、やがて希代の名監督としてアニメーションの育成に関わっていく人物を生み出すことになる。

このほか、疎開先の「青鷺屋敷」には眞人を見守る7人の老婆たちが出てくるが、これは紛れもなく、宮粼氏が愛したアメリカによる動画の象徴である「白雪姫」7人のこびとがモチーフ。生き方を示してくれた、ウォルト・ディズニーへのリスペクトも忘れていない。

タイトルに引用された『君たちはどう生きるか』も、主人公の書棚に入っている。宮粼氏の人生を支え、映画のタイトルとして生かされた名著が、ここで感謝を込めて紹介されている。

さて、「下の世界」への入り口となる、謎の洋館である。これは明治維新の頃に突然降ってきた物体を隠した建物なのだが、西洋文明という存在を描いたものと思われる。

黒船による開港から始まった西洋文明は、日本の近代化の礎となったものの、のちの軍部の台頭により、自由な芸術等の発表禁止措置が広まったことで、洋館で囲い込まれ、市民が触れられない存在となってしまったのである。塔のあるその姿は、宮粼氏の愛読書である江戸川乱歩の書「幽霊塔」がモチーフなのかもしれない。

青サギは鈴木敏夫プロデューサー?

主人公の眞人が、行方知らずとなった継母の夏子、つまり、戦前の日本で禁止されてしまった「芸術と創造」を追って、青サギ男に誘われて向かった「下の世界」から、別の次元の世界となる。映画公開前、鈴木敏夫プロデューサーが明らかにしていた、宮粼監督作品ならではの、冒険活劇ファンタジーな展開は、ここから始まる。

さて、青サギとはいったい何者であろう。あらゆる場面で主人公と関わり、そして共に歩いていく存在。それは.....鈴木敏夫プロデューサーだ。多くの場面で主人公を護ることになる、青サギと風切り羽(矢羽根)。これは、宮粼氏の創作意欲を、さまざまな障害から護る鈴木氏の存在にほかならない。

知り合った当初は、なかなか相容れないつながりであり、時に仲たがいもしたものの、次第に深まってゆく友情。映画の終盤では、お互いに助け合い、幾多の困難を乗り越えてゆくという関係は、鈴木氏以外にはいないと思う。そして「詐欺」にも通じるキャラクター名の青サギ男。鈴木氏も大笑いしながら、映画を楽しんだことだろう。

「下の世界」は、黄泉を思わせるファンタジーな世界であるとともに、宮粼氏が歩んだ、現実の戦後世界とも重なって表現されている。

洋館の中に入っていった眞人が、最初に出会った人物は、この建物を建てた後、姿を消した大伯父である。宮粼氏が尊敬する偉大な人物といえば、それは間違いなく高畑勲氏である。若き日に出会い、その後の苦労も共にし、やがてスタジオジブリを創設した、代えがたき盟友であり師でもある。多くの書籍を前にした大伯父の姿は、本の虫であり知識の泉でもあった高畑氏の姿が重なる。

ここで砕け散る印象的な薔薇のシーンは、この映画制作中に亡くなられた高畑氏を偲んだものであろう。赤い薔薇の花言葉は、情熱、愛情、美..... 。実に氏の人生にふさわしい言葉が並ぶ。薔薇が1本だけ、というのも、宮粼氏にとって高畑氏が唯一無二のかけがえのない存在、ということを表している。

「下の世界」で出会うそのほかの人物にもモデルがいるし、そこで繰り広げられるアドベンチャーも宮粼氏が体験した出来事が重なるのだが、その詳細については、別の機会に発表したいと思う。

(青空 旅人 : コラムニスト)