福島第一原発の処理水を海洋放出するというニュースは韓国でも速報で伝えられ、即座にキャンドルライトデモなどが開かれた(写真:筆者撮影)

「ランチの予約はそのままですが、夜の予約にはキャンセルが出ました。放出のニュースの影響が出たようです。これからどう影響するかはしばらくみないとわかりませんが」

福島原発処理水の海洋放出前の24日午前、こう話したのは、ソウル市内でも有名な寿司店社長だ。

野党は日本を糾弾する集会や行進を実施

日本政府が福島原発処理水の放出開始日を決定した22日、そのニュースは韓国でも速報で伝えられた。放出に反対している野党「共に民主党」はすぐに「大韓民国国民の生命と安全を脅かす日本の暴走を糾弾する」という声明を出し、26日まで日本を糾弾する集会や行進を行うことを発表。

環境団体「グリーンピース」も「取り返しのつかない災難を招く無責任な決定であり、日本政府の無責任と韓国政府の幇助が産んだ合作」と批判し、市民団体の環境保健市民センターは「放流を強行すれば、日本製品の不買運動を展開する」として、22日午後にはソウル市内にある駐韓日本大使館前で日本政府へ抗議する反対デモを行った。

翌日23日の朝刊もいずれも複数面で報じた。

処理水放出に反対する進歩系二紙は強く日本を批判した。「京郷新聞」は社説「国際社会の憂慮をここに至っても無視した日本の汚染水放流強行を糾弾する」で、他の処理方法があったにもかかわらず、周辺国家国民の安全を侵害する海洋放出を選択したと日本を批判し、「韓国政府はわたしたち漁民への被害支援対策を急ぐ一方、日本に対しても放流以降膨らむであろう被害に対する責任と補償を要求し続けるべきだ」と書いた。

「ハンギョレ新聞」も社説「歴史に罪を犯す日本の汚染水放流、その道をつくった韓国政府」で、周辺諸国の反対や憂慮を無視した」とし日本を批判したが、「放流の計画上、科学的、技術的問題はないと判断しながらも、放流に賛成ではないとする。しかし、放流を反対する世論をフェイクニュース集団だと猛攻撃する。こんな政府の言葉が信じられるか」と紙幅を割いたのは韓国政府に向けた批判だった。

「消費者の不安感払拭には限界がある」との見方     

保守系や中道系紙では放出後の対応に注目するものが多かった。

朝鮮日報は、社説「日本の汚染水放流、韓国政府はわたしたちの海域放射能をほぼ毎日測定し、発表すべき」で、「汚染水放流が韓国に及ぼす影響は事実上ゼロと同じだと多くの科学研究結果がある」としながらも、「日本は自国の問題で韓国国民へ、そして韓国政府へさまざまな負担を強いていることを肝に銘じてほしい」とし、韓国政府へは、「周辺海域の放射能濃度の測定を毎日行い発表すべき」と注文した。

中央日報は社説「汚染水放流を決定した日本は国際社会と交わした約束を守れ」で、「現実的には放流は避けがたい水準であれば、カギとなるのは海洋生態系への被害への憂慮を最小化することだろう」と核心をついた。

韓国内のほとんどの科学者が言う、「汚染水は太平洋で希釈され魚介類などの水産物へ及ぼす影響は極々わずか」という見解を引きながらも、「消費者の不安感を払拭するには限界がある」とし、韓国政府へ「海水や水産物への放射能検査を徹底すること、そして、水産関連業者への補償を準備すべき」としている。

韓国メディアがどこも福島原発の処理水を「汚染水」と表現していることからもうかがえるとおり、科学的には安全だと理解はしていても、当然だが、環境への影響や口にする水産物への憂慮はなかなか消えるものでない。

冒頭の寿司店の社長は言う。

「科学的な結果や海流の流れなどに基づいて水産物の安全性をお客様に説明しています。寿司が好きでいらっしゃる方々ですから、多くの方は理解しているようですが、いざ放出されれば口にしていいか不安だという方もいました」

韓国では、春頃から処理水放出について取り沙汰されるようになり、共に民主党は4月には議員が福島を訪問し、5月には大々的な反対デモを行うなど反対の声を強めてきた。テレビには、原子力専門家が登場し、処理水放出後の韓国海域と水産物の危険性について語り、塩の買い占めが起こり、寿司店からは客足が遠のき、水産物関連業者への風評被害が始まった。

韓国現政権を糾弾する「口実」にもなっている

韓国では処理水海洋放出そのものよりも、世論を離れて”政治的なもの”に発展している側面がある。23日、国会議事堂前で行われたキャンドルデモでも集まったたちが口にしていたのは、「尹錫悦大統領弾劾」だった。中道系紙記者は言う。

「処理水の海洋放出を問題としていますが、現政権の糾弾を目的としていることは明らかです。尹大統領を批判できる材料であれば何でもよいのです。土地開発を巡る特恵や背任などの嫌疑で在宅起訴され、裁判が進行中の李在明党代表がいよいよ追い詰められてきていますから、危機感は相当なものでしょう。

共に民主党はこれまでも人々の『食』を掲げて、時の政権を攻撃してきました。そのために被害が出たのは牛肉と瓜です。牛肉はアメリカ産牛肉を輸入しようとした李明博政権に対し、事実ではない狂牛病の恐怖を広げ、ひと月以上に及ぶデモも起きました。これは結果的に消費者が韓国産牛肉までも買い控える被害をだしましたが、皮肉にも2021年、韓国はアメリカ産牛肉輸入国で1位になっています」

アメリカのTHAAD(高高度防衛ミサイル)を配置することを決定した朴槿恵政権時、配置された付近の作物にTHAADの電磁波が影響するというフェイクニュースが流れた。前出記者が続ける。

「このフェイクニュースは野党が垂れ流したものですが、これにより瓜栽培業者は大きな被害を被りました。今回も韓国の多くの国民はまた同じ手法だとわかってはいるでしょうが、ただ、史上初めてといえる、事故が起きた原発汚染水の海洋放出による海洋や水産物などへの安全については科学的な根拠があってもなかなか不安はとりのぞかれないのが現実です。こうした消費者の不安を取り除く努力を日本は見せなければならないのではないでしょうか」

周りの知り合いに訊いてみると、「気にしない」と言う人もいたが、「子どもには食べさせられないよね」や「しばらく水産物は買わない」という人もいた。

日本政府に今、求められていること

韓国政府は世論を鑑みて、5月末に原子力の専門家を福島に派遣し、以来、科学的な情報を公開し、毎日ブリーフィングもしてきた。その成果もあってか、「当店ではほぼ回復状態にありましたが、そこへ放出開始が決定しました」と前出の寿司店社長は言う。

尹大統領は、8月18日、日米韓首脳会談後、処理水の海洋放出について、「科学を基盤とした透明な過程を通して処理されなければならない」と言及し、一方、国民の不安を取り除くために韓国政府は独自に、「水産物の放射能検査件数を増やし、魚介類などへの放射能管理システム運営を強化する」ことを発表している。

日本でも消費者の不安は残されたままという報道もあるが、そうした消費者の不安をとりのぞくために求められるのは、処理水の安全性についての「透明性」を公表していくほかないだろう。そうした情報公開を日本政府は今後どんな形で行っていくのか、今一度、明確に発表してほしい。

それにしても、処理水を海洋放出する日本よりも、たぶんに政治化したこともあるが、韓国での議論のほうがよっぽど活発なように見える。韓国から見ていると、日本メディアもすべてではないがどこか他人事のように報じているように見える。

(菅野 朋子 : ノンフィクションライター)