京成千原線の終点ちはら台駅。ホームは1面だが左側にもホームが造れそうなスペースがある(筆者撮影)

日ごろ利用する鉄道沿線に、不思議な用地やインフラなどを見かけることはないだろうか。筆者は2022年3月31日に公開した「15両編成や複々線化も?京葉線が秘める『潜在力』」記事で、京葉線沿線のこういった不思議な土木構造物などから同線の知られざる姿について探った。

こういった「不思議」は日本各地の鉄道に存在する。京葉線と同じく千葉県内を走る京成電鉄の千原線にも、至るところに不思議な構造物や用地が存在する。

「千葉急行電鉄」として開業

千原線は、京成千葉線の千葉中央(千葉市)と、ちはら台(市原市)を結ぶ10.9kmの路線だ。1992年に千葉県や千葉市、京成などが出資する第三セクターの千葉急行電鉄として開業し、同社の経営難に伴い1998年に京成が引き継いだ路線である。

計画としては小湊鐵道の海士有木駅までのところ、途中のちはら台までが完成し営業している。京成はちはら台から先の路線免許についても千葉急行から引き継いでおり、工事施行認可の申請期限である2019年10月14日が迫った同年9月26日に申請期限の延長を申請。同年10月10日に認可され、2029年10月14日まで期限が延長された。

路盤は複線分あるが、輸送需要が予想を下回ったことにより開業時から今日に至るまでずっと単線のままだ。

駅は起点の千葉線千葉中央を除いて5駅ある。いずれも複線に対応した構造だが、列車交換ができる大森台と学園前、そして終点のちはら台のみが2線だ。交換設備のない千葉寺駅、おゆみ野駅は2面分準備されたホームのうち片方しか使われておらず、見た目は「2面1線」という風変わりな駅となっている。使われていないほうのホームは「人類が絶滅してから○年後……」というテロップを入れるのにぴったりな風景だ。

そんな千原線、筆者がまず訪れたのは終点のちはら台駅だ。ちはら台の「ちはら」は「千葉」と「市原」を組み合わせた造語だという。話の初めからいきなり終点!?と思われるだろうが、千原線の不思議はここからが起点である。


ちはら台駅手前の進行方向右手に広がるソーラーファーム(太陽光発電所)(筆者撮影)


京成グループが管理するちはら台太陽光発電所(筆者撮影)

列車がちはら台に着く直前、進行方向右手には広大なソーラーファーム(太陽光発電所)が広がっている。車両基地が造れそうなほどの広さだ。それもそのはず、千葉急行が車両基地用地として確保していた土地である。ちはら台駅からソーラーファームまでは、単線路線には過剰なほど幅の広い高架橋がつながっており、ちはら台駅から回送線を造ることを想定していたのだろう。

広い終点駅、その先に延びる線路

ちはら台は島式ホーム1面2線の駅だが、列車が発着する2線以外にもう1本線路があり、その線路と着発線の間にはホームをもう1面造って2面3線にできそうなスペースがある。


学園前駅。左側の下り線ホームと擁壁の間にはスペースがあり待避線が敷けそうにも見えるが、これは増設を考慮したものではないという(筆者撮影)

駅のコンコースに上がって振り返ると左側にホームへの階段があるが、右側にも階段が設置できそうな幅の仕切りで塞がれているところがある。

京成によると、千原線内で緩急接続や追い抜きを想定した準備工事や準備施設はないという。そうすると、ちはら台駅は2面3線化した場合、2つのホームに挟まれた中央の線路は折り返しや車庫からの入出庫の列車に使うことを想定したと考えられる。

なお、学園前駅の下り線にも、ホーム先端部に一見すると待避線を敷けそうなスペースがあるが、これについても待避線の増設を考慮したものではないのだそうだ。

ちはら台駅から線路の終端に向けて歩くと、3本の線路は途中で途切れるものの、その先も架線柱は立っており、コンクリートの構造物も確認できる。これらが途切れても、その先しばらくは細長い鉄道用地が右にカーブしながら続いていき、村田川に差し掛かるところで用地は途切れる。


千原線の終端部。線路は途切れているがその先も用地がある(筆者撮影)


草の生い茂る線路用地と架線柱(筆者撮影)

その先、辰巳台ニュータウン方向へ歩いてみると、複線鉄道分の幅と思われる空き地が数十メートル存在したり、ソーラーファームになっている土地があったりする。だが、これは「たまたまそれっぽい形の空き地」というだけのようだ。

京成によると、村田川から辰巳台ニュータウン北端の間や、辰巳台ニュータウン南端から海士有木駅までの間で「確保している用地や準備施設等はない」とのことであった。つまり千原線の用地として確保されているのは、ちはら台駅から村田川までの部分と、後述する辰巳台ニュータウン地区内の用地だけということになる。

用地をめぐるかつての複雑な事情

実はかつての千葉急行は、鉄道計画ルートを含む広大な開発用地を京成とともに保有していた。ところが、ちはら台までの鉄道建設の資金難を背景に、ちはら台から先の区間で京成とともに確保していた合計約6万平方メートルもの土地の大部分を、同社の出資者である千葉県や市原市に知らせず売却してしまったというのだ。雑誌『財界展望』1989年1月号の記事「千葉急行電鉄が電車を走らせない!?」(舘澤貢次氏著)に、当時の窮状が赤裸々に描かれている。

同記事によると、市原市は辰巳台ニュータウンに線路を伸ばしてもらえる約束で千葉急行に出資したにもかかわらずその予定地を売却され、当時の市民たちは怒り心頭。千葉急行と市原市に対する抗議活動も行われたそうだ。記事中で当時の千葉急行専務は「鉄道を建設する用地を売っているわけではない」「売却しているのは開発用地であって鉄道用地ではない」と主張しているものの、ちはら台から先の詳細なルートは未定の状態で、鉄道用地と開発用地の区別については「それは、まあ、なんとなくわかるでしょう」と歯切れの悪い回答をしている。


辰巳台ニュータウン内。右側の盛り土は鉄道の築堤に見える(筆者撮影)

売却の背景には、想定以上に開業まで時間がかかってしまったことがあったようだ。同記事によると、開業が延び延びとなったことで運賃収入も開発用地の利用による収入も入らず、「金利支払いもままならなくなり、そこでやむをえず、売りたくない開発用地を売って、年間5億円の金利返済や経営資金にしてしまった」と千葉急行専務は赤裸々に訴えている。

このような事情で千葉急行の用地は売却が進んでしまったようだ。現在も確保されているのは、この際に売られなかった土地ということになるだろう。なお、同記事によると千葉急行と京成が売却した土地の一部は市原市が取得している。

その鉄道用地を追って歩いている途中で出会った地元の方に聞いたところ、「辰巳台への計画はなくなって帝京平成大学のほうに伸ばすって話になったんでしょ?」という話を聞いた。これについて京成に確認してみると、「当社は千葉急行電鉄より免許を引き継いだ経緯があり、ルート選定については関与しておりません」とのことであった。

辰巳台ニュータウンの細長い土地

のどかな田んぼの中を進み、山道を登り、入り組んだ住宅地を抜けると、細長い斜面状の千原線用地にたどり着く。辰巳台ニュータウンである。この用地の北端にある駐車場で、犬の散歩に出ていた住民の方に千原線延伸について聞いてみると、「この辺は高齢化もしているし、もう今さら期待はしてないなぁ」とのことだった。


辰巳台ニュータウン内の延伸用地は駐車場になっている(筆者撮影)


用地の一部は市が保有する広場になっている(筆者撮影)

辰巳台の用地は1kmほど続いており、北半分は斜面状の用地が続き、街の中心部は平坦な土地になっていて、京成不動産やパチンコ屋の駐車場として使われている。またご丁寧に駅前広場の用地まで確保されているのだから準備がよろしい。市原市の担当者も「この土地は京成千原線用地」と認める。

南半分の用地は谷になっているようで、ジャングルと化していた。そのためこの用地もどこまでで途切れているのかはよくわからない状況だ。だが、確実にそこには鉄道用地が存在し、電車がやってくるのを今日も待ち続けている。

いかがだったであろうか。不思議な用地や土木構造物を追うと、こんな鉄道計画があったのか!とドキドキワクワク、そして生々しい歴史を知ることができる1つの例が京成千原線といえるだろう。


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(北村 幸太郎 : 鉄道ジャーナリスト)