小学校の先生から伝えられた言葉は皮肉にもよくあたった予言だった(写真:Ushico/PIXTA)

ツイッターで小説を投稿する匿名アカウント・麻布競馬場さんは、今SNSで最も注目されている人物の一人です。タワマン、港区、商社マン、上京……などを扱った麻布さんの小説は、「Twitter文学」とも呼ばれ、毎回爆発的にバズっています。

そんな麻布さんのツイートから傑作を集めたデビュー小説集『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』。今回、集英社とのコラボにより、書籍に収録されている「僕の才能」という短編を、全文公開します。「クリエイティブな仕事」が諦めきれない男の人生が語られます。

僕の才能

駅前の本屋さんで買った宣伝会議3月号。コンテストの一次審査通過者リストの中に、僕の名前はなかった。僕の中のどこかに眠ると信じた才能。マンガも、音楽も、広告も、何にでも手を出して、何も成し遂げられなくて、何者にもなれずただ汚くて臭いおじさんになってゆくだけの長い長い人生が、僕の目の前に横たわっていた。

「何をやらせてもうまくやる子」だと小学校の先生は家庭訪問で母にそう言った。何にでも興味を示し、何でもそこそこうまくやる。上達も早い。「でも少し飽きっぽいところがあるから、何か打ち込めるものが見つかるといいですね」。いま振り返ると皮肉にもよく当たった予言だったなと思う。

家にはたくさんの賞状があった。習い事の数だけあった。水泳、お絵描き、英会話。母は僕をフジグランのカルチャースクールに片っ端から通わせた。旧帝大を出て地銀に勤める優秀な父の、何てことのない家の出の短大卒の嫁。彼女に向けられた、近所に住む父方の祖父母の冷たい目。それらの賞状は彼女にとっての賞状でもあった。

いつでも母と、その向こうにいる祖父母の期待に応えた。勉強も結構できた。小学校のテストはいつでも満点だった。気を良くした祖父母がお金を出して、中学受験を目指して塾にも通った。でも落ちた。合格発表(僕にとっては不合格発表だったけど)の日、母は唐揚げをたくさん作ってくれた。黙って全部食べた。

結局、中高は地元の公立に通った。高校は県で3番目くらいの学校で、毎朝早起きしてチャリで通った。本当は父の母校に行きたかったが偏差値が足りなかった。父の年収や祖父母の期待を超えられないだろうと次第に分かってきた。畦道をガタガタと走る銀色のアルベルトの上でエナメルバッグが跳ねた。

自分の人生に久々に期待が持てたのは、受験勉強の憂さ晴らしで描いていたマンガが地元の新聞社の小さな賞に引っかかったときだった。応募総数が20くらいしかない賞の佳作なんてたかが知れているが、何というか、自分の価値のない人生の埃っぽい暗闇に、か細い一筋の光が差したような気分になった。

自転車のマンガだった。主人公は遠くの高校に自転車で毎日通ううちに気付けばすごい脚力を獲得していて、顧問に無理やり入れられた高校の自転車競技部で才能を開花させるという話だった。描いたのは1話だけだったから、ちゃんと続きを描こうと思った。母親は近所のデオデオでペンタブを買ってくれた。嬉しかった。

3話まで描き進めた。それなりのページ数になったから出版社に送ってみようと思った。その月、少年チャンピオンで同じような設定のマンガの連載が始まった。読んだ。レベルが違った。話の作り方も、画力も、センスも、何ひとつ勝てないとすぐに分かった。マンガを描くのはやめた。大学受験に集中しようと思った。

高校の成績は良かったから、指定校推薦で明治に入った。早稲田落ちの一般受験の連中は見下したような感じでムカついた。父の母校から同じ学部に来た人もいた。彼も早稲田に行きたかったと言っていた。模試だと早稲田もA判定だったと偉そうにしていた。同じ学歴になるんだからコスパが悪い人生だなと思った。

軽音サークルでセンスがあると褒められた

サークルは、なんとなく軽音サークルに入った。大手じゃないし、初心者も多くて居心地が良かった。授業とバイトがないときはだいたい部室にいた。先輩のお下がりのフェンダーを安く譲ってもらった。RADWIMPSのコピーを何曲かやって、その後オリジナル曲も作った。センスがあると褒められた。嬉しかった。

1年生同士で「ザ・早稲田落ちズ」という名前のバンドを組んだ。「出れんの!?サマソニ!?」という、素人バンドがサマソニに出られるオーディションの応募が始まっていたから、例のオリジナル曲を演奏した動画をYouTubeにアップした。そのリンクをFacebookやTwitterでもシェアした。サークルだけじゃなくて学部の友達なんかもシェアして、僕のバンドに投票してくれた。みんな褒めてくれた。嬉しかった。

サマソニには出られなかった。Twitterで回ってきた、同じ大学の1年の動画を見たらレベルが違った。曲もいいし声も腕もいい。ギターボーカルはイケメンで既にたくさんファンがいた。調べてみたら東京生まれで内部校出身。お父さんは有名なギタリスト。平凡な田舎者には何ひとつ勝てないと思った。

サークルもあまり行かなくなった。カッコつけて吸っていたタバコも吸わなくなった。ギターもあまり弾かなくなった。去年の引っ越しで捨てた。なんとなくゼミに入って、なんとなく就活を始めた。やりたいことは何もなかった。手当たり次第に会社説明会に行った。なんとなく、父と同じ銀行のだけは行かなかった。

電通の説明会で頭をぶん殴られたような衝撃を受けた。汐留の大きな本社ビルの大きなホールは満席。パーカを着た30歳くらいの社員は明治出身。音楽を諦めて、やりたいこともなくて、なんとなく電通に入ったのだという。コピーライターとして賞をたくさん取っていた。僕も知っているコピーもこの人が書いたと知った。ここだ、と思った。

「何も成し遂げられなかったけど、ムダなことなんてなかったなと思うんです」。器用貧乏と言われ、何でもできるようで何もできないもどかしさ。音楽活動も中途半端にやめてしまったという。「でも、それでも全てのことには学びがあり、それが今の仕事に繋がったり繋がらなかったりするんですよ」。泣きそうになった。

今度は言葉で、誰かを感動させたいと思った

自分の人生は無価値の連続だと思っていた。様々な挑戦はしたけれど、結果として価値あることを何ひとつ成し遂げられなかったのだから。でも、だからこそ、その溺れそうな時間の中で僕は、何か価値あるものを獲得していたのかもしれない。僕のやってきたことを振り返ると、それらはすべて表現だった。今度こそ、今度は言葉で、誰かを感動させたいと思った。

エントリーシートに僕のすべてを書き記した。怠惰のせいか不運のせいか、収穫には至らなかった数々の僕の才能のリンゴ。地面に落ちて腐って、肥料となって今度こそ大きなリンゴを実らせる。僕は本気でそう信じていた。あのコピーライターが有名なコピーライターの息子で、中途半端にやめたと評していた音楽活動でもメジャーデビューまで行っていたなんて、そのときは知らなかった。

今年で30歳になります。説明会のあの日のことを今でも思い出すんです。帰りの電車で、何だか救われたような気持ちになって、実は少し泣いたんです。でも書類落ちでした。納得できなくて、あのコピーライターのTwitterアカウントに長文のDMを送りました。何年経っても返事が来ません。今は生命保険の会社で働いています。1年目から郡山の支店に転勤になって、去年東京に戻ってきました。

博報堂も、ADKも、それどころか大広も読広も、ベクトルもオプトも、どこにも引っかからなかったんです! 郡山ではやることもなくて、家でお酒を飲んで、noteに短編小説を書いたりしてたんですが、それも全然伸びません。YouTubeで「元バンドマンのオシャレ僻地ライフ」みたいなVlogも一本上げてみたんです。すごいでしょう、再生数3回です。うち1回は僕です。

価値がないものだけは、何度も作ってきましたから

なんだか、書くのをやめたらその瞬間に、自分のこれからの人生が、なんの価値も期待もないものに感じられる気がして、自傷行為みたいな創作活動をやめられなかったんです。宣伝会議賞っていう素人でも出せるコピーライティングの公募コンテストがあるんですけど、あれなんて毎年出してるんです。前回もたくさん出しました。なのにこれまで、一次審査すら、ひとつも通ったことがないんです。

今回で最後にしようと思ったんです。審査員があのコピーライターだったんです。これで通ったら絶対に泣いてしまうと思ったし、これで落ちたら、もう涙も出ないと思ったんです。仕事が終わったらそのまま会社の近くのドトールに籠もって、わざわざ買ったクロッキーにわざわざ買ったサインペンで、終電ギリギリまでいくつもいくつもコピーを書いて、締切ギリギリまで書き溜めて、そして応募しました。年が明けて3月。一次審査の結果発表の日。金曜日でした。通い慣れたドトールを通り過ぎて、駅前の文教堂に駆け込んで宣伝会議を買って、我慢できなくてお店の前ですぐ開いて、めくってもめくっても、僕の名前はなくて。駅で捨てました。


そのときの感情は、いま振り返ると、やっと終わってくれたんだな、もう何も書かなくていいんだな、という感じでした。頑張って考えたのに、最後なんだから一番いいものを書こうと思ったのに、何も思いつかなかったんですよ。正確に言うと、思いつくたび、こんな言葉に感動はないな、とすぐに忘れようとしてしまうんですよ。価値がないものだけは、何度も作ってきましたから。すぐ分かるんですよ。

メルカリで広告関係の本はすべて売りましたし、SNSでは広告関係の人たちのフォローも外しました。特にあのコピーライターは、目に入るだけでイライラするからブロックしました。noteのアカウントも消しました。今日は新作AVでも巡回して、早めに寝ようと思います。

(麻布競馬場)