今季限りで浦和レッズを退任した、フォルカー・フィンケ監督。12月25日に行われた天皇杯準々決勝・G大阪戦に敗れたことで、この試合が浦和を率いた最後の試合となった。空けた26日、大原練習場で最後の会見が行われ、自身が過ごした浦和レッズとの2年間を総括した。フィンケ氏が就任し、浦和は改革へと歩みを進めた。その改革は、どの程度達成されたのか。そして、それは継続されるのだろうか。(編集部)

――まず、前日ガンバ大阪戦後の質問
「この2年間を振り返って、レッズでフィンケ監督が成し遂げたこと、そして残念ながらここの部分は改善できなかった部分というのは?」に対し

「一昨年の時点で私は日本にきて、とても密度の高い日々を過ごすことができました。その時点で、当時のクラブの首脳陣から様々なこのクラブの状況、そしてこの国のサッカーについていろんな状況を聞きました。そしてその当時の時点で私たちが行ったチームの分析は、彼らも、そして私も同じ結論を出しました。それは彼らの未来が、既に過去にあったというものです。

(浦和は)2006年のJリーグ優勝、2007年ACLの優勝という結果を残していましたが、チームのパフォーマンスというのは、その後は下降線を辿っていました。最も優れていた、そしてチームにとって最も価値のあったワシントンや長谷部はクラブを去っていました。そのような状況で当時の首脳陣から私が依頼されたことは、チームの根本的な改革を行って欲しいということでした。

第一にプレースタイルを変えてほしいということ、それから新しい若い選手達を入れていくことによって、健康な年齢構成の中でのチーム作りを進めて欲しいということでした。私は既にとても長い間このサッカー界で仕事をしていましたし、私に対してどういうことを希望しているのか、そしてどういうことを期待しているのか、ということを詳細に確認したと思っていました。

その時にはっきりと藤口さん(当時社長)が私に対してこう言ってきたのです。『もう私たちは今後はひと昔前のように選手を買うことはできない。今後はこのクラブの収入もさらに減っていくだろうし、違約金などを支払って高い選手はもう買うことはできないから、今後は自分たちのクラブに所属している若い選手たちをどんどん成長させていかなければならない。それを是非依頼したい』

そして違ったところから、藤口さんと新田さん(当時常務)が私に対して、はっきりと『優勝しなくてはいけない』と言わなかったことが、クラブとしての間違い、判断のミスだったというような声があったということを、私はあとあと聞きました。ただし忘れてはならないのは、当時私にこの仕事が依頼された時に、クラブがどのような状況に置かれていたかということです。

そして私は最終的に依頼を受けてこの国に来ることになったわけです。そしてここで仕事を始めたわけですが、私がここの契約書にサインを交わしたあと、とても早い時期に人事の移動が起きるとは思っていませんでした。私を招聘した人間があっという間にいなくなってしまったのです。

それでもこの多くの変化に私はたくさんの妥協をしましたし、なんとかしてポジティブな形で仕事を進めようとしてきました。そして今本当に珍しいことが起きています。これはプロの業界ではなかなか見ることができない状況ですが、1つのサッカークラブの中で最も重要なポジションである社長、それからGM、監督の三つの立場の人間のうち、監督である私が最も長い間このクラブにいる人間になってしまいました。

これはとても珍しい現象です。そして私はここで2年間の仕事を終えてまた帰国することになりましたが、はっきり言えるのは、ピッチに立っているチームはこれからとても多くの成功を収めることができる、そして将来性のあるチームだということです。プレースタイルはまったく新しいもの、まったく別のものになりましたし、選手達もとても大きな喜びを持ってこのプレースタイルを実践しています。実際に今年に入ってからも90パーセント以上の試合では私たちのほうが相手よりたくさんのチャンスを作っていましたし、通常ならば多くの得点チャンスを作っているチームこそが勝利を収める可能性が大きいわけですから。

ただし大きな改革をしたばかりということもあって、このように多くの主導権を握りながらも、それを結果に変えていくことができる安定感をまだ身につけていません。主導権を握りながら、そして相手よりたくさんの得点チャンスを作りながら、これらの決定機をしっかりと得点に変えていって、定期的に、継続的に勝利を収めていくということ、これが次の私たちのチームが進まなくてはいけないステップです。

ただしそのためには賢いプレー、それから状況によっては経験に基づいた素早い判断というものが求められます。今私たちのチームはそのステップを踏まなければいけない時期にきています。これは成長していくなかで、もっとも難しいところでもあります。だからこそ、このクラブの首脳陣がチームを今後も成長させていくために、幸運に恵まれた、そして優秀な手腕を発揮することを私は願っています。今の状況を考えれば、部分的に正しい補強をすることによって、チームの総合力を上げることができる状況ができています。なぜならば組織力はもう出来上がっているわけですから。

ただし、あれだけのチャンスをゴールに結びつけるために、いわゆる決定力を身に付けるための補強をしなくてはいけません。そしてチームの守備に関しても、1人の選手を獲得すればいいことだと思っています。大きな補強であると思っています。

ただしその事に関しては、私は詳細に語るつもりはありません。なぜならばクラブの首脳陣の方が今後責任を持ってそのことを進めていかなくてはいけないわけですから。ですので昨日のガンバ大阪戦の試合というのは、ある意味シーズンを象徴しているような試合だったと思います。

私たちは長い時間帯に渡って主導権を握っていましたし、本当ならば勝利を収めてもおかしくないゲーム内容でした。そして私たちのほうがひどいサッカーをしていた、相手よりずっと劣るサッカーをしていたから、負けるのが妥当だった、というようなゲーム内容では一切ありませんでした。そしてチームはとても組織的に優れたプレーを見せていました、そして相手のペナルティエリアの中に入るところまでは、とても見事なプレーがたくさんありました。

しかし相手のペナルティエリアの中で、最後の最後の一歩が足りなくて、それによってゴールを決めることがなかなかできなかった。いわゆる自分たちの質の高い攻撃を得点に変えることが出来ていなかったのです。ですので、自らに対して本当の意味でのご褒美を与えることができませんでした。

それでも、ここ2年間に渡って、チームの改革に関して言えば、根本的にとても優れたことが、良かったことがたくさんあると思います。そして、来年以降もとても大きな身のある収穫をすることが出来るようになるでしょう。私は彼らが大きな成功を収めるようになることを心から願っています」

――この2年間振り返って怪我人が多かったところはどんな風に感じてますか?
「私がきてからとても大きなことが改革されました。特にチームを取り巻く環境でプロフェッショナルな仕事をしていくという意味に関してです。特にこの分野に関しては、いくつかのことを変えていこうとトライしたところがあったけんですけれど、ただしこのような分野での改革というのは徐々にしか進めることができません。

そして私が来るまでの、選手たちがどのような形で仕事をしていたか、そして練習をしていたか、そして体に負荷をかけていたか、ということを考えると、私がきてから起きた怪我のすべての理由が、表面的に、いや、この日の練習によってこういう怪我をしたといえるようなものではなかったということが見えてきます。それぞれの選手の怪我の状況によっては、その怪我の理由というものは、さらに深いところにありました。

私はできるかぎりメディカル部門と一緒に密な関係を築こうとしていましたし、とてもいい関係の仕事はできていたと思います。そしてヨーロッパでは既に常識となっている様々な質の高い仕事の仕方というのをここに導入しようとしていました。そして最終的には、すべての関係者がとても大きなメリットを得ることができたと思います」

――怪我人が多い中でフィンケ監督が求めるサッカーを作り上げるのは難しかったのでは?
「私はとにかく、1年振り返ってみれば、山田直輝が1年離脱してしまったことです。あの腓骨骨折の怪我によってほぼ1年離脱してしまうということは、私にとっても大きな驚きでした。ただし、今この場でそれぞれの選手の状況について語るのは間違っていると思います。私たちのメディカル部門はできる限りのことを努力はしようとしていましたし、とてもいい形で仕事はすることはできていたと思います。

ただし忘れてはいけないのは、世界中を見渡してももっとも質の高いサッカーは現時点ではヨーロッパで展開されているというのとです。これは、私にとってみれば方向性を見極める上でとても大切なことだと思います。どこで最も質の高い仕事がされているか、ということを考えて、そこからできる限りたくさんのことを吸収しようとしなければいけません。

Jリーグもまだまだ多くのことを学べると思いますし、私たちの仕事、特にチームを取り巻く仕事ということに関してましては、ヨーロッパから学べることがたくさんあったと思います。今、こういう状況で人を批判するようなことは間違っていると思います。

私がはっきり言えるのは、この分野に関してはまだまだ改善ができるとわかった時点で、全関係者がこの改善に取り組むように努力をしていかなくていはいけないことだと思います。そして物事を改善していく、そして最もレベルの高いところから多くのことを吸収するために大切なのは、自分自身がオープンであること、そして様々なことを吸収していこうという、改善するために欠かしてはいけない姿勢を持つことです」

――この2年間振り返って、フィンケ監督にとってワーストゲームとベストゲームを教えてください
「一番ひどかったのは、これは間違いなく最終節の神戸戦です。その後のガンバ戦では全く違うレベルの試合を見せることができたと思います。内容も改善されていましたし。ですのではっきり言えるのは、あの神戸戦ではやはりその神戸戦までの一週間でいろんなことが起きて、さまざまな感情面で選手たちを揺さぶるところがあって、それによってあのような結果が生まれてしまったのだと思います。

様々なセレモニー、ロブソン・ポンテのセレモニーの件もありました。そして監督もお別れになるということがありました。そしていろんなファンとの間でのやりとりがありました。そういう様々な選手たちの感情を揺さぶるような状況の中で試合に臨んだ訳ですが、最終的にはあのような結果になってしまいました。

でも、自分たちの実力を証明したような試合ではありません。ですので、あの試合に関しまして、大きな×(バツ)をして、なかったことにしたいです。神戸戦はもう完全になかったことにしたいです。とても難しい状況の中での試合でしたし、私にとっても、とても心の痛む試合でした。本当は私はまったく違うことを試合の後にサポーターの皆さんに対してお話ししたかったんですが、試合の印象があまりにひどかったこともあって、全く違うことを語りました。

そして、いい試合に関して言えばたくさんあったと思います。そして忘れてはならないのは、根本的なプレースタイルの改革を行ったということ、そしてこの大きな改革の中で、選手たちが比較的早い段階で最もモダンなサッカーでの常識を身につけて、そしてそれらをピッチの上で実践しようとしたことです。

多くの試合で、私たちが主導権を握って内容的に押していたにも関わらず勝利を収めることができませんでした。それはとても悔やまれることです。でも引き分けで終わった鹿島戦や、それから私にとってとても大きなステップだったのは、横浜F・マリノス戦での勝利です。勝ち点3をとるということも大切です。ただし同じように大切なのは、どのような哲学とプレースタイルを持って勝利を収めるかです。

どのような内容で勝利を収めることができたのか、相手を圧倒することができていたのか、そのことを私は常に考えています。多くの怪我人が出ていたのは確かに痛かったです。しかし忘れてはならないのは、多くの試合で私たちが相手より優れたプレーをみせたということ、そして相手より多くの得点する機会を作り上げていたこと。

確かに順位表の結果だけをみれば、まったく思わしくない結果になってしまいました。ただし多くの試合ではとても優れたプレーを見せることができていましたし、そういうことは皆さんもぜひ忘れないでほしいです。そこまでチームの組織力があがってきたということ。私は客観的に事実を指摘しているだけです。

私たちはアレックス、闘莉王、都築、高原、阿部、そして今、細貝と六人の代表選手がこのチームを去っているんです。中立的な立場からすれば、なぜこんなに代表選手がいなくなるんだ、じゃあ誰で勝利を収めたいんだ?と思うでしょう。そして今プレーしているチームの中で、6、7人は、今から1年、もしくは2年前まではプロの業界では誰も知らないような選手でした。

例えば、宇賀神の名前を2年前まで知っていた人はそう多くはなかったと思います。高橋峻希も同じです、岡本拓也もそうです。これは何人かの数人の例です。でもこのような選手たちが今、主力級の選手となって、ピッチの上で活躍しているんです。このような新しい選手たちがピッチの上で成長していくことに関して、とても大きな喜びを感じることができていると思うんです。何が起きたかということを全員が理解しなくてはいけません。

先ほどリストアップした6人のA代表選手、この6人もチームの改革に取り組みました。しかし何人かの選手はこのクラブを去ることになりましたし、そして代わりにそれまで無名だった若手の選手たちがこのチームの一員となって、そして主力選手となって活躍しています。

現時点でドイツでは一つのとても優れたチーム作りに関する例があります。今。香川がプレーしていることもあって、多くの日本の方も興味をもっておられるところですけど、それはボルシア・ドルトムントです。彼らは1997年にUEFAチャンピオンズリーグで優勝しています。そして2002年にはドイツブンデスリーガで優勝しています。

しかしこのブンデスリーガで優勝を収めるためには、ものすごくたくさんの人件費を支払っていました。最終的にはとても大きな借金をしなくてはいけない状況になってしまうのです。毎年のようにドイツブンデスリーガで最もたくさんの観客がいるチームであるにも関わらず、2002年以降はほぼ毎年のように降格争い(残留争い)に参加しなくてはならないような状況になってしまいました。(その中の)一度は最終節で残留を決めることができたのです。

そして完成された選手を獲得するだけの予算がなくなってしまいました。そして今から3年前に若い選手を成長させることができる一人の監督(※ユルゲン・クロップ)を招聘しました。私はこの監督のことを良く知っているので、いろんな詳細情報を持っていますが、2年間、彼らは多くの若手を使いながら、順位表では中位の位置にいました。

そして今年3年目なんですけれど、この新しい仕事をし始めた監督の3年目で、今、現時点で彼らはブンデスリーガ首位で、秋の王者になっています。2位との差は勝ち点10になっています。ただし今、彼らが再び新しいチームを作って首位を走ることができるようになったのは、前回の優勝から8年経ってからでした。

ドイツでは、バイエルン・ミュンヘンよりもたくさんの観客がいる、観客動員数が一番であるクラブがこのような期間を乗り越えなければいけなかったのです。これが今、香川が所属しているチームです。チームの平均年齢はだいたい24歳です。

私がこの例をあげてお話したいのは、チームで成功を収めるのは一つのプロセスが必要だということです。サッカーというのは、前もってタイトルを約束して、そして成功を約束して、そしてできる限りたくさんの選手を集めて優勝する、そういうものではありません。この一つのプロセスを経て、初めてしっかりとした長期的な成功を収めることができるのです。私がここで仕事をして、土台を作り上げたことによって、長期的にチームが成功を収めることができるようになることを、私は心の底から願っています。これが、昨日の質問に対する答えです」

(後編へ続く)

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