“死のグループ”と称されたW杯アジア最終予選グループBを突破したのは、韓国と朝鮮民主主義人民共和国(以降、北朝鮮)。南北コリアがサウジアラビア、イランといったW杯常連国を退け、南アフリカ行きのチケットを手にした。韓国は7大会連続8回目、北朝鮮に至っては1966年イングランド大会以来44年ぶりの快挙である。

しかも、南北コリアが揃ってW杯出場を決めるのは、史上初のこと。「ひとつの民族、サッカーボールでひとつになった!!」とは韓国・国民日報の見出しだが、その歴史的快挙に南北両国が盛り上がっている。

在日コリアン3世として日本で暮らし、南北双方の代表チームを取材してきた私も感慨無量だ。サウジやイランと同居した組み分けの厳しさからして、3次予選に続いて最終予選でも同グループになった南北のいずれかが涙を飲むかもしれないと思った時期もあった。それでも見事に予選を突破した韓国と北朝鮮。その成功の背景を自分なりに分析すると、「チェンジ=変化」というキーワードが浮かんでくる。

■新たなリーダーの下生まれ変わった韓国
最終予選開始直後、韓国の状況は芳しくなかった。7年ぶりの自国人監督として代表監督に復帰し、08年東アジア選手権優勝なども成し遂げたホ・ジョンム監督だが、引き分けが多い堅実なサッカーは“虚無(ホム)サッカー”と陰口を叩かれ、ファンやメディアの一部では更迭を求める声も絶えなかった。

イ・チョンス、アン・ジョンファン、キム・ナミル、チョ・ジェジンといった実績のある選手を起用せず、若手や無名選手を大量抜擢するその手法にも非難が集まった。

ただ、それでも監督は実験的な選手起用を貫き、08年10月のUAE戦からパク・チソンをキャプテンに指名する。それまで韓国代表のキャプテンといえば、ホン・ミョンボやキム・ナミルといった親分肌の選手がその強烈なカリスマ性でグイグイ引っ張ることが多かったが、強面タイプではなくプレミアリーガーとしての威厳も振りかざさない“ソフトなカリスマ”でチームをリードするパク・チソンのリーダーシップで、チームはガラリと変わった。

練習の雰囲気は明るくなり、パク・チソンの提案で試合直前の移動バスの中では軽快なロックが流れるようにもなった。「必要以上に気負い硬直するのではなく、W杯予選という真剣勝負を楽しもう」と呼びかけた彼の言葉は、チームに自由で新鮮な新しい風を吹き込み、その自由な雰囲気がパク・ジュヨン、イ・グノ、キ・ソンヨン、イ・チョンヨンといった若手選手たちの発奮も促した。

結果がその事実を物語ってくれる。4−1の圧勝を上げたUAE戦でその口火を切ったのはイ・グノだったし、敵地で19年ぶりの勝利を挙げたサウジ戦でゴールを決めたのはイ・グノとパク・ジュヨンだ。2月の敵地イラン戦ではパク・チソン自らが値千金の同点ゴールを決め、4月の南北戦ではキム・チウが終了間際に決勝点をゲット。ワールドカップ出場を決めた敵地UAE戦でゴールを決めたのは、パク・ジュヨンとキ・ソンヨンだった。

彼ら若手の台頭と併せてシステムも4−4−2で定着した韓国は、その後もモチベーションを低下させることなく、必勝を期してソウルに乗り込んできたサウジ、イラン相手に黒星を喫することはなかった。そのイラン戦で起死回生の同点ゴールを決めたのがパク・チソンだったということが、韓国代表の変化の成果を象徴していたような気がしてならない。

新たなリーダーの誕生と若手の台頭。それが、20年ぶりとなるアジア予選無敗でW杯出場を決めた韓国の躍進の決め手となったのではないか。

■理想を置き、現実主義に走った北朝鮮
一方の北朝鮮。前回05年のW杯アジア最終予選時は、久々の国際舞台ゆえの経験不足とナイーブさを顕著に露呈したが、その戦いぶりを3次予選から取材しながら感じたのは、チームとしての成長だ。

キム・ヨンジュン、ナム・ソンチョル、ムン・イングッといった前回予選メンバーの経験値は高まり、2006年AFCユース選手権で大会MVPに選ばれたMFキム・グムイルなどの若手も加入。05年以降も東アジア選手権やアジア大会など、継続的に国際経験を積んできた成果を伺わせた。

中でも象徴的だったのがFWホン・ヨンジョの成長だ。北朝鮮初の海外進出選手としてロシアのFCロストフでプレーするFWは、頼れるエースとして急成長を遂げていた。

そうした本国選手たちに加え、川崎フロンターレのチョン・テセ、元名古屋で現在は韓国Kリーグの水原三星に籍を置くアン・ヨンハッら在日プレーヤーがアクセントとなった。

しかも、選手だけではない。在日サッカー界の重鎮でもあるキム・グァンホ氏をコーチとして迎え入れた。かつて在日は“客人扱い”される時代もあったが、北朝鮮サッカー界は自分たちの流儀にこだわるのではなく、世界のサッカー情報にも詳しい在日サッカー人も迎えてチーム力の強化に努めたのだ。

そして2007年11月のキングスカップから北朝鮮代表を指揮するキム・ジョンフン監督の下、実質的には5−3−1と言える超守備的戦術でアジア最終予選を戦い抜いた。関係者はそれを、「理想主義から現実路線への転換」とも表現する。というのも、前回予選時は対戦国との力関係を推し量る以前に“勝てるチーム作り”を意識したという。ただ、今回は“負けないチーム”を作る必要があると結論を出し、そこで登用が決まったのが、DF出身でその采配スタイルも守備第一主義のキム・ジョンフン監督だったというのだ。

実際、北朝鮮の試合は、昨年の東アジア選手権や5度の南北戦すべてをこの目で見たが、驚かされたのはその堅守速攻のスタイルが日を重ねるごとに研ぎ澄まされていったことだ。

社会主義体制下のステート・アマ中心の選手構成で、代表チームがクラブチーム並の集中強化ができるお国柄や、3人のDFの顔ぶれがほとんど毎試合変わらない守備陣の固定化もその要因だろうが、その守りはとても固く、耐えて耐えて耐え忍びながら奪ったボールを、チョン・テセとホン・ヨンジョに託す一途なまでのカウンターサッカーは一段と鋭さを増していった。ホームで勝利し、敵地で引き分けたサウジ戦などは、北朝鮮サッカーの真骨頂だった。

閉鎖主義からの脱却と継続的な国際経験の蓄積、有力選手の海外進出、チョン・テセやキム・グァンホら在日サッカー人たちの積極導入。そして、理想主義から現実主義への方向転換と言える、堅守速攻スタイルの徹底。北朝鮮44年ぶりの快挙もまた、「チェンジ」の成果だった。

だが、「チェンジ」したとはいえ、南北コリアの現在のチームレベルが世界に通用するかと問われれば、まだまだ課題は残る。日本代表と同様にターゲットマンを置かず、シャドーストライカータイプのFWを並べる韓国の攻撃陣で、果たして屈強で大柄のヨーロッパ勢に対抗できるのか。

自陣に張り付ついて亀のように守る北朝鮮の守備はアジアでは守り切れても、ヨーロッパ勢のパワーと高さには苦戦するはずだし、個人技に優れテクニカルな南米勢に翻弄されはしないだろうかなど、「世界」を視野に入れて両国のチーム状況を見ると必然的に不安や心配のほうが多くなる。だからこそ、南北コリアにはさらなる「チェンジ」を求めたいし、期待したい。

本番までこれから1年。果たして、南北コリアはどのような変化を試み、進化を遂げていくのだろうか。同じ血を分けた“ふたつのコリア”の挑戦を、これからも追いかけていきたい。(了)

 

慎武宏 /Shin Mu Koeng

1971年4月16日、東京都・浅草生まれの在日コリアン3世。主にサッカーを中心とした韓国スポーツに関連する記事を各種メディアに寄稿中。著書に『ヒディンク・コリアの真実』など。大韓サッカー協会公式サイト日本語版も手がけている。