ダイアナ妃が愛した男性は…(画像は『Lady Diana Foundation 2015年4月12日付Facebook「Could William pay tribute to his late mother by naming his first daughter Diana?」』のスクリーンショット)

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今から約20年前のこと、英ダイアナ妃はフランスで交通事故に遭い死去した。享年36歳。結婚後は夫チャールズ皇太子の不倫、自身の不貞行為、取材の過熱や摂食障害などに苦しみ、最後は“愛する人ドディ・アルファイド氏”と共に事故死した。しかし妃が心から愛していた男性は、「実はアルファイド氏ではなかった」という証言がこのほどある筋から浮上してきた。 

波乱に満ちた人生を、フランス滞在中にまさかの形で終えたダイアナ妃。その際一緒だったドディ・アルファイド氏につき、実は「彼女の最後の恋人ではなかった」とする説がある。妃は死の2年前にロンドンの病院にて心臓外科医ハスナット・カーン氏と出会い、たちまち惹かれたとのこと。妃のある友人はメディアにこう語っているのだ。

「カーン氏に出会ったころ、ダイアナは酷く孤独でした。チャールズとの関係破綻により、全てを失くしたからです。誰を信じればいいのかすら、分からなくなっていました。」
「(ダイアナのネタを売るような人間とは)違った。そして彼になら頼れる。ダイアナはそう思ったのです。」

その後カーン氏とダイアナ妃の熱愛は2年間続いたとのこと。2人は結婚についても話し合ったというが、同氏は常に世間の注目を集める妃との関係に苦悩するように。またパキスタン系のカーン氏とは文化の違いもあり、97年には破局したという。その後ほどなくして妃はアルファイド氏との関係を深めたが、本当に愛していたのは彼ではなくカーン氏だったという説も根強かった。

しかし『E!News』によると、ダイアナ妃の友人達から「それは違う」という証言が浮上した。取材に応じた友人は、以下のように話している。

「彼女が愛していたのはカーン氏ではありません。最後には、彼と一緒にいるのも嫌がったほどです。自分達は相性が合わないと言い出したのもダイアナのほう。宗教や彼女のステータスは無関係ですよ。ただ息子達を共に育てる相手としてもっとも相応しい人だとは思えなかったんです。」
「ダイアナが一番恐れたのは、息子達に会えなくなることです。」
「カーン氏にも問題があったのです。しかもダイアナは、王族が彼のあら探しを始めるような状況は避けたかった。そして(王子らに会えなくなる)リスクを、どうしても避けたかったのです。」

ダイアナ妃の両親も離婚し親権をめぐり争ったため、「王子達には同じ思いをさせられない」との思いが強かったとのこと。それがカーン氏と離れる主な要因になったという友人は、ダイアナ妃が“本当に愛していた男性”についてこう語った。

「それは、チャールズ皇太子です。」

実際に、離婚が決まった際のダイアナ妃の悲しみはとても大きく、妃が最も責めたのはチャールズ皇太子の愛情不足よりも「王室からのサポート不足」だったという。ダイアナ妃と王室の体制不備について話しあった人物も、何も分からず王室に嫁いだダイアナ妃の不安と戸惑いは大きかったと告白。現在では王室もそれを十分に理解、過去の教訓としているからか、民間から嫁いだウィリアム王子の妻キャサリン妃へのサポートと与えられる自由は、まさに十分すぎるほどだ。

一方でチャールズ皇太子も、決してダイアナ妃を憎く思っていたわけではないようだ。皇太子は「ダイアナ妃がフランスにて事故死した」との知らせを受け、母エリザベス女王の反対を押し切りフランスへ。妃の亡骸と対面し、涙をボロボロと流しながら立ちすくんだという。その後は遺体を英国に運ぶ手配をし帰国後に葬儀を執り行ったが、「妃を愛する何者かに暗殺される危険がある」と感じつつ、皇太子は妃の棺の後ろをしっかりと歩いた。若い頃に愛の意味を教えてくれたカミラ夫人と離れられず妃を苦しめた皇太子だが、自分を愛し息子達を産んだ妃、そして英国王室の世界的人気を不動のものにした妃への愛も、確かに最後まであったようだ。

画像は『Lady Diana Foundation 2015年4月12日付Facebook「Could William pay tribute to his late mother by naming his first daughter Diana?」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 ケイ小原)