5月22日、ロンドン五輪・ミドル級金メダリストで昨年8月にプロ転向を果たした村田諒太(28歳・三迫ジム)が、島津アリーナ京都でヘスス・アンヘル・ネリオ(25歳・メキシコ)を6回でほおむり、4試合連続でKO勝ちを飾った。初回から右ストレートを軸にした攻撃的なボクシングで、相手を圧倒するという完勝だった。順調な成長曲線を描いている村田には、来年後半、10戦目前後で世界挑戦の路線が敷かれている。ただ、プロ4試合目として、村田の出来栄えはどうだったのか。

 今回の相手、メキシコ人のネリオは15戦12勝(6KO)3敗の戦績を残している選手で、過去2試合を映像で確認した村田は、「上体が柔らかく戦いにくいタイプ」と評していた。村田にとってはアマチュア138戦(119勝89KO19敗)、プロ3戦を通じて、初めて拳を交えるメキシカンだった。

 ほかのスポーツでもそうだが、ボクシングも国や地域によって、戦い方や特徴が微妙に異なるものだ。ボクシング大国ともいえるメキシコの選手の多くは、日本人とは異なるリズムで試合を組み立て、斜め下からのパンチを多用する好戦的な選手が多いことで知られている。ネリオはその典型というわけではなかったが、それでも相手のパンチの効果を低く抑える術は長(た)けていた。村田が言う「クリーンヒットを許さないタイプ」とは、そのあたりのことを指している。

 今回の試合は、そういうタイプと初の10回戦で拳を交えることに意味があったといえる。こうしたことを十分に理解したうえで村田は、「ラスベガス合宿で右ストレートから左ボディブローの返しが良くなった。僕のストロングポイントは身体とパンチの強さ。上下の打ち分けで詰めて行ってKOしたい」と話していたものだ。

 試合はほぼ、そのとおりの展開となった。村田はスタート直後から圧力をかけてネリオを下がらせ、左のジャブで切り込んで右ストレートを繰り出す。さらに左のボディブローをめり込ませるなど、パワー主体のボクシングで圧倒していった。右ストレートを惜しげもなく繰り出すことでパンチの連係がスムーズになり、全体的なスピードが増したという印象を受けた。「僕は生粋のファイター。前に出て倒しに行くタイプ」と自己分析していたように、持ち味を前面に出すことでプラス効果が得られたようだ。

 また、2戦目よりも3戦目、そして3戦目よりも今回(4戦目)の試合のほうがプロの水に馴染んだ戦い方といえた。フィジカルの強さを生かしてガードを固めて前進し、左ジャブであおり破壊力のある右ストレートから左のボディブローにつなげる――。今後は、この戦闘スタイルをベースに肉付けをしていくことになりそうだ。

 ただ、それらを踏まえたうえで、いくつか気になる点が散見した。そのひとつが、顔面への左フックが皆無だったことだ。最大の決め手である右ストレートをより効果的にするためにも、また相手に与える恐怖感という意味でも、さらに攻撃のバリエーションを増やす意味でも、左フックの返しは「必須」といえる。

 また、パンチに緩急と強弱のアクセントもほしいところだろう。さらに欲をいえば、今後は相手を追い込んだ際の詰めの研究も必要だ。一方的に攻めながら試合が6回まで長引いたのは、まだまだ甘さがあったということでもある。もうひと工夫があれば、勝負はもっと早く決したかもしれない。

 思い出すのは、1980年代から1990年代にかけて3階級制覇を成し遂げたメキシコのレジェンド、フリオ・セサール・チャベスである。チャベスは村田と同じ攻撃型の選手だったが、さまざまな策を用いた頭脳派としても知られている。相手を追い込んだあと、チャベスは一気に攻め込むだけでなく、相手に瞬間的に逃げ道を与える方法も採った。たとえば、ロープやコーナーに相手を詰めたあと、自分が一歩下がる。それに釣られて、相手も押し返そうと前に出る。その瞬間に、カウンターを合わせるのである。相手のガードを開けさせたうえで、パンチの効果も倍加させるわけだ。こうした知識は、ボクシングマニアでもある村田も承知しているはず。実戦に採り入れることができれば、鬼に金棒となるだろう。

 村田が契約を交わしているアメリカの大手プロモート会社、トップランク社のボブ・アラム・プロモーターは、村田の世界挑戦の時期に関して、「来年の後半、10戦目」と目途をつけている。周囲からは「急ぎ過ぎ」との声も聞こえてくるが、必ずしもそうとは言い切れない。

 1992年バルセロナ五輪・金メダリストのオスカー・デラ・ホーヤ(アメリカ)は、プロ転向から1年4ヵ月後の12戦目で最初の世界王座を獲得している。また、1996年アトランタ五輪・銅メダリストのフロイド・メイウェザー・ジュニア(アメリカ)もプロ転向2年、18戦目で戴冠を果たした。さらに、2000年シドニー五輪と2004年アテネ五輪連覇のギレルモ・リゴンドウ(キューバ/アメリカ)は転向1年半後の7戦目で王座を獲得し、アテネ五輪・金メダリストのユリオルキス・ガンボア(キューバ/アメリカ)もプロ2年目の15戦目で王座を手に入れている。過去の五輪メダリストのように実力さえ伴っていれば、10戦目で世界を狙うことは無謀ではない。ただし、1976年モントリオール五輪・金メダリストのレオン・スピンクス(アメリカ)のように、プロ転向13ヵ月後の8戦目でモハメド・アリ(アメリカ)を破って世界ヘビー級王座を獲得したものの、わずか7ヵ月の在位に終わり、その後、鳴かず飛ばずだった例があることも忘れてはならないが......。

 村田が長足の進歩を見せていることは事実だが、先達らと同等の成功を収めるためには、経験の上積みが不可欠だ。特に、サウスポーやスピードのある選手、手数の多いファイター、スタミナ旺盛でタフな相手との対戦は避けて通れない。村田にとって未知のタイプは、まだまだ多いのである。

 1年半後の世界挑戦を見据え、陣営では年内に2試合を組む予定だという。大勝負へのカウントダウンが始まったことで、村田に課されるノルマはさらに厳しいものとなるはずだ。どんな実績を持った選手を選ぶのか、どんなタイプと対峙するのか、そしてどんな試合をするのか――。「金メダリストとして、世界を取るのは義務」と言い切る村田の次戦を楽しみに待ちたい。

原功●文 text by Hara Isao