ドイツのサッカーといえば、かつてはひどく守備的だった。第1戦を4対1、あるいは4対0で勝っていれば、第2戦は守備的に行くのがドイツ式の定番だった。01〜02シーズンのファイナリストになったレバークーゼンなど、例外はあるとはいえ、数年前までドイツはイタリアに迫る守備的な国として知られていた。

 そのイメージが完全に払拭されたのが、今回の準決勝だ。

 マドリー対ドルトムント第2戦。ドルトムントは開始当初、マドリーに押し込まれるも、一区切り付くと負けじとすかさず前に出た。

 試合はどちらか一方が前に出て、どちらか一方が後方に引くという展開ではなかった。よくかみ合っていた。好試合になった原因だが、かつてはそうではなかった。

 90年代後半から2000年代の初めにかけて、欧州が守備的サッカーと攻撃的サッカーに割れていた頃は、片方(攻撃的)がひたすら攻め、片方(守備的)がひたすら守る、まさにかみ合わせの悪い試合が頻繁に目に止まった。00〜01シーズンのチャンピオンズリーグ準決勝、バイエルン対レアル・マドリーなどはその典型的な試合になる。

 攻撃的と守備的に2分された当時の欧州で、攻撃的サッカー陣営をリードしたのはスペイン。守備的サッカーをリードしたのがドイツとイタリアだった。その後、その東西の冷戦構造を彷彿させるイデオロギー対決は終わりを告げる。守備的サッカーといわれるモノは順次消滅。攻撃的サッカーに靡いていくことになった。

 ドイツも過去と決別。守備的サッカー時代の面影を、いまのドイツに見ることはほとんどできない。いまだ攻撃的サッカーに大きく舵を切れずにいるイタリアとは違う。その結果、ドイツの欧州内でのポジションは上昇。片や、イタリアは01年にトップの座を滑り落ちて以来、長期低落傾向に歯止めを掛けられずにいる。

 変わったドイツと、穴から抜け出せずにいるイタリア。イタリアは、異なる価値観を他国から積極的に取り入れようとしなかった。攻撃的サッカー陣営から指導者を招こうとはしなかった。唯一の例外はインテルの監督を務めたベニーテスぐらいになるが、その彼も、僅か半年でチームを追われるように離れている。

 片やドイツは、攻撃的サッカーを売りにする隣国、オランダの影響を受けやすい環境にあった。布教精神に富むオランダの指導者は、ドイツのクラブにかなり入り込んでいた。09〜10シーズン、バイエルンをチャンピオンズリーグ決勝に導いたルイス・ファンハールは、その代表的な指導者になる。

 リベリーとロッベンの両ウイングは、そのファンハール時代に結成されたコンビになるが、守備的だった頃のドイツには、ウイングは存在しなかった。典型的なドイツ人監督なら、両者を異なるポジションで起用していた可能性が高いのだ。

 このウイング文化は、何十年も前に、リナス・ミホルスとクライフによって、オランダからバルセロナに流れていった経緯がある。そうした事実を踏まえると、バイエルン対バルサ戦は、親戚同士の対戦にも見えてくるのだった。