石破茂の総裁就任で「自民党の内部崩壊」が決定的に進む…その「意外なメカニズム」を読み解く

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自民党総裁選が終わり、石破茂氏が総裁に就任した。「石破体制」のもとで、自民党はどうなっていくのか。

自民党の「いま」を知るのにもっとも便利な書籍『政治家は悪人くらいでちょうどいい!』の著者で、産経新聞の上席論説委員である乾正人氏が読み解く(文中敬称略)。

手厳しい洗礼

やはり、石破茂という男は、「悪党」にはなれなかった。

石破茂新体制は、市場の手厳しい洗礼を浴びてスタートした。

自民党総裁選が終わり、新総裁が決まった翌営業日の株式市場は、「ご祝儀相場」でいったんは上がるのが普通だが、日経平均株価が一時二千円以上も下がり、終値も率にして四・八%も暴落したのは、石破が初めてだ。

確かに石破は、総裁選期間中、株式売却益など金融所得の課税強化を打ち出すなど、財務省寄りの考え方を示していたのは確かだ。

だが、株価の下げ幅を加速化させたのは、決選投票まで勝ち上がり、僅差の二位で敗れた高市早苗を幹事長という党の最重要ポストに指名しなかったことだ。党三役とはいいながら、総務会長といういまや「お飾りポスト」にすぎない役職を打診し、断らせて正真正銘の「反主流派」に追いやったことで、市場に大きな失望感を与えたのである。

総裁選に初挑戦し、議員票では四十一票を獲得して善戦した小林鷹之に党広報本部長を打診し、断られたのも誤算だった。

自民党内に久方ぶりに、「反主流派」が誕生した。しかも高市、小林の二人は、党の「岩盤支持層」と呼ばれている右派の支持を得て、総裁選であわせて党員票の三分の一以上を獲得している。

同時に、長年のお友達であるリベラル派の岩屋毅を外相、安倍晋三を「国賊」呼ばわりした村上誠一郎を総務相に起用したことも右派から猛烈な反発を食らった。

皮肉なことに、石破が生涯敵対した安倍晋三が、第一次政権で犯した「お友達人事」の轍を踏んでしまったのだ。

石破流人事は、自民党を完全に分断してしまった。十月二十七日に投開票が決まった衆院選への悪影響は避けられない。何しろ、自民党に投票し続けてきた日本会議や雑誌「正論」や「Hanada」といった保守系雑誌の購読者層が、高市・小林グループ以外の自民党議員への支援を「ボイコット」し始めたのである。

「悪党」政治家とはなにか?

もし、石破が五度目の総裁選を機に「悪党」政治家に変身できていたなら、このような失敗は犯さなかっただろう。

「悪党」政治家とは、一言で言えば権力を握るためには手段を選ばない「強い」政治家を意味する。詳しい定義や戦後の日本政治においていかに「悪党」政治家たちが重要な役割を果たしたかは、拙著『政治家は悪人くらいでちょうどいい!』をお読みいただきたいが、石破は、読者の皆さんが想像されている通りの真っ直ぐで、好き嫌いが激しい理屈好きの政治家である。

安倍も実は、石破に似たタイプの政治家だったが、第一次政権での失敗を教訓に「悪党」政治家に脱皮した。

それが証拠に、十二年前の自民党総裁選で、決選投票で逆転して総裁に就任すると、ライバルでかつ大嫌いな石破を幹事長に抜擢して挙党体制を演出し、政権奪還に成功した。その後、政権基盤が安定してから彼を幹事長ポストから追い出し、内閣の軽いポストに配置転換するなどして石破の力を徐々に削いでいったのは記憶に新しい。

もし、石破が「悪党」政治家だったなら、人気のある高市を幹事長に、小林を重要閣僚に起用して総選挙と来年夏の参院選という二大国政選挙を戦い、終わればお役御免にしたはずだ。

あるいは、小林だけ重要閣僚に抜擢し、高市だけ孤立させる策もあった。

しかも石破には、安倍政権を誠心誠意支えた菅義偉のような「軍師」がいない。

石破は、決選投票で逆転勝利に導いてくれた菅を論功行賞として自民党副総裁に遇したが、安倍の暗殺後に体調を崩した菅に往年の切れはない。

一方、首相官邸は、偽装解散した宏池会の事実上の跡目である林芳正が仕切ることになった。今回の総裁選に初出馬した彼の狙いは、三年後の総裁選での勝利。あわよくば長期政権をもくろむ首相と一心同体になりようがない。

自民党副総裁から最高顧問に棚上げされた麻生太郎は、石破体制初の総務会終了後、恒例となっている写真撮影に応じず、そそくさと退席した。

結党七十年を目前にして「自民党崩壊」へ向けたカウントダウンが始まった。

【つづき】「石破茂は、なぜ自民党内で嫌われるのか? 安倍晋三、田中角栄…党の「カリスマたち」との「意外な関係」」では、さらに石破氏の政治家としての来歴についてくわしく報じています。

石破茂は、なぜ自民党内で嫌われるのか? 安倍晋三、田中角栄…党の「カリスマたち」との「意外な関係」