(写真: metamorworks / PIXTA)

「文章を書くのが苦手」「何を書いていいかわからない」。そんな悩みを抱く人も多いのではないでしょうか。『一度読んだら絶対に忘れない文章術の教科書』を上梓した辻孝宗先生は、毎年東大合格ランキング上位に入る、全国屈指の難関校・西大和学園で国語を教えています。辻先生が文章の切り取りで炎上が起きる背景を解説します。

一部を切り取られて、発言が炎上

「前後の文脈から一部の発言だけを切り取るのは間違っている!」

こんな言葉を日頃耳にすることも多いのではないでしょうか。政治家の発言が炎上し、「そこだけ切り取ったらそういう発言に見えるかもしれないが、趣旨はまったく逆だ」と弁明する、なんてことはよくありますよね。

学校で生徒たちと接していても、「Aくんが自分にこんなことを言った!」「いや、自分はそういう意図じゃなかった!」というようなやり取りはよく見られます。

これらの現象は、とある文章のテクニックを知っている人と、知らない人の間でしばしば起こることです。国語の授業でそのテクニックを習っている人であれば、こうしたコミュニケーションでの行き違いは発生しないのです。

今回は、文章を書いたり読んだりするときや、人の話を聞くときにも使える、「誤答の並列化」というテクニックをご紹介したいと思います。

まずは、この文章を読んでみてください。

なぜこの店は繁盛しているのだろうか?
立地が良いのか、と考えると、そうではないとわかる。ここはとても辺鄙な場所にある。広告を打って人が多く集まっているのでは?と考える人もいるだろうが、そんなことはしていない。それなのになぜ、この店はたくさんのリピーターがいるのだろうか?
その答えは、味だと私は考える。

これは、「なぜこの店は繁盛しているのか」という問いを持ち出しつつ、その答えが「場所」や「広告」ではないということを先に示し、満を辞して「味」という本当に伝えたかったことを最後に持ってきています。これは、問いかけに対して、あえて間違った回答を挟み、「誤答の並列」をすることで、正解を際立たせる手法なのです。

誤答の並列化
「Q1 この問いの答えは?」
「Q2 この問いの答えはAか?」「A2 違う」
「Q3 この問いの答えはBか?」「A3 違う」
「A1 この問いの答えはCだ」

この文章は「なぜこの店は繁盛しているのか?その答えは、『味』だ」だけで成立します。それが伝えたいことであり、それ以外はなくても文章として十分成立するものです。

それなのになぜ、長々と「立地が悪い」「広告を打っているわけではない」と間違った回答を並列しているのか?それは、『味』といういちばん言いたい答えを強調するためです。

「なぜこの店は繁盛しているのか?その答えは、『味』だ」だけでは、味がどれくらいいいのか、わかりませんよね。「立地の悪さや広告を打っていないというマイナスをはねのけるくらい、味がいいんだ」ということを伝えたいわけですね。

このような「誤答の並列化」は、文章に厚みを持たせるときに有効な手段だと言えます。

有名漫画も「誤答の並列」のセリフがある

例えば、「ONE PIECE」という漫画のワンシーンで、こんな言葉があります。16巻のDr.ヒルルクという人物のセリフです。

人はいつ死ぬと思う…?
心臓を銃(ピストル)で撃ち抜かれた時……違う
不治の病に冒された時……違う
猛毒キノコのスープを飲んだ時……違う!!!
……人に忘れられた時さ……!!!

心に残るセリフですが、このセリフも、誤答の並列で書かれていますね。「人はいつ死ぬか」という問いがあり、あえて3パターンの誤答を並べたあとで、「人に忘れられた時」という、いちばん言いたいことを最後に持ってきています。

こうすることによって、「人に忘れられた時」という答えに、大きな重みを持たせているわけですね。

ただ「人は、人に忘れられた時に死ぬ」と伝えるだけではなく、「ピストルで打たれても、不治の病に冒されても、猛毒キノコのスープを飲んでも、本当の意味で『死ぬ』わけではない」というメッセージが前提にあるからこそ、強く相手に響くわけです。

政治家も含めて、相手に強く何かのメッセージを伝えたい人は、この手法を使うことが多くあります。

「今のみなさんの生活が苦しいのはなぜか? みなさん自身の問題なのか?違いますよね。〇〇という政策の問題なのです!」というように、あえて誤答を挟むことで相手にメッセージを強く印象付けることができるわけです。

ちなみに国語の授業で漢文の勉強をしていると、この手法が使われた文章を読む機会はとても多いです。漢文の勉強をしている人なら、「ああ、こういう手法の文章ってあるよな」と思ってもらえると思います。

国語の勉強で相手の発言の意図が理解できる


そして、この手法に馴染みが薄い人だと、「あの政治家は、『今のみなさんの生活が苦しいのはなぜか? みなさん自身の問題なのではないか?』と言っていた!」というように、間違って解釈してしまうことがあります。あえて誤答を挟んでいるだけなのに、その誤答を「本当にそう思っていること」と解釈してしまうわけですね。

国語は、勉強すればするほど、解釈を学ぶことができます。相手が本当に何を言いたかったのか、どうして相手がそんなことを言ったのか、解釈して理解することができるようになるのです。

そしてその能力は、国語に限らず、人生の多くの場面で必要になってくるはず。ぜひみなさんには、国語を今一度学び直す機会を持ってもらえればと思います。

(辻 孝宗 : 西大和学園中学校・高等学校教諭)