香川の隠れた観光スポット、予約制の古書店「なタ書」。店主の藤井佳之さん(筆者撮影)

現代美術を楽しめる島として人気の直島を擁し、瀬戸内国際芸術祭の開催でも知られる香川県は、近年カルチャーを感じられる旅先として人気が高い。

その中心地である高松に、国内外で話題を集める予約制の古書店がある。その名は「なタ書」。予約している間は貸し切り状態で本を選ぶことができ、客が希望すれば高松の街案内や人生相談も引き受ける。人気古書店の客層は老若男女問わず、有名人もお忍びで訪れるという。

一期一会の出合い

品揃えは芸術、思想、哲学から実用書、児童書まで幅広く、掘り出しものが見つかる。店主独自のルートから仕入れたジン(同人誌)も豊富で、一期一会の出合いが期待できる。

古いトタン小屋をDIYでリノベーションした内装も独特で、近年は映画のロケ地としても人気だ。


外観からは想像できない内装は、店主がDIYで作り上げた。高松のショッピングエリアの瓦町にあり、アクセスも良好(筆者撮影)

店主の藤井佳之さんは1976年大阪府生まれ。その後高松に移り高校時代まで高松で過ごし、横浜国立大学に進学。東京の角川書店(現:KADOKAWA)で新規事業に携わった後に29歳で地元に戻り、予約制の古書店「なタ書」をオープンした。


藤井さんの語り口は独特。「なタ書」の日常をつぶやくTwitter(現X)を楽しみにするファンも多い(筆者撮影)

そのまま東京で生きる道もあったが、しなかった

「29歳のときに所属していた部署が、赤字を抱えてなくなりそうになりました。そのことがきっかけで異動するか転職するかという選択に迫られたときに、そのまま転職なり異動なりして東京で生きる道もあったのですが、そうしなかった。ふとこのまま東京にいる人生が、5年、10年先まで想像がついてしまったんです。そこで冷めてしまいました。

別の角度からいうと、僕は当時ひとり暮らしで家賃を20万円払っていたんですよ。それを払い続けるとなると10年で2400万ですよね。そのために働く。それが馬鹿らしくなったということもあります。

最初は香川に帰ってくる気持ちはなくて、沖縄の出版社で引き合いがあったので、そこで働こうと思っていました。それが新幹線に乗っているうちに高松の実家や、ひとり親で自分を育てた母のことが頭に浮かんできて、とりあえずのつもりで高松に戻り、今に至ります。

横浜国立大学に行ったときは高松が嫌で仕方がなくて飛び出したわけです。実は高松にUターンした時も、気持ちの変化はありませんでした。

それでも親のことだったり、そもそもが縁のない土地で生きる窮屈さだったりと、東京から離れるにつれ故郷に気持ちが収斂していきました。そういうときって、妄想でどんどん自分の選択に意味付けしていくんです」

「高松ではハローワークに行ってみても自分のやりたい仕事はない。それで何か店でもやってみようかなと思って古本屋を始めました。当時東京では2002年にオープンした松浦弥太郎さんの『COWBOOKS』が火付け役となって、個性的な古本屋が出始めていたころでした。

前職の仕事柄、僕は本屋界隈のトレンドはつかんでいましたが、2005年の四国にはそんな個性的な本屋はまだなかった。だから『なタ書』をオープンしたのです。将来的に個人が営む本屋の面白さが支持される時代が、絶対に来るという確信はありました。

ただし当時の高松には、新しいタイプの古書店が支持される文化的な土壌自体がなかった。正直にいえば香川県でこの店が受け入れられるには、時間がかかるだろうと思っていました」

うまくいったのは、時代の巡り合わせもある

東京の出版業界で得た知見と、個人的なアンテナに導かれる確信によって「なタ書」を開店した。しかしそれはあくまでも都会から来た人間の見立てであって、当時の香川県の市場はまったく開拓されていなかった。後に商売がうまくいったのは、時代の巡り合わせもあると彼は言う。

「開店当初はまったく予測していなかったことですが、ここ20年で飛躍的にソーシャルメディアが普及して、個人商店でも情報発信がしやすくなりました。

加えて現代アート関連で直島が人気になったり、瀬戸内国際芸術祭が成功したりといったことで、香川への観光流入が増えたこともあります。住人の文化に対する意識も高まっていると思いますね。そんなことが追い風になり、仕事は順調です」

都心で受け入れられているトレンドを地方で展開するのは、ビジネス成功のひとつの定石。だがあるトレンドがどれぐらい広がるのかは、その土地の特性によって予測できない部分もある。藤井さんはブルーオーシャンだった高松でいち早く「なタ書」を立ち上げ、結果的に時代がそれに追いついた。

高松のカルチャーシーンの草分けとして、藤井さんは知る人ぞ知る存在だ。街を歩けば地方議員から近隣の商店主、学生まで、さまざまな人から声がかかる。仕事面でも店に置く本の選書を任されたり、四国内や周辺地域のブックイベントの出店を請われたりと、広く活躍している。


取り扱いは古本だけでなく、独自に仕入れているジンも(筆者撮影)

「なタ書」は開店当初から一貫して予約制を貫いている。予約があるときは完全に貸し切りにして、その客だけを接客する。請われれば人生相談に対応し、街歩きにも連れ出す。予約が入ってない時間帯をフリー客の来店可能な時間帯として告知するときもあるが、基本的には営業時間というものはなく、予約があれば店を開けるスタイルを貫いている。

「開店当初は、どうせ古書店だけでは食べていけないだろうと思って、予約制にして店を開けていました。そうすれば、時間の融通が利き、他のアルバイトもできますから。今では古本屋専業ですが、予約制をやめる気はありません」

なぜ予約制の古本屋が、潰れずに成功できるのか?

藤井さんはむしろ「予約制は営業面でも理にかなった方法」だという。

「古本屋として心がけているのは、いつどんな時でも自分ができる接客レベルで60%以上の接客を心がけること。店を続けるうえで、そのためのコンディションの維持には気を付けています。結果的にそれが70%、80%の接客になる分にはまったく問題がないのですが、50%だと普通ということで、満足度が低くなってしまう。だから60%が目安です。

逆にフリー入店可能な時間帯にフラッと来た客にまで110%の接客をしたら、暑苦しいでしょう。一方で予約を取って来る場合は、相手も期待値が高いことが多いですね」

客商売には相手のニーズに合った対応が必要で、手厚い対応を求めている人を見抜くためにも、予約制は都合が良いのだろう。

しかし予約を取るとその時間は一組だけになってしまう。客が高松街案内を所望すれば、夜どころか明け方まで一緒に飲み歩いたりもするとのことだから、回転率も悪い。そもそも予約が全然入らない可能性だってある。それらをリスクとは感じないのだろうか。

「予約を取って営業するのは、フレンチレストランなども一緒。レストランなら半年待ちの店も普通にあります。飲食店にできて古本屋にできないことはありません。もし飲食店にできることが本屋にできないとしたら、それは食に対する本の敗北です」

藤井さんはそう断言する。それは顧客体験に絶対の自信があるからこそ、言えることだ。ニーズの高い客と事前にやり取りをして好みを把握できれば、それにフィットした商品を揃えることもでき、自然と客単価も高くなる。それは確かに、完全予約制の高級レストランにも似た方法かもしれない。


取材当日は東京のミュージシャン「このよのはる」がツアー中に立ち寄っていた(筆者撮影)

実際、ソーシャルメディアに投稿された口コミを見ると、「なタ書」を訪れた人の満足度は高い。店のTwitter(現X)アカウントでは、藤井さんによる来店客のポートレート写真が定期的にアップされるが、どの人も貸し切りの空間でゆっくりと本を選ぶことの幸せに包まれている。

「予約を取ってまで来る人は、お客さんも個性的な人が多いですね。アーティスト、編集者、映画監督などのクリエイティブ系の人も来ますが、そうでない人も癖が強い。

クリスマスに来て、また次のクリスマスの予約を入れていくタイプの人たちがいるんです。クリスマス前に恋人ができるとキャンセルされる。喜ばしいことですが、僕の方は予定が白紙になってしまう。ひとりでクリスマスを過ごさないようにするための、保険ですよね。こっちはいい迷惑です(笑)」

予約を取るということは、その人のために時間と空間を確保することであり、キャンセルされたときのリスクもある。しかし藤井さんはそのリスクも受け止める。

「結局はその人が職業を通して、何をやりたいかということでしょう。例えば松浦弥太郎さん、内沼晋太郎さん、ほかにも有名な本屋さんはいますが、それぞれの人が本屋を通じてやりたいことがあるわけです。各人それが面白いと思っているからやっている。

僕は『なタ書』の店主として、本を探している人と会って話すことが面白いと思うから、そうしている。その結果として、予約制を続けたり人生相談や街案内を受け付けたりしているだけです」

藤井さんが「古書店を通じてやりたいこと」に、とことん忠実であるが故に行きついた営業スタイルは、前例がなくとも人の心をつかみ、彼を唯一無二の存在にしている。

「東京バージョンの自分」とは、いつも対峙している

「Uターンして良かったか」と問うと、藤井さんは目を細めてしばらく考え込んだ。


街歩きは、ローカルなおすすめポイントを巡りながら、来客と街の人々を結びつける。この日は同行したアーティストを地元のライブハウスに紹介するひとコマも

「前職の出版社に勤め続けていたら、この年になれば相当な年収があったはず。過去に捨てた『東京で働き続けた未来の自分』は、つねに意識しています。

その度に、今は東京バージョンの自分よりも、面白く生きられているんじゃないかと思いますね。ただ困ったことにこの仕事も安定してきて、東京に居たときと同じように『先が見える』状態になってきてしまって……」

どうやら藤井さんは仕事が軌道に乗ると退屈してしまう性分らしい。古本屋を辞めて別の仕事をする可能性もあるのか、今後の展望も聞いた。

「古書店を辞めるつもりはないです。でも活動の幅を広げる可能性はあるかもしれません。実はすでに考えていて、俳優になるために動き出しています。

本屋が執筆活動や講演活動をやったりするのは、今や普通で、それを僕がやっても面白くない。でも本屋が傍らに俳優をやるのは、珍しくて面白いんじゃないですか?

むしろZ世代には映画俳優としての僕を、先に知ってほしいくらいですよ。そのうえで『実はあの人は古本屋でもあったのだ』と思われるのが理想です」

自分の心が向かう地はどこか

そう煙に巻く藤井さんだが、事実として今年撮影のいくつかの映画に出演している。また「なタ書」の空間は、国内外のさまざまな媒体のロケ地として人気だ。藤井さんの突出した個性や、それが反映された「なタ書」の空間の魅力ゆえんだろう。


映画『僕だけの記憶』の撮影風景(写真提供/藤井佳之)

コロナ禍以降地方移住に興味のある若者が増えてきている。内閣府が2020年5月から6回(最終調査2023年3月)実施した「新型コロナウイルス感染症の影響下における生活意識・行動の変化に関する調査」によれば、東京圏在住者の地方移住に「強い関心がある・関心がある・やや関心がある」と答えた割合は、全年齢で35.1%、20代に限ると44.8%にものぼる。

個人の幸せに焦点をあてた場合、首都圏で暮らすのが良いのか地方で暮らすのが良いのかということに、明確な答えなどない。ただ首都圏一極集中が当たり前と思わずに、自分の心が向かう地があれば、そこで個性を発揮することも生き方だ。情報網や交通網が発達した今ならばなおさら、東京バージョンだけにとらわれることはない。

(蜂谷 智子 : ライター・編集者)