非行に走る少年少女たちの実際とはーー(写真:maruco/PIXTA)

元法務省でこれまで1万人の犯罪者・非行少年を心理分析してきた犯罪心理学者の出口保行氏の最新刊『犯罪心理学者は見た危ない子育て』では、子どもの将来を壊しかねない、家庭教育にひそむ危険性について解説している。

回転寿司チェーンで撮影された迷惑動画、新宿歌舞伎町を荒らすトー横キッズ、闇バイトとして強盗や詐欺に加担させられる若者たち……。なぜ少年たちは非行に走るのか。背後には、子どもに無関心な親たちがいるのではないかと、出口氏は指摘する。

※本記事に出てくる実例はプライバシー等を考慮し一部改変しています。

アヤノのケース

アヤノの家は共働き家庭。父親も母親も仕事熱心だ。両親は中学の同級生で、同窓会で会ったときに仕事の話で盛り上がり、交際が始まったという。

アヤノの母親は営業を天職と考えており、妊娠がわかったときは、まず「仕事を休まなきゃならないわ」という不安が頭をもたげた。ブランクができれば、キャリアアップの障害になる。子どもがほしいと思ったことはなかった。産んでみたら心境が変わるかと思ったが、変わらなかった。すぐに仕事に復帰して、朝から晩まで働くことを選んだ。

父親も子どもに興味がなかった。もともと出張が多く、平日はほぼ家に帰ってこない。たまに帰ってきても「付き合いだから」と言ってゴルフに出かけてしまう。アヤノの誕生日も関係なしだ。娘がいま何歳なのかを聞かれても、すぐには答えられない。

アヤノの両親はいわゆる「パワーカップル」で、ともに収入は高い。母親は「仕事をしているのだから、家事ができないのは当たり前」と考え、家のことはあまりやらなかったが、家事代行などさまざまなサービスを使い、家はきちんと保たれていた。

それに、両親ともにアヤノに対して否定的な態度や攻撃的な態度をとることはなかった。

「車に気をつけるのよ」

「お友だちと仲良くね」

「ほしいものがあったら買っておいで」

こういった言葉をかけていたから、「親としての務めは果たしている」と思い込んでいた。

だが、アヤノの問題行動は早いうちから出現した。まず、小学校でのルールがなかなか守れない。宿題を忘れるのはもちろん、挨拶せずに給食を食べ始めてしまうなど、基本的な生活習慣すらできなかった。友だちとトラブルを起こしやすく、「順番を守らず横入りする」「相手の気持ちを考えず、傷つけるようなことを言う」といったことが頻発していた。

血だらけで帰宅した娘に目もくれず…

小学校3年生のとき、アヤノは公園の鉄棒から落ちて怪我をした。血だらけの膝を見て、「これならお母さんも私に注目してくれる。心配してくれる」と思った。母親が帰ってくるまでなるべくそのままの状態にして、待ち構えた。

「お母さん、見て! 今日公園で転んだの。たくさん血が出たよ」

玄関から入ってきた母親はアヤノをチラリと見て、ジャケットを脱ぎながらこう言った。

「そのくらいの怪我は誰でもするもんよ。ちゃんと消毒しておいてね」

アヤノはがっかりした。両親は自分を助けてくれない。自分に興味を持ってくれる人はどこにもいないのだ。

14歳のとき、アヤノは窃盗で少年鑑別所に入所した。クラスメイトの給食費を何度も盗んだからだ。

「別に悪いことしたと思ってない。見えるところにお金を置くほうが悪いでしょ」

少年鑑別所の職員に対して、アヤノはそう言うのみで、質問されても何も答えなかった。「名前は?」といった本人確認の質問すら、無視。職員を睨みつけるようにしていた。

ただ、面会者が来ていることを告げられるとアヤノはぱっと顔を上げ、「誰?」と職員を見た。お母さんが来てくれたと思ったのだ。職員が担任の先生の名前を告げると、落胆した。

「誰にも会いたくない」

そう言って面会を拒否した。

このときは初めて事件として取り扱われたこともあり、「保護観察処分」として自宅へ帰された。

二度目の少年鑑別所入所は、19歳のとき。覚せい剤を使用したからだった。同年代の子には馴染めなかったアヤノだが、あるとき指定暴力団のメンバーと知り合い、交際するようになった。そして、彼が持っていた覚せい剤を性的興奮を高めるために使い、逮捕されたのだ。

このときは両親が面会に来た。しかし、アヤノは面会を拒否した。

職員が両親に面接をしたとき、ふたりともよく喋った。

「何不自由ないのに」

「きちんとご飯を食べさせているし、衣服も与えている。ちゃんとした家もある」

「お金に不自由させたことは一度もない」

「子どもに虐待したことはない。干渉しすぎることもない」

「小さい頃から自主性を尊重してきた」

家庭裁判所は「要保護性が高い」、すなわち、アヤノの性格や環境に照らして、将来再び非行に走るおそれがあると判断したが、覚せい剤は常習にいたっていなかったこと、かつ、成人男性に引きずられるかたちの犯行であったことから、しばらく様子を見る「試験観察」とする決定を下した。再び、アヤノは自宅へ帰された。

その後、20歳を過ぎた頃、アヤノはキャバクラで働くようになった。ぶっきらぼうな態度が「女王様キャラ」として受け入れられ、人気が出た。

しかし、いくら店で人気が出てもアヤノの寂しさは消えない。やっと寂しさを忘れることができたのは、リントというマネージャーのおかげだ。リントはてきぱきと仕事をこなし、店の従業員に対して男女問わず平等に接する。アヤノはいつしかリントに恋心を抱くようになっていた。

体調がすぐれず、仕事を休んで寮で寝ていたとき、リントが訪ねて来てくれた。

「大丈夫か。薬を買って来たから、これ飲んでよく休むんだぞ」

アヤノは涙が止まらなくなった。嗚咽するアヤノの肩をリントはやさしく抱いてくれるのだった。

リントと親しくなると、彼も家で寂しい思いをしてきた人だということがわかった。ネグレクト状態で育ったため、社会に適応するのが難しかったという。

実はリントは「半グレ」と呼ばれる組織のメンバーである。半グレの仲間は同じような成育歴を持つ者が多い。お互いにあまり干渉せず、金儲けなど利用したいときだけ組織を利用するというのが、リントがこの組織を気に入っているポイントだった。

リントは、キャバクラのマネージャーをしながら、そこで働く女性に多額の借金を負わせては売春をあっせんすることを生業としていた。店の女の子にやさしくして言葉たくみに自分に貢がせ、借金が大きくなると売春させるのである。

アヤノはリントの手口にまんまとハマっていたのだった。いつのまにか、アヤノの借金はふくらんでいた。

「どうしよう。このままじゃ破産してしまう」

不安で震えていると、リントは売春のあっせんを手伝わないかと言った。断る理由はどこにもなかった。

アヤノは売春のあっせんを繰り返し、逮捕されるに至った。

一見、親としての義務を果たしているようでも

アヤノの両親は、どちらも仕事中心の生活を送っており、子どもの養育に関心がありませんでした。衣食住は保証しているのだから、何も問題はないだろうという態度です。

実際、経済的には余裕があり、生活上困ることはありません。手料理ではなくとも、栄養のある食事を用意できたし、快適な家に住んでいます。そして、表面的には親らしい言葉かけをしていました。「車に気をつけるのよ」「お友だちと仲良くね」「ほしいものがあったら買っておいで」といった言葉です。手をあげたり暴言を吐いたりすることはなく、忙しいながらも一見穏やかな家庭に見えるでしょう。

忙しい共働き家庭の人は「うちに少し似ているのでは……」と思うかもしれません。しかし、決定的に違うところがあります。子どもの話を面倒くさがって聞かないところです。忙しいから「あとで聞く」のではなく、ずっと聞かないのです。子どもに関心がないから、常に自分優先です。

アヤノが鉄棒から落ちて怪我をしたときのエピソードがそれを象徴しています。「今度こそお母さんは話を聞いてくれる、心配してくれる」と期待したのに、あっさり裏切られました。よほどショックだったのでしょう。アヤノは10年以上も前のこの出来事を詳細に語ってくれました。

最初に少年鑑別所に入所したときもそうです。親は面会にも来ませんでした。アヤノの問題行動をSOSとして受け止めるのでなく、「面倒なことを起こしてくれたもんだ」という反応で、ほとんど無視だったのです。

更生への道が険しい非行少年

更生がもっとも難しいと感じるのが、無関心な親に育てられた非行少年です。少年院で更生プログラムに沿って教育を受け、社会復帰に向けて頑張っても、少年院を出れば、戻るのは元通りの家です。親は相変わらず無関心。サポートしてくれません。愛情飢餓状態の子どもが、何かにすがりたいと思ったとき、すがれないのです。

そして結局、適切でないところにすがってしまう。犯罪に手を染めているグループなどです。アヤノの場合は、暴力団メンバー、半グレメンバーでした。するとまた犯罪に巻き込まれてしまいます。少年院や刑務所に戻って来ることになります。

非行少年の更生は、周囲に支えてくれる人がいないと難しい。これは私が少年鑑別所職員として少年院に出向いて「処遇鑑別」をする中でも実感してきたことです。

「処遇鑑別」とは、少年院に入院している非行少年の教育状態を評価するために行う、面接、心理テスト、行動観察といった一連の心理分析です。最初に少年鑑別所にて行った心理分析をもとに教育プログラムが作られ、少年院にて実行されていますが、一定期間が経った後にその成果を査定します。当初の教育プログラムがうまくいっているのか、修正する箇所はあるかなどを検討する目的があります。

このとき、非行少年に大きな変化があることを感じます。入院前に比べ、自分のことを客観的にとらえられるようになっています。問題に気づき、改善していきたいという意欲があります。社会復帰したらこうしたい、という気持ちが芽生えているのです。ただ、少年院を出る日が近づくと恐怖感が強くなります。「出たくない。もう少しだけここにいたい」と言う少年たちは少なくありません。

「あの親のもとに帰るのが不安」「あの環境に戻るのが心配」なのです。

もちろん、元の環境に戻ったときに起こることを想定して、トレーニングはしています。たとえば、半グレメンバーのひとりに会ってしまい、声をかけられるシーンを想定します。

「大変だったな。おまえの家族はどうせ無視してるんだろ? 仕事紹介してやるから来いよ」

ロールプレイして、実際に返事をしてみます。腕をつかまれたら、振りほどくなどの動きもやってみます。

こういったトレーニングを何度も繰り返して、さまざまな事態を何とか切り抜けられるという自信をつけさせます。それでも現実はハードです。相談を聞いてくれ、支えてくれる人が近くにいない場合、後戻りしてしまうことがあります。

親が陥りがちな行為者―― 観察者バイアス

「私たちはじゅうぶんなことをしてきたのに、子どもが勝手に悪いことをした」

無関心な親は、子どもに迷惑をかけられたとばかりにこう言います。問題が起きたのは、子ども自身に原因がある。性格や価値観など子どもの内面に問題があるか、能力が劣っているのが原因なのだと考え、自分に原因があるとは思っていません。

これは「行為者――観察者バイアス」の一種です。私たちは、他人の行動はその人の内的な特性に要因があり、自分の行動は環境など外的な状況に要因があると考える傾向があります。

「子どもがこういう性格だから問題を起こした。私が見てあげられなかったのは仕事で忙しかったから仕方なかった」

ついこんなふうに考えてしまいます。しかし、冷静に考えればおかしいですね。他人の行動も自分の行動も、内的な特性と外的な状況の両方が影響しているはずです。

「行為者――観察者バイアス」が強いと、子どもの非行や問題行動に対して親の内省が深まりません。世間体を気にして反省しているように見せることはありますが、本当に自分と向き合っていない場合、なかなか問題は解決しないのです。

子どもに関心がない親の生活――アヤノの両親以外の例

アヤノの両親は仕事中心でしたが、趣味・遊び中心で子どもに関心がない親もいます。酒やパチンコ、ギャンブルにハマって、なかなか家に帰らない。家にお金を置いてあるから、それでいいだろうという態度です。食事なんて用意しません。

子どもは4歳や5歳くらいでもう出前をとることを覚えます。自分で店に電話をかけて、ラーメンや蕎麦をとるのです。店側も慣れてきて、「ああ、誰々さんの家だね」とすぐにわかるというくらいです。

親が子どもに暴力を振るっているとか、ご飯を食べさせていないというわけではないので、周囲もなかなか介入ができません。

事例に出てきたリントは、こういうタイプの家庭で育ちました。たくましく生きてきたものの、やはり社会に適応するのが難しかったようです。リントがアヤノに近づいたのはお金のためです。自分の利益のために人にやさしく接しており、アヤノを本当に心配しているわけではありませんでした。やはり根本的な何かが欠けていると言わざるをえません。

なぜ子どもを愛せないのか?

アヤノの両親は、いわゆる「できちゃった婚」で結婚しました。夫婦ともに子どもを望んでいませんでしたが、予定外に妊娠したため、家族になることにしました。当初から子どもは「お荷物」だったのです。

一方、「授かり婚」は、妊娠発覚後に婚姻という順番は「できちゃった婚」と同じであるものの、子どもを持つことに同意があります。いつかは子どもがほしいと思ってはいます。子どもを希望しているのか、そうでないのか。これは大きな違いです。


もちろん、若い頃は子どもが苦手だと思っていても、実際に親になってみたら子どもがかわいくて仕方なくなる人が大半です。「私に子ども中心の生活ができるのだろうか」「虐待してしまったらどうしよう」と過剰に心配する必要はありません。たいていは何とかなります。

ただ、実際に子どもを持ってみても、心が動かない人が一定数いるのは確かです。理由の1つとして考えられるのは、やはり愛情を持って育てられてこなかったため、情緒的な関わりが難しいということでしょう。

「虐待の連鎖」が起こりやすいことはよく知られています。自分がされてきた子育てを自分の子にもするのは、それ以外のやり方がわからないからです。また、親自身が癒やされていない、回復できていないのも大きいと思います。家族だけで解決することは難しいので、専門機関のカウンセリングなどに頼る必要があります。

(出口 保行 : 犯罪心理学者)