コパ・アメリカはブラジルの優勝で幕を閉じた。

 ペルーとの決勝は快勝だった。2対1でリードした後半途中に、ガブリエル・ジェズスが2度目の警告で退場処分を受けた。ブラジルは数的不利に立たされたものの、今大会で名前をあげたエヴェルトンの突破からPKをつかむ。3対1で押し切った戦いかたは、危なげないものだったと言っていい。
  
 5年後、10年後に、今大会はどのように振り返られえるだろう。大会序盤に論争の種となったアジアからの招待国は、とくに日本が好印象を残した。ウルグアイとのグループステージ第2戦は、大会序盤のベストゲームとの声もあがるものだった。

 決勝戦まで俯瞰していけば、記憶は上書きされていく。最終的にはブラジルが07年以来の優勝を成し遂げた大会として、語り継がれていくのだろう。大会得点王にエヴェルトンは、ネイマール不在を忘れさせた。彼がワールドクラスの選手へ上り詰めることがあれば、今回のコパ・アメリカはサクセスストーリーの第一章として記されることになるだろう。

 今大会を象徴するキーワードには、「VAR」も含まれると思う。

 得点なのか、ノーゴールなのか。PKなのか、そうではないのか。一発退場に相当する反則があったのか。そうしたものを明らかにするために、VARことビデオ・アシスタント・レフェリーは使われる。

 テクノロジーの活用は、時代の要求と言っていい。微妙な判定を明らかにし、誰もが納得するジャッジの手助けをするVARは基本的に歓迎されるはずだが、その運用は簡単でない。VARによって利益を得るチームだけでなく、VARで確認をしてもらえないとの不満が、今回のコパ・アメリカで蔓延した。「ペナルティエリア内で倒されたのに、VARで確認をしてもらえなかった」といった声の広がりである。

 サッカーには「ホームタウン・デシジョン」がある。ホームチームに有利な判定が下されるというもので、明文化されたものではないものの、万国共通の認識として広がっている。露骨なまでのホームタウン・デシジョンは淘汰されてしまったが、21世紀のいまもホームチームがささやかな恩恵を受けたり、アウェイチームがシビアな判定に直面したりすることがある。

 サッカーが内包するそうした不平等さを、VARが一掃してくれると期待した選手や関係者はいるだろう。しかし、テクノロジーを発動させるかどうかを判断するのは、依然として人間である。それだけに、敗者は物足りなさを口にしたくなってしまうのだろう。

 サッカーのルールなどの重要事項を決定する国際サッカー評議会(IFAB)は、VARについて「すべての判定に100パーセントの精確性を実現することではない」として、「最小限の介入で最大限の効果」がVAR制度の哲学だとしている。しかし、「あれを確認したならこっちもやってくれ」といった思いが、選手の間でどんどんと膨らんでいる気がする。 サッカー界がVARの運用という新たな論点を抱えたことを、今回のコパ・アメリカは明らかにした。そして、VARを巡る議論に終わりは見えず、グレーな判定を闘争心に変えるスイッチを、選手も観客も失ってしまったように感じる。