名コーチ・伊勢孝夫の「ベンチ越しの野球学」連載●第31回

 今年の日本シリーズはソフトバンクが広島を4勝1敗1分で下し、2年連続日本一を達成した。なかでも注目を集めたのが、6連続盗塁刺のシリーズ記録を樹立し、打率.143ながらMVPに輝いた甲斐拓也だ。”甲斐キャノン”と呼ばれる強肩ぶりと送球の速さ、正確さで広島の足を完璧に封じ、最後まで主導権を握らせなかった。はたして、今回の日本シリーズは伊勢孝夫氏の目にどう映ったのか。あらためて振り返ってもらった。

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打率.143ながら6連続盗塁刺を記録し、シリーズMVPに輝いた甲斐拓也

 同じ短期決戦でも日本シリーズがクライマックスシリーズ(CS)と決定的に違うのは、移動日が入ることだ。今年の日本シリーズは、2試合を広島でやって、1日移動日が入り、福岡で3連戦。そしてまた移動日が入って広島に戻るというスケジュールだった。

 私がいつも着目しているのは、移動日を両チームの首脳陣がいかに活用しているかということだ。具体的に言えば、移動日の1日でどれだけデータの修正ができるかどうかだ。

 今はCS出場の可能性があるチームはどこも、日本シリーズ対策としてスコアラーを偵察として派遣する。今年の広島のように早めに優勝が見えたチームなら、9月半ばにはスコアラーを送り込んでいただろう。試合数で言えば、CSを含め、20試合ぐらいだろうか。

 だが、かつては白紙同然で相手の分析をしていたものだが、今は交流戦があるから主要選手の傾向や特徴は、かなりの部分を把握している。だからスコアラーは、交流戦の頃との違い(傾向の変化、新戦力のチェックなど)に重きを置いている。

 そして何より大事なのが、選手のコンディション。交流戦では不振で目立たなかった選手が、絶好調ということもある。つまり、現状をつぶさにチェックすることが偵察の最大の目的なのだ。

 ヤクルト、近鉄の打撃コーチとして日本シリーズに出た時、もっとも重要視したのが、バッテリー、とくに捕手が「打者の打ち気になるカウントで、どのコースにどんな球種を選択してくるか」だった。

 たとえば、右打者が打ち気にくる2ボール1ストライクでどんな球種で攻めてくるか。この状況でシュート系の球を多用するバッテリーが、じつは嫌だった。バッターは打ち気にはやっているから、手を出しやすい。ストレートと思ってスイングしたが、シュートで詰まらされた……こんな光景を何度も見てきた。

 要は、こうした状況で攻めの配球をするのか、それともかわす配球をしてくるのか。そうしたものは捕手の考えとしてデータに表れる。一見、単純なデータに映るかもしれないが、じつは利用価値が高いのだ。

 そして捕手でいうなら、肩の強さも大事な情報である。

 今回の日本シリーズで広島の機動力を完璧に封じ、一躍”時の人”となった甲斐だが、正直、ここまで凄まじいとは驚きだった。

 甲斐の今シーズンの盗塁阻止率は4割4分7厘で断トツの12球団トップ。もちろん広島もそのあたりの情報は入っていたにもかかわらず、なぜ一度も盗塁を成功することができなかったのか。

 投球を受けて捕手が送球し、二塁ベースカバーの野手のグラブに収まるまでの時間をポップアップタイムというが、甲斐は1.74秒前後と突出した速さだ。広島とすれば、シリーズ前から「簡単に走れない捕手」という認識はあったはずだ。

 しかし、広島にとって盗塁は欠くことのできない戦術であり、得点源とも言えた。おそらく広島の緒方孝市監督はこう考えていたのではないか。「甲斐の肩と勝負して、とことん走らせる。成功すれば、チームにいい流れがくるはず」と。

 事実、シリーズ中、東出輝裕コーチや選手らは「(盗塁を)仕掛けることで攻撃の幅を広げられる」と語っていたように、あくまで盗塁にこだわりを見せていた。

 しかし広島は、初戦、第2戦と合計3回盗塁を試みて、すべて刺された(そのうち1回は捕手・高谷裕亮)。それも間一髪のタイミングではなく、悠々アウト。ここで肝心なのは、この3つの失敗を広島の首脳陣はどう考えたのかということだ。

 そこで冒頭で記した”移動日”をどう使ったのかにつながる。2試合の内容からデータを洗い直し、作戦の変更など、これからの戦いを考えるための貴重な時間なのだ。

 2試合で3つの盗塁をすべて完璧に刺された広島とすれば、3戦目からは自重することも選択肢に入ってくる。とはいえ、ランナーを進塁させる手段は盗塁だけではない。犠打、エンドラン、進塁打と作戦はいくつも考えられるし、実際、広島打線はそうした盗塁以外の機動力が使える選手が多い。しかし、そういう仕掛けは見られず、最後まで盗塁にこだわった……というより、意固地になっているように思えた。

 広島は最初の2試合を1勝1分で終えて福岡に乗り込むことになった。普通に考えれば、「福岡で3連敗しても広島に戻って来られる。1勝2敗ならタイで戦える」と計算する。あくまで私の想像だが、ここで油断が生じたのではないだろうか。

 つまり先勝している分、盗塁死というマイナスがあっても「自分たちの野球を続けよう」という気持ちになってしまっていた。これが連敗していたり、タイになっていたら戦略を練り直していたはずだ。言い換えれば、地元で勝ち越して福岡入りしたため、移動日という「頭を冷やして冷静になれる時間」を有意義に使えなかったのではないだろうか。

 というのも、以前、パ・リーグの関係者からこんな話を聞いたことがある。「甲斐に警戒させてしまったら、盗塁は成功しない」と。つまり、甲斐が走者を警戒した時点で、盗塁を成功させるのはかなり難しいというのだ。「もし成功するとしたら、意外な選手やセオリーではないカウント。つまり、甲斐の警戒が弱まっている時でなければ難しい」とも言っていた。

 そんな難攻不落の相手に、広島は最後まで自分たちの野球にこだわった。「短期決戦はシーズンと違う戦い方がある」という言葉があるが、広島は最後まで違う戦いができなかった。いや、しなかった。これが敗因になったと言ったら言い過ぎだろうか……。

 余談になるが、広島は甲斐の送球時のビデオをどう撮影し、分析したのだろうか。そしてソフトバンクも田中広輔や菊池涼介をはじめ、走れる選手の撮影をしていたはずだ。お互いがどれだけ情報を集め、どんな分析をして試合に生かしたのか。あるいは、そこにも大きな違いがあったのかもしれない。