「いつか」ではなく「今」!三木谷浩史が独立の決意をした転機とは

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2020年のニューリーダーたちに告ぐ

31歳という若さで起業し、日本を代表するインターネットサービス企業としてワールドワイドに挑戦を続ける楽天株式会社・代表取締役会長兼社長の三木谷浩史氏。

2012年には経済団体「新経済連盟」の代表理事に就任しているほか、野球やサッカーなどのエンターテインメントの世界にも携わる。その活躍は正に八面六臂――今もっとも忙しい日本人の一人と言っていいだろう。

対談者は、フューチャーアーキテクト代表取締役会長の金丸恭文氏。 次世代のニューリーダーたる東京GENTSへ、グローバルな競争を勝ち抜くためのメッセージがここに。

金丸:本日はお忙しいところ、ありがとうございます。

三木谷:こちらこそ、お招きいただきありがとうございます。

金丸:先日は、プライベートでシリコンバレーでのバーベキュー大会を開催されたとお伺いしました。

三木谷:はい、「Don’ t forget Japan」と銘打って、日本人のホスピタリティをシリコンバレーにもぜひ広めようと。イーロン・マスク(スペースX社CEO)、ラリー・エリソン(オラクルCTO兼取締役会長)、マーク・ベニオフ(セールスフォース・ドットコム会長兼CEO)など、IT系の大物の方々にたくさんお越しいただいて。60名ぐらいですかね。

金丸:お料理は和食を?

三木谷:日本からお鮨屋さんを呼んで、鮨と日本酒を。家族のパーティーでしたから、子供用にも出し物ということで、日本のアメ細工とかヨーヨーすくいをしましたね。

金丸:どんなものが受けましたか?

三木谷:ヨーヨーすくいはいまいちでしたが、お祭りでもらえるようなお面とか、あと、けん玉がすごく受けましたね! 日本からYOSHIKIさんがたまたま来ていたので、ピアノを弾いていただいたりもして。今ビジネスとして付き合っている方がそれほどいるわけじゃないですけど、そうやって、彼らとも仲良くなって。

「いつか」ではなく「今」やる転機となった「阪神大震災」

「いつか」ではなく「今」やる転機となった「阪神大震災」

金丸:さて、三木谷さんの一番の人生の転機というのはいつだったんですか?

三木谷:阪神・淡路大震災が大きかったですね。その頃はまだ興銀(日本興業銀行)に勤めていて、ソフトバンクの孫さんのM&Aアドバイザーをしていました。私は東京にいたんですが、家族は皆あっちにいて。会社に行ったら同僚が『関西が大変なことになってるぞ』と。

それでテレビをつけたら阪神高速も倒壊してしまっていて、これはエライことになったと感じました。それからなんとか両親とは連絡がついて、無事を確認できました。ですが祖母の安否はわからなかったんです。どうすることもできず、呆然と会社の会議室で震災の様子を伝えるテレビを観ていたら、亡くなった方々の名前が流れてきて、その中に叔父と叔母の名前がありました。

それを観た瞬間、居ても立ってもいられなくなって現地に向かいました。通常のルートからは当然無理で、もうほとんど野生の勘で試行錯誤してなんとか岡山から現地に入りました。現地は大変な状況で、友人3人も亡くなっていました。

金丸:その時に感じたことがあったということですね。

三木谷:とてつもない事が突然にして起こるものなんだ、と思いました。一週間ほど被災地にいたんですが、その時にすっと、自然に起業を決意していました。

以前からいつかは自分でなにかやるんだ、とは漠然と思っていましたが、「いつか」じゃなくて「今」だなと。「今」やることこそが大事なんだと思ったんです。それまでは、モヤモヤしていたところもあってなかなか行動に移せなかったんですけど。

金丸:大きなキッカケになったんですね。会社を辞めることはキャリアの中でリスクを取ること。ただその決心をしたことで、今の世界の「楽天」があるわけですね。

何事も楽しんで従事したビジネスキャリアのスタート

何事も楽しんで従事したビジネスキャリアのスタート

金丸:キャリアのスタートは日本興業銀行からでしたよね。最初に配属された部署はどちらでしたか?

三木谷:外国為替部でしたね。日々何百億という額のお金を海外に送金する、当然ながらミスは許されない業務ですが、当時はシステム化も進んでなくて。89年頃の話です。

金丸:まさにバブルの頃ですね。

三木谷:そこで、まだオフィスには浸透していなかったパソコンを使ってシステムを組んで、効率よく送金できるシステムを作ろうということになって、プロジェクトに携わっていました。ちなみにその前任者は、みんなの党の浅尾慶一郎さんだったんですよ。

金丸:その頃からITに関わってたんですね。あの当時の銀行でパソコンを使って仕組みを作るというのは本当に画期的だったと思います。

三木谷:そんな感じで、最初の3年は事務をしっかりこなし、仕事の効率を上げてミスを減らし、みんなが早く帰れるようにするには、どうしたらいいか……なんてことも考えたりしてました。あのころに、ビジネスマンとしてのベーシックな部分をトレーニングできた気がします。

金丸:意外といってはなんですが、優秀なサラリーマンだったんですね(笑)。会社のことを考え、組織のことを考え、事務の効率化を考えて。

三木谷:すごく楽しかったですよ。僕は一期一会って考え方なので、なんでも楽しんじゃう(笑)。どんな仕事も楽しめる性格なんだと思います。

金丸:それはとても重要ですよ。同じ仕事をするならそうありたいですよね。

三木谷:それが1年半ほどで完遂して、入社してから3年目にMBA取得のため、ハーバード大学へ留学しました。当時最年少だったと思います。

金丸:希望を出したんですか?

三木谷:当時の黒澤頭取が推薦状を書いてくれて、ちょうどアメリカに行く用事があったので、直接ハーバードに手渡しで提出したんですよ。なんでそんなことができたかというと、僕はテニスをやっていてそこそこの腕前だったんですが、偶然当時の黒澤頭取とペアを組んだときがあって。その時希望をだしたんです。

金丸:テニスが出世の役にたった(笑)。でも、若い頃のアピールは本当に重要ですよね。

三木谷:いつの時代も、大事なのはやっぱりコミュニケーションだと思います。

金丸:コミュニケーションのツールとして、スポーツでも趣味でも活きてきますよね。連載第1回目の対談のお相手はサントリーの新浪剛史さんだったんですが、三木谷さんはその留学先で彼とお会いしてるんですよね?

三木谷:そうなんですよ! 新浪さんもちょうど留学されていて、大学でお会いしました。先輩方は皆日本に戻っているはずの時期なのですが、なぜかいつもゴルフクラブを担いで歩いてらして、「よう!」なんて感じで(笑)。すごいインパクトのある人でしたね。

金丸:新浪さんらしいですね。彼は留学から帰ってきて、受け入れてくれる部署がなかった、なんて面白いエピソードがあったけど(笑)三木谷さんは帰国後、確かM&Aチームに配属でしたね。そこも希望を出したんですか?

三木谷:はい。花型部署だったし、面白そうだなと志望して、受け入れていただきました。

金丸:そのM&Aチームで企業の買収のアドバイザーをしていたときに、ソフトバンク、ベネッセ、そしてTSUTAYAのM&Aに関わられて、孫さん、増田さん達とも知り合いになられて。そして神戸の震災をきっかけに独立をされたということですね。

次回は「楽天」創業の道のりと、三木谷氏の成功を導く思考について迫る! 9月17日(木)配信予定

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