4月中旬から5月上旬にかけて、日本のボクシング界は「黄金の3週間」を迎えた。

 4月16日に山中慎介(帝拳ジム/WBC世界バンタム級)が「神の左」で7回TKO勝ちを収めて8度目の防衛を飾れば、22日には井岡一翔(井岡ジム/WBA世界フライ級)が日本人ふたり目となる3階級制覇を達成。また、同じ日には高山勝成(仲里ジム/IBF世界ミニマム級)も王座を堅守した。

 さらに5月1日、三浦隆司(帝拳ジム/WBC世界スーパーフェザー級)が「ボンバー・レフト」を炸裂させてV4を達成すれば、6日には対抗王者の内山高志(ワタナベジム/WBA世界スーパーフェザー級)も豪快なワンパンチKOで10度目の防衛に成功。そして内山のジムメイト、田口良一(ワタナベジム/WBA世界ライトフライ級)も5度のダウンを奪ってベルトを守った。

 そんな彼らが語る近い将来の夢の舞台として、極めて高い確率で、「ラスベガス」という地名が出てくる。しかし、実際にその大舞台に立った日本人選手は数少ない。なぜ、トップ選手はラスベガスを目指すのか――。メリット、デメリットは? そして、その前にはどんな壁があるのだろうか。

 日本での「黄金の3週間」の最中、ラスベガスでは5階級制覇のフロイド・メイウェザー・ジュニア(アメリカ)と6階級制覇王者マニー・パッキャオ(フィリピン)が拳を交える「世紀のメガファイト」が行なわれた。12回判定勝ちを収めたメイウェザーに1億8000万ドル(約216億円)、敗れたパッキャオにも1億2000万ドル(約144億円)の報酬が見込まれる、まさに文字どおりのドリームマッチだった。勝ったメイウェザーは、9月のラストファイトもラスベガスで行なう予定になっている。

「ギャンブルタウン」として世界的に有名なラスベガスは、今やボクシングファンや関係者からは『聖地』として扱われているほどだ。州や市もショーや大会で得た報酬に関して、税金面で優遇措置をとっており、積極的にイベント誘致を行なっている。MGMグランド・ラスベガスをはじめ、大規模カジノを持つ巨大ホテルの多くはイベントホールを併設してあり、そこでボクシングの試合が行なわれているわけだ。

 ただし、単独で1万人規模の会場を埋めることができる現役のスター選手となると、メイウェザー、パッキャオの他では、フリオ・セサール・チャベス・ジュニア(メキシコ)やサウル・アルバレス(メキシコ)など、わずかしかいない。よって、ラスベガスとはいえ、世界戦の多くは2000人〜5000人規模のホールで行なわれることのほうが多いのである。

 1990年代の辰吉丈一郎の試合や、2011年の西岡利晃らの世界戦も、ホテルのボールルームで行なわれたものだ。ちなみに4年前、「軽量級の最注目ファイト」と言われたフェルナンド・モンティエル(メキシコ)対ノニト・ドネア(フィリピン/アメリカ)のWBA&WBO世界バンタム級タイトルマッチは、1万人収容のマンダレイ・ベイ・イベントセンターで開催されたが、観客は5000人に満たなかった。

 また、1990年代に47.6キロ以下のミニマム級で22度の防衛を果たしたリカルド・ロペス(メキシコ)も、1万6000人収容のMGMグランド・ガーデン・アリーナのリングに何度か上がっているが、マイク・タイソン(アメリカ)などのヘビー級の試合の前座ばかりだった。ほとんど客がいないカーテンレザー(イベントの第一試合)で世界王座の防衛戦を行なったこともある。

 ロペスが不運だったのは、力量の接近した相手が同時代に皆無だった点であろう。メキシコや日本では特別な評価を受けるロペスも、100キロ超の屈強な大男たちの殴り合いを観に集まってくるラスベガスの一般ファンの前では、「メキシコからやってきた優れた小柄な前座選手のひとり」に過ぎなかったのだ。

 パッキャオも最初は、同様の扱いだった。アメリカでの出世試合は代役としてリングに上がったもので、そこでエキサイティングな試合をしたあとも、立て続けに強敵とのマッチメイクを強いられた。それらをクリアして初めて、プロモーターと正式な専属契約を交わすことができたのである。最初から億単位のギャラを保証されていたわけでないのだ。4年前、パッキャオを擁するトップランク社のボブ・アラム・プロモーターをラスベガスで取材した際、同氏は「日本人選手もパッキャオと同じ道を歩むことは可能だ」と話していたが、その前にクリアすべき高いハードルがいくつもあることを忘れてはなるまい。

 ついスーパースターのケタ違いの報酬にばかり目がいってしまうが、同じ世界チャンピオンでも不遇をかこつ選手もいる。最近の10試合中6試合をラスベガスで行なっているIBFライト級王者のミッキー・ベイ(アメリカ)は、4月30日にラスベガスで防衛戦を予定していたが、プロモーターから提示された20万ドル(約2400万円)の報酬に不満を唱えて興行権入札を要求。その結果、相手陣営が落札したため、報酬は5万8500ドル(約700万円)に減額になってしまった。

 このように世界チャンピオンといえども、必ずしも全員が厚遇を受けているわけではないのである。特にスポーツエンターテインメントとしての評価が問われるラスベガスでは、選手の人気や知名度、集客力が重要視される傾向がある。

 日本のトップ選手たちのラスベガス進出は、こうしたことを念頭に置いて考える必要があるだろう。厳しい見方をするならば、仮にアメリカサイドのプロモートで、日本のトップ選手がラスベガスで防衛戦を行なったとしても、日本サイドのサポートがない限り、日本国内で手にしている金額を得ることは難しいと言わざるを得ない。インターネットが発達している現在でも、マニアかマスコミ、ボクシング関係者でない限り、他国の選手の情報にはうといのである。日本のトップ選手たちに関しても例外ではない。パッキャオのようにラスベガスで大金を手にするには、まずは名前を売る必要がある。そのためには、数試合の「先行投資」を覚悟しなければなるまい。

 これらを「マイナスの事情」とするならば、一方では山中や内山らの海外進出を躊躇(ちゅうちょ)させる「プラスの事情」もある。彼らの場合、いずれも日本でゴールデンタイムにテレビ放映があり、イベントとしても採算がとれる。興行面から見れば、わざわざ大きなリスクを冒して海外進出をする必然性がないのだ。それ故に、ウーゴ・カサレス(メキシコ/元WBO世界ライトフライ級&WBA世界スーパーフライ級王者)のように、「日本のボクサーは井の中の蛙だ。私たちはリスクを冒して相手国に乗り込むのに、日本人の多くは国外で戦おうとしない」と、揶揄(やゆ)する選手もいたのである。

 海外進出のプラス面とマイナス面、将来性をどのスパンでどう判断するかは、選手本人や側近次第といえる。要は賭けなのである。アラム・プロモーターが言うように、山中も内山も三浦も、そして井上尚弥(大橋ジム/現WBO世界スーパーフライ級王者)も、ラスベガス進出を果たして実績も知名度もある強豪選手と数試合をこなせば、軽中量級のスターになる可能性は十分にあるだろう。幸いにも彼らには、力量の接近したライバルが世界中に何人もいる。ダイナミックでエキサイティングなボクシングは、世界の大勢のファンに受け入れられるはずだ。4年前、西岡利晃がこじ開けた扉を、さらに大きく開いてほしいものだ。

原 功●取材・文 text by Hara Isao