フェノーメノ(怪物)が正式にサッカーへ別れを告げた。サッカー史上で最も偉大だった選手の一人、そしておそらくは現代サッカー界で最高の選手だったロナウドが、コリンチャンスのスポーツセンターで開かれた記者会見の場で、引退を正式に表明したのだ。

2度のバロンドール、3度の世界年間最優秀選手賞を受賞したロナウドは、記者会見の前に息子たちとともにクラブの練習場を訪れ、「元」チームメートたちや幹部たちと話をした。コリンチャンスの面々は、ロナウドの話を聞いた後、彼に拍手を送るとともに、一人ひとり抱擁をかわしている。

記者会見で、ロナウドは目をうるませながら、「僕は想像できないような犠牲を払い、サッカーに人生のすべてを捧げた。でも今日、すでに皆が知っていることを発表するために、僕はここへ来た。引退を決意したんだ。キャリアを通じて負ってきた度重なるケガ、特にこの2年間でのケガにより、続けることができないんだよ」と語った。

さらに、明らかに感極まった様子のロナウドは、震える声で、「サッカーは僕にすべてを与えてくれた。偉大なる勝利や辛い敗北とともに、僕は素晴らしい日々を過ごしてきたんだ。成功や喜び、犠牲、そして落胆もあった年月だった。でも、たくさんの友人をつくり、ずっと心に残るような忘れられない人たちと知り合うこともできたよ。僕を常に愛してくれたファンの皆のようにね」と続けている。

「かつてのチームメートたち、監督たちに感謝したい。そして僕がプレーし、ともに多くの勝利を手にしてきたすべてのクラブにも感謝している。でも、この数日考えた末に、自分がもう前へ進めないことが分かったんだ」

ロナウドを引退へと後押ししたのは、多くのケガや年齢、体重との戦いだ。だが大きな原因は、最後に残されていた目標を達成できなかったことである。

「コパ・リベルタドーレスで敗退してから、僕は地獄のような日々を過ごした。号泣したよ。自分に欠けていたトロフィーを獲得することが、僕の最後の願いだったからね。サポーターを喜ばせたかった。だからこそ、成功できなかったことを皆に謝りたい。いつもそうしてきたように、僕は責任の一部を負うよ」

一方で、ロナウドは自らの限界を知りつつも、オーバーウェイトを批判してきた声に反論している。

「ミランにいた4年前、僕は甲状腺機能が低下していることを知った。新陳代謝が良くなくなり、これと戦うにはドーピングで禁止されている薬を飲むしかなかったんだ。でも、皆はこのことを知らず、僕のプロ意識に疑問を投げかけて騒いだ」

「とにかく、今日は僕を愛し、信じてくれた皆に感謝したいというだけだ。計り知れない喜びと、数え切れない満足感を一緒に手にしてきた人たちに対してね」

ロナウドはそう語ると、コリンチャンスのアンドレ・サンチェス会長から「フェノーメノよ、永遠に」と書かれた背番号9のユニフォームを贈られた。

なお、ロナウドがかつて所属したインテルのマッシモ・モラッティ会長は、同選手の引退について、「彼がプレーをやめるのは残念だ。ロナウドは歴史上で最も偉大なセンターフォワードだった。彼には愛情と敬意を感じている」とコメント。「特別な1年間において、我々のユニフォームを着てプレーした選手を見ることができてうれしかった。我々にとって、彼は本当に“特権”だったんだ。これからも彼が楽しんでいくことができるように願っている」と続けている。