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もくじ

ー 1週間にわたるオフロード走行
ー ルビコン・トレイルへ
ー 60年以上にわたるジープの祭典
ー 武骨だが装備は充実
ー 本来の土俵での活躍
ー 疲れるが楽しい経験

1週間にわたるオフロード走行

アメリカはカリフォルニアの世界に名だたるサーキット、ラグナ・セカをご存じの方もおおいだろう。中でも「コークスクリュー」と名のつく第8コーナーでは数々の伝説がうまれた。

きつく見通しの悪い左コーナーの直後には、6階ほどの高さから奈落の底へ落とされるような下り急勾配の右コーナーがアリ地獄のごとく待ちかまえる。それでも、ミスに細心の注意をはらい、強烈なGに顔をゆがめながらも張りつめた数秒間をうまくすぎれば、あとに残るのはタイヤスモークだけだ。そう、次の周回までは。

おなじコークスクリューのような道でも、舗装などないガレ場を1週間も上ったり下りたりするなんて想像できるだろうか。おまけに、通り道には膝ほどの高さもある花崗岩がそこらにゴロゴロしているのだ。火打ち石のように黒ずんで鋭くとがったのもあれば、ガラスみたいにツルツルすべるのもある。たいてい表面はじめっと湿っていて、小石と泥が混ざったぬかるみの上に散らばっている。

視線を上にあげても、目にはいるのはうっそうと茂る米松ばかりで、ラグナ・セカのような青空は拝めない。通り道の幅だってあちらはクルマ5台分くらいはあるがこっちは1台がやっとこさだし、下りのキツさといったらもう胃が締めつけられそうだ。

そうそう、よもや携帯電話が通じるなどとお考えではないだろうが、そのとおり何時間も圏外で過ごすことになるのだ。ギブアップしようにも非常口などないから、お肌に塗った日焼け止めにホコリが吸いついて顔から腕までグチャグチャになってもあくまで平静を保つしかない。

ルビコン・トレイルへ

さあ、大きくひと息ついたら2トンの車体とBFグッドリッチのタイヤを止めているブレーキペダルから、そろりと足をはなそう。

いよいよルビコン・トレイルへ足、もといタイヤを踏みいれる。さっきはペダルとしかいわなかったが、そのブレーキペダルがつくのは最新のジープ・ラングラー、JL型だ。ちょっとばかり機能がふえて品質は大幅に良くなったが、うれしいことに基本的なところはこれまでとなにも変わっていない。

さっきいろいろと説明したのは、キャデラック・ヒルという区間の情景だ。ここを通りすぎる約15分のあいだというもの、上下左右におおきく振り回されるなかでクルマをぶつけたり底を打たないよう、ステアリングを握る手は汗をかきっぱなしだ。

それが、オフロードのニュルブルクリンク、あるいは世界最難関と目される所以だ。たしかに簡単に制覇できてしまうようでは、かえってがっかりだろう。

車軸を壊してしまうのではという懸念も、ここでは重くのしかかる。クルマがランド・ローバーだったらもっと気が気じゃないですよと、にこやかながら愛社精神の強い同行者もいう。

リノからクルマで1時間、エルドラド山地へ分け入ったこの辺境の地では、ちょっとしたことで道が塞がっただけでも「修復待ち」で1泊という羽目になりかねない。ほかの未開地と同じでまあ頻繁に起こることではあるが、その間悲惨な目に会うのも一緒だ。

60年以上にわたるジープの祭典

ルビコン・トレイルとジープとのかかわりは、1953年にさかのぼる。そのはじめての冒険の出発点はジョージタウンだった。その1世紀も前に一攫千金を夢みてゴールドラッシュの波に乗るひとびとが住みついた小さな街だ。

2日のあいだ、時には耐えがたくつらい行軍も多かったはずだが、第2次世界大戦を戦った軍人にはおなじみの50台以上のCJ型ジープは、そうして今日まで続くジープの祭典の礎を築いたのだった。いまや参加車は400台に達し、それぞれのタイヤがこの伝統の細道にわずかながら新しい痕を刻んでいく。

そしていよいよわれわれの番だが、お供にするジープには興味深いポイントがふたつある。

ひとつはメーカー標準でもっとも硬派な仕様になっている最新のラングラー・ルビコンだということだ。標準仕様も十分なオフロード性能をもつが、こちらは前後の固定車軸がダナ社のダナ44となり(より強化され幅も広くなり、最小回転半径はタイトになった)、大きく張り出したフェンダーには33インチ径のオールテレーンタイヤがおさまるのみならず、トランスミッションのギア比も超低速対応となる。

スズキなどとは考え方もちょっと違うようだし、同僚でドイツの名のある選手権獲得の経験もある四駆の達人によれば、メルセデスのGクラスを持ってきても1日が終わったら無防備なサイドシルは見るに耐えない有り様になるだろうという。

武骨だが装備は充実

まあ、そういう話はまたの比較テストにでもおいておこう。とりあえず、いま乗っているJL型は先代よりも数段洗練されている。前へ倒せるフロントガラスは、もともとウィリスやフォードでつくっていた頃に紛争地帯へ運びやすくするためだったが、昔も今も変わらないジープいちばんの特徴だ。

だが、これはかつてはボルトを28本も外さねばならない面倒な作業だった。今回は絶えず立ちこめる土ぼこりを食い止めるために立てっぱなしにしたが、もはやたった4本はずせば倒せる。

同様に、キャンバストップをたたむのもマツダMX-5(日本名ロードスター)ほど簡単とはいえないまでも、それに近いものはある。こちらは上にはねあげて日よけとした。車内は広く、スイッチ類はあいかわらず武骨だが質感はだいぶ上がったし、いまや8.4インチのタッチパネルをそなえた現代的な「通信機能」すらついてくる。

ふたつ目のわけは多分に主観的なもので、われわれがはじめて遠くカリフォルニアの荒野にやってきた理由でもある。

このラングラー、ヨーロッパでの役回りはだいたいがライフスタイルの演出だ。だがジープが開発に使ったそのものの土地で運転してみると、ロッキー山脈のシロイワヤギやクモの子孫とおなじ道をたどっていることが思い起こされるし、ちょっとした電子機器や快適なシートなど煩いのもとにも思えてくる。

本来の土俵での活躍

ミドシップのフェラーリをいつものロンドンの渋滞から抜けだしてフィオラノのテストコースで思いきり走らせるのと一緒で、そういう目的をしぼったクルマが本来の土俵では大いに光り輝くだけではなく、その進歩にとても興奮させられるのだ。

さて、ドアは取り外してしまっているが、こういうところではそのほうが様になるし、もちろん実益もある。岩が左右からせり出した強烈に狭い区間があって、タイヤのサイドウォールが石に削られたりフェンダーも引っぺがされかねない。

そんなところでも、ドアがあったところから外へ乗りだして見れば、ラダー型シャシーの通るべき道筋もちゃんと視認できるし、ただでさえ驚異的なホイールのストロークもはっきり見てとれる。おまけに、ボタン操作でフロントのスタビライザーを切りはなせばストロークはさらに伸びるのだ。

大きな岩をやりすごすコツは、ボディでまたぐのではなくタイヤで踏みこえることだ。こんなことが可能なのも、44°というアプローチアングルのおかげだ。それに、いざとなればサイドシルをガードするいわゆるロック・レールに守ってもらえる。

当然ガリガリギーギーという耳をおおいたくなる音には我慢だ。だがそれができなかった1台がいて、エアジャッキで車体を持ちあげてガイドたちが下にもぐり、ミッションオイルクーラーの配管に引っかかった岩を取りのぞく羽目になった。

疲れるが楽しい経験

エンジンが仕事をするのはサーキット走行と変わりないが、このクルマは272psと40.8kg-mを発生する2.0ℓのガソリンターボ。力を伝えるのは8段ATと自動ロック(手動切替も可)のデフだ。ホイールスピンしそうな砂地の急な坂などでデフをロックしたら、あとは動く歩道にでも乗ったつもりでいればいい。こちらがあれこれしなくとも、ジープがひとりでにじりじりとはい上がってくれる。

ルビコン・スプリングスにたどりつき、不気味にひっそりと静まりかえった牧歌的な光景のなか、たまに出没するというツキノワグマにおびえながら、トリップコンピューターの数字からここまでの道のりを確認してみた。いつものロードテストの癖で朝一番にリセットしておいたのだが、歩くよりもゆっくりのペースで後にした距離は11.9km、平均燃費は2.0km/ℓと出た。

まあはっきりいって疲れた。それも肉体的にというよりは、むしろ進むべき道を寸分たがわず這うように進まねばならないという精神面の消耗のほうが大きい。だが、素晴らしく楽しかったこともまた確かだ。

超低速ギアよりレーシングタイヤをありがたがる向きにも、どこへ行くでもなく氷河の進むようなペースではい回るのにこんな重装備のクルマがどうして必要なのか、素直にわかってもらえるはずだ。まして、クルマがその象徴といえるこのラングラーで、場面もこのシエラネバダ山脈の並はずれた辺境の地だったらなおさらのことだ。