「死んでいる会社」に決定的に足りないものは何か(写真:kieferpix / iStock)

経営において本質的に大事なことは、たったひとつ。それは、会社が「生きている」ことである。
『現場力を鍛える』『見える化』など数多くの著作があり、経営コンサルタントとして100社を超える経営に関与してきた遠藤功氏は、「30年間の結論」として、会社や組織は「見た目の数字や業績」より、本質において「生きている」か「死んでいる」かが重要だという。
30年の集大成として『生きている会社、死んでいる会社――「創造的新陳代謝」を生み出す10の基本原則』を上梓した遠藤氏に、「死んでいる会社」に共通する「3つの根本的欠陥」について解説してもらう。

「死んでいる会社」が見落とす3つの条件

30年の長きにわたって、経営コンサルタントという仕事をやってきた。100社以上の会社と濃密なお付き合いをし、ここ10年近くは複数の会社の社外取締役、社外監査役としても経営に関与してきた。その経験を通して確信して言えることがひとつある。それは「会社は生きていなければならない」ということだ。


挑戦しつづけ、実践にこだわり、創造に燃え、適切な「代謝」を行っている会社を「生きている会社」と私は呼んでいる。「挑戦→実践→創造→代謝」の“いい循環”が回っているのが「生きている会社」の特徴だ。

反対に、見た目の「数字」や「業績」がよくても、内情は守りに終始し、管理に走り、停滞に沈んでいる「管理→抑制→停滞→閉塞」の“悪い循環”に陥っている会社を「死んでいる会社」と私は呼んでいる。

「生きている会社」と「死んでいる会社」を分ける違いはいくつかあるが、詰まるところ「3つの決定的な違い」が存在する。

「『挑戦』より『管理』が優先される」などの社内病の有無、あるいは「事業や業務、組織、人の新陳代謝」に乏しいといった、「死んでいる企業」によく見られる光景も、突き詰めると「3つの決定的な違い」がその本質にある。

では、「生きている会社」と「死んでいる会社」にある、その「3つの決定的な違い」とは、いったい何なのか。それを明らかにするには、経営をMBA的に細分化して考えようとするのではなく、「シンプルだが本質的な3つの要素」で俯瞰的に捉え直すことが必要である。その3つが何なのかを、早速紹介したい。

まず、「死んでいる会社」に決定的に足りないのは「熱」である。「熱」とは、ほとばしる情熱、ケタ違いの熱気、並外れた熱意のことである。「熱」などというと「また根性論か……」と眉をひそめる人もいるかもしれない。しかし、熱を帯びなければ、挑戦などできはしない。

「生きている会社」の価値は「熱量」の大きさで決まる

【1】会社全体に「情熱」が足りない

何かを創造しようと思えば、挑戦しなくてはならない。挑戦するためには、勇気が必要である。勇気を奮うためには「熱」が不可欠である。

「熱」がなければ、困難は乗り越えられないし、困難を乗り越えなければ、創造は実現できない。つまり、会社全体が「熱」を帯び、高い「体温」を保っていなければ、創造はできないのである。

経営トップに「熱」を感じない

しかし、「死んでいる会社」に限って、この「熱が消失している」ケースが多い。経営トップも目の前の数字ばかりを気にしている。

どんなに立派なビジョンを掲げようが、どんなに精緻な経営計画を策定しようが、どんなに組織や制度をいじろうが、経営トップが「熱」を失ったままでは、結果を出すことなど不可能である。

「熱」を会社内に広げる「宣教師」がいない

一方、「生きている会社」ほど、経営トップが「熱の固まり」になっている。そして、会社全体が「熱」を帯び、高い「体温」を保っている。

「生きている会社」になろうと思えば、「火だるま」のような経営者がいることは不可欠だが、経営者ひとりだけが「熱源」でありつづけるのは困難である。「熱」を生み出す分身、すなわち理念の「宣教師」を育てる必要がある

しかし、「死んでいる会社」ほど、トップに「熱」が足りず、さらにそれを伝える「宣教師」もいないのである。

「死んでいる会社」に足りない2つ目は、「理」である。「生きている会社」ほど「徹底した理詰め」ができているが、「死んでいる会社」は「目先の小さな合理性」しか見ていないことが多い。

「戦略」+「実行」レベルの「理」があるか?

【2】表面的な「理屈合わせ」に終始している

経済活動を営む会社は「合理的な存在」でなくてはならない。創造という目的を果たすには、時に冷徹、冷淡なほど「理詰め」でなくてはならない。

経営における「理」は、「戦略レベル」「実行レベル」の2つの側面で捉える必要がある。

「戦略レベルの理」がない

会社は「何を営むべきか」という、大きな事業の方向性を定める段階の「理詰め」が「戦略レベルの理」である。他社競合が実現できない独自性の高い「差別化」を明確にし、一般解ではなく、自社に適した最も合理的な戦略を策定することが求められる。

しかし、「死んでいる会社」では、「理詰め」が徹底されていない。表面的な理屈合わせばかりに終始し、真の合理性が担保されていない。一般的なデータや二次情報、三次情報だけに頼り、理屈だけをこねくり回そうとしている。

「実行レベルの理」がない

いくら合理的な戦略シナリオを立案しても、その実行が合理的に行われなければ成果には結び付かない。

実行するために必要な組織能力(ケイパビリティ)を構築し、合理的かつ科学的な実行を心掛けなければならない。

環境変化が目まぐるしい現代においては、「実行レベルの理」の重要性がますます高まっている。合理的に実行できる会社が勝つのである。

「死んでいる会社」に足りない3つ目は「情」である。「情」とは、社員たちの「心」のことであり、社員たちの「心が充たされているか」どうかがカギとなる。

【3】やる気も目的も目標もなく「心」が充たされていない

「生きている会社」では、社員たちの「心」が仕事に現れている。会社の目標と自分の仕事の目標が合致し、一人ひとりの社員が何かに挑んでいる。

「承認欲求」が充たされない

「心の充足」とは「やりがい+承認欲求の充足」のことである。「やりがい」と「承認欲求の充足」という当たり前のことにこだわることこそが、「生きている会社」をつくる道である。

「死んでいる会社」ほど「無表情」である。一人ひとりが「自分の仕事を黙々とこなせばいい」と考え、日常に埋没してしまっている。

「死んでいる会社」には、社員たちのちょっとした努力や成長をお互いに認めたり褒めたりする仕組みがない。そのため、大半の社員の「承認欲求」は充たされないままなのである。

仕事を「まかせ切る」ことがない

「やりがい」をつくり出すために最もシンプルな方法のひとつが、仕事を「まかせ切る」ことだ。「まかせる」ではない。「まかせ切る」ことである。

中途半端に仕事をまかせても、人は成長しない。本当にやりがいを感じるのは、自分に対する信頼や期待を感じるときである。

しかし、「死んでいる会社」ほど、「まかせる」と言っておきながら、途中で介入するという人の「心を傷つける」ことまでしてしまうのである。

「生きている会社」の条件はシンプルだが骨太である

「挑戦→実践→創造→代謝」という会社の基軸を確立し、「生きている会社」をつくるための条件は次の3つに集約される。

・「生きている会社」は「熱」を帯びている
・「生きている会社」は「理」を探求している
・「生きている会社」は「情」に充ちあふれている

「経営を単純化しすぎている」「経営はそんな簡単なものではない」という批判の声もあるだろう。しかし、「死んでいる会社」では、経営を細かく切り刻み、分解し、個々の「部品」をそろえることばかりに汲々とし、大きな全体像を見失っている。会社をもっと大きく捉え直し、シンプルかつ骨太の視点で見直す必要がある。

みなさんの会社は「生きている」だろうか。仮にいま「死んでいる会社」でも、本記事で紹介した「3つの決定的な違い」を克服することで、必ず「生きている会社」「生きている組織」「生きているチーム」に変わることができると私は確信している。