丹波の緑豊かな自然環境の中、平飼いで伸び伸びと育てられる高坂地鶏は、卵肉兼用種のロードアイランドレッドとハンプシャー種の交配種。増体率が高く、90日前後の日齢で4kgの大きさに成長する。

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熟成和牛のステーキや熟成豚のとんかつは珍しくないのに、なぜかとんと見かけない「熟成鶏」の焼鳥。と思っていたら、東京ど真ん中、花の銀座で真打ち発見! 料理人と生産者のタッグが生んだ熟成可能な無菌鶏「高坂和鶏」。その誕生ストーリーとは?

■ブレス鶏級の和食用の地鶏!

東京・銀座の「たて森」といえば、焼鳥好きが「なかなか予約が取れない」と嘆く繁盛店である。いわゆる焼鳥屋とは違い、鳥刺しから握り、焼き物、椀物などを含む鶏料理をコースで供するスタイルだが、主役を張るのは、やはり鶏の炭火焼きだ。店主の建守護さんが焼く鶏は、表面はカリッと香ばしく、噛めば柔らか。そして柔らかさの表情の実に豊かなこと。もっちり、ねっとり、さっくり、ふわふわ、プリプリ、くにゅくにゅ。鶏の食感とは、かくも饒舌だったのかと驚かずにはいられない。

これほど多彩な弾力感が味わえるのは、ももやささみなどの正肉はもちろん、レバーをはじめとする内臓肉まで、火の通し方がレアに近いことが大きい。つまりは、生でも食べられる素材であるということ。日本の食鳥事情の常識に照らせば、衛生上の理由から、朝絞めの鶏を使う以外には考えられない。しかし、「たて森」では朝絞めどころか、つぶしてから短くても5日、長い場合では1カ月近く熟成させた鶏を使う。理由は簡単。熟成で肉は柔らかくなり、脂はクリーミーに。フレッシュな鶏とは別物のコクと甘味、食感のなめらかさが備わるとわかっているからだ。熟成後の肉は“焼き”だけでなく、刺身でも提供する。なぜ、そんなことが可能なのだろうか。

「食中毒菌が一切検出されない、完全無菌の鶏を使っているから。それがすべてです」

その鶏の名は「高坂和鶏」。生みの親は、丹波の養鶏家・高坂英樹さんである。2003年から養鶏を始め、世界最高峰の肉質と品質基準の厳しさで鳴らすフランスのブレス鶏を目標に「高坂鶏」(現在の名称は「高坂鶏プレミアム」)を育成。独自の研究を重ねた末、世界唯一の“無菌鶏”として世に送り出した。その美味は、すぐに賞賛の的となり、「カンテサンス」を筆頭とする一流レストランから指定がかかるブランド地鶏に成長した。そのポテンシャルに驚いた建守さんが「この鶏をベースに、より和の料理に向くモデルをつくれないか」と発案し、高坂さんとともにつくり上げたのが、「高坂“和”鶏」なのである。

高坂和鶏は先輩格のプレミアムに比べ、肉質をより柔らかく、コースで食べても胃もたれしないよう、脂ののりを控えめにするなどの“改良”が加えられている。しかし両者に共通する最大の特質は、無菌であるがゆえに熟成ができることだろう。

「内臓付きの鶏をさばいた後でも、まな板から菌が検出されないんです。だから、1カ月熟成させた後でも生で食べられる。丸のままでも、解体した後でも、凍らせた状態でも、明らかに熟成が進んでおいしくなる。従来の熟成の概念をすべて覆す鶏。高坂和鶏を構想することで、焼鳥の店をやろうという発想も生まれた」と建守さんは話す。まさに、人生を変えた出会いといっていい。

■餌の配合ですべては決まる

建守さんが初めて高坂さんと出会ったのは、今から5年ほど前のこと。建守さんは和食の料理人として長らく海外で経験を積んだ後、企業のグルメ開発部でコンサルティング業務を担当していた。食材としての鶏を比較研究する中で、高坂鶏に興味を覚え、生産者の高坂さんに会いに行ったのが始まりだという。遠方からの客を、高坂さんはホットプレートで焼いた肉でもてなした。

「どう?」
「おいしくないです」
「わかった? これ、うちの鶏じゃないんだ」

こんなやり取りが続くこと、数回。

「それまで付き合いがあったのは洋食の人ばかり。鶏料理の本場は西洋ですからね。和食出身と聞いて、大丈夫かな? と思った」と“腕試し”の理由を明かす高坂さん。ズブの素人から養鶏を始め、独学と試作と失敗の果てに生み出した汗と涙の結晶。それが、高坂さんにとっての高坂鶏である。その鶏を使うのは、味の違いがきちんとわかる、一流の料理人であってほしかったのだ。

完全無菌の鶏たらしめている条件は、大きく分けて2つ。飼料の内容と屠鳥後の処理方法だ。とりわけ高坂さんが腐心したのは、餌の配合だった。高坂和鶏もプレミアムも、米を主体に大豆タンパク、魚粉、海藻、乳酸菌培養の水などを加えてつくる消化吸収のいい餌で飼育している。

「大麦や蕎麦の皮から、きな粉、ヨーグルト、うこん、飲み残しのビールまで、片っ端から試しました。その材料を加えるとどんな変化が起きるか仮説を立て、テストで飼育して、結果を見る。その積み重ねです」

一般的によく使われるとうもろこしは、臭みが出るので加えない。抗生物質や合成抗菌剤も一切不使用。餌の与え方にも独特のリズムがある。高坂さんによれば、一般に鶏が最も好むのは3mm粒のもの。

「栄養価の高い粉末と混ぜて与えても、大きい粒ばかり平らげてしまう。粉末の餌も残さず食べさせるために、餌は小分けにし、1回分を食べ切る頃を見計らって次の分を与えます」

手間はかかるが、こうすることで栄養バランスの偏りをなくし、理想の肉質に近づけることができるのだ。

こうして精査された飼料で育った鶏は、糞の量が目立って少なくなる。鶏舎に何度も足を運んでいる建守さんも「さらりとしていて、人が寝られるくらいに清潔。においがまったくないことにも驚いた」と証言する。

「糞が減るのは消化率が上がったサイン。腸内細菌の活動が活発化することで血液が浄化され、糞の質もサラサラに。乾きが早いから、においも出ない。よい菌が悪い菌に拮抗する作用が生まれて、食中毒菌をも自然に浄化できるようになる。そういう健康な腸内環境をつくってやることが大切なんです」と高坂さん。

もちろん糞便を減らすことはできても、腸内の糞がゼロになるわけではない。そこで重要になるのが屠鳥後の処理方法だ。高坂和鶏は血抜きの後、尻の部分を丸くくりぬき、大腸のみを速やかに引き抜いてしまう。ブレス鶏でも同様に、血抜き後に真空の機械で腸を抜き取るという。大腸に傷をつけず、菌の感染を確実に防ぐには、これが最上の方法なのだ。

「鶏の腸は牛や豚ほど丈夫ではないので、引っ張ったら普通は切れてしまいます。その点、抗生物質を使わずに育てた鶏は、腸そのものが強く、ゴムのように伸びて破れない。結局、食べ物がすべてということです」

■料理人と生産者、プロ同士の応酬

「たて森」のために飼育されている高坂和鶏は、100%が雌鶏である。焼鳥の専門店では、一般的に雄鶏のほうが好まれる。雄は雌よりも脂が少なめで筋肉が多く、わかりやすい旨味のインパクトがある。煙が立ちにくいため、焼きやすさも上々。一方の雌鳥は、「旨味は雄に比べても遜色なし。脂が多いぶん煙もよく立つ」というのが建守さんの見立て。

「うちのは焼鳥というよりも和食の炭火焼き。立った煙を肉にかぶせて炭の香りをまとわせるので、雌のほうが合うのです」

一方の高坂さんも「雌のほうがオレイン酸の量が多く、脂肪酸の質がいい。食後にもたれない」と“雌優性”説に肯定的だ。

ただし、何事につけ、両者の理解が一致していたわけではない。高坂和鶏プロジェクトは、発足から一貫して、2人のボールの投げ合いによって進行した。店主から生産者に投げられた初球は「プレミアムより安く、より柔らかく」という極めてシンプルなもの。しかし、そのハードルは日に日に高くなっていく。

「毎日のように、仕事を終えた建守さんからメールが届くんですわ。『本日の鶏の評価』のタイトルと点数評価付きで。今回のは旨味が少ない、今度のは旨味はあるけど脂が足りない、やれ白レバーを増やせ、胸皮を厚くしろと、つべこべつべこべ(笑)」

もちろん、要求ばかりではない。現在「たて森」に届く丸鶏のうち、2〜3割は高坂さんが農園内でドライエイジングさせて、出荷するもの。残りは建守さんが自ら氷温で熟成し、最も旨味がのる5〜7日を目安に店に出している。初めて1カ月以上のドライエイジングによる熟成鶏を届けたときは、後で電話をしてきた建守さんの声が興奮で弾んでいた。

「ミルキーかつクリーミー。『これは鶏じゃない! 豚だ!』と思わず叫んでいました」と建守さん。高坂さんも「1カ月たっているのに、内臓もツヤツヤで生で食べられる。こんな肉が本当にあるんですね、と言われたのを覚えています」と、うれしそうに振り返る。

建守さんの言葉を借りれば、高坂和鶏は「焼き方のスイートスポットが狭い鶏」だという。ブレス鶏や名古屋コーチンは多少火が入りすぎてもおいしいが、高坂和鶏の場合は、てきめんに味が落ちる。口当たりがパサパサして、中身はレアでも旨味の感じ方が半減。焼き手の技量が試される、なかなか気難しい鶏なのだ。

目下、高坂さんに日々送られる指令は「柔らかく、もっと柔らかく!」というもの。飼育も熟成も研究途上だ。店で同じ時間の氷温熟成をかけても、旨味が上がるものと変わらないものがある。個体差は出荷時の月齢によるものなのか。はたまた、貯蔵の方法に問題があるのか――。

高坂和鶏は進化を続けている。深化と言い換えてもよい。ブレス鶏に匹敵する品質については、すでにクリアしたも同然。和食ならではの鶏のさらなる高みを目指し、2人のラリーはまだまだ続く。

(堀越 典子 文・堀越典子 撮影・海老原俊之、高見尊裕)