『虎に翼』で不在のままとなっている「沖縄と米軍の問題」…米津玄師主題歌のMVから読み解く「日本が抱える理不尽」

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朝ドラに突如現れた「沖縄」の文字

今年4月に放送が開始されたNHK連続テレビ小説『虎に翼』。9月12日放送回で、「日米安保改定を控え、若者たちによる騒乱事件は続いていました」というナレーションと共に映された新聞記事の片隅に「沖縄」の文字があった。その時の物語の舞台は日米安保条約改定直前の昭和45年3月、いわゆる70年安保闘争の時代だ。

9月に入り最終回までひと月をきった『虎に翼』は、1960年代から70年代にかけての学生運動の激化や、その結果巻き起こった少年法改正の議論が物語の中心となっている。主人公・寅子(伊藤沙莉)は60年代後半から家庭裁判所判事をつとめており、当時の若者の鬱憤や権威への反感を軸として物語が進むことは当然の流れにも見える。

しかし、そこに突如差し挟まれた「沖縄」の文字。

日米安保闘争の背景には、ベトナム戦争を主としたアメリカによる軍事行動に日本が足並みを揃えることへの抗議があった。1970年の安保改定当時、沖縄はまだアメリカの統治下にあり、その返還がどのような形を取るべきかという議論は安保闘争の中心的争点のひとつともなっていた。

国内の法をめぐる問題に焦点を当てる『虎に翼』では、このような国際関係が正面から描かれることはない。冷戦期にも続いたアメリカの軍事行動、すなわち加害者としてのアメリカはこの作品の中に不在のままとなっている。何の説明もなく画面の片隅に映された「沖縄」の二文字では、その不在を補うことは到底できない。アメリカの暴力と沖縄支配の問題は、この作品の中で対となって不可視化されているのだ。

本稿では、『虎に翼』の中で不可視化され続ける沖縄の問題を、その主題歌である米津玄師「さよーならまたいつか!」のミュージックビデオ(以下MV)に注目することで再考してみたい。

曲調と真逆の印象を与えるMVの真意

「さよーならまたいつか!」は、米津自身もインタビューの中で「良くも悪くもさらっと流れていくようなもの」「毎日食えるものというか、軽やかなものを作るべきだろう」という意図を持って創作したと述べているように、朝ドラのオープニングテーマにふさわしい明るく希望に満ちた曲となっている。

タイトルにもなった「さよーならまたいつか!」という言葉で締められるサビの歌詞は、つらい過去や現状があろうとも、それを乗り越え明るい未来を目指す力強さを表現するものとなっており、困難にぶつかりながらも社会を変えようと奮闘する寅子の物語と重なる内容だ。シシヤマザキ氏による色鮮やかなオープニングのアニメーションもその明るい印象をさらに強める。

そのような曲そのもののイメージとは対照的に、「さよーならまたいつか!」のMVの映像は不穏な空気に包まれたものだ。

MVはファーストフード店のトイレで大きくひび割れた鏡を覗き込む米津の姿から始まる。米津の移動にともない、暴動が発生する店内や警察により規制線の張られた店外が映し出される。その後も米津は店舗の内外を回遊するように歩き回り、逆再生を繰り返しながらカメラは米津を追っていく。逆再生のたびに店内外の様子は変化し、曲の後半では店内は客の賑わいを取り戻し、店外の空には無数の細い花火があがっている。そして最後にはひび割れのなくなった鏡を再び覗き込む米津の姿でMVは閉じられる。

この一見すると何が起きているのか把握しがたいMVを、戦後から現在まで続く沖縄と米軍の複雑な関係性を描いた映像として読み解いてみたい。

A&Wと沖縄問題

このMVが撮影されたのは、沖縄県浦添市にあるA&W牧港店。A&Wはアメリカ・カリフォルニア州発祥のファーストフード店で、1963年に沖縄第1号店が県中部の屋宜原にオープンした。牧港店は1969年に開店した第2号店だ。現在A&Wは日本国内では沖縄県内でのみ展開しており、全23店舗を構える。沖縄では「A&W」の発音が変化した「エンダー」という愛称で呼ばれており、薬草から作られた独特な味わいのルートビアや、車に乗ったまま注文しそのまま車内で飲食ができるよう設計された「ドライブイン」で知られる、人々になじみ深いファーストフード店だ。

A&W牧港店の特徴は、なんといってもその巨大な看板にある。店舗の上に掲げられた看板には「Root Beer」という文字が光り、その横にはルートビアを片手に微笑むウェイトレスの顔。第二次大戦中のプロパガンダを思わせるタッチで描かれた女性の表情は、いかにも「アメリカ」を感じさせる。

「牧港」という地名を聞けば、「牧港補給地区」を思い出す人もいるかもしれない。キャンプ・キンザーとも呼ばれる牧港補給地区は、那覇市の中心から車で15分ほど北上した浦添市にある。南北3km、東西1kmに及ぶ広大な米軍の兵站補給基地だ。

この牧港補給地区からA&W牧港店は車で10分ほどの距離。この近さは偶然ではなく、A&Wが沖縄での展開を始めた当初は米軍関係者を主な客層と見ていたゆえのものだ。ちなみにA&Wの沖縄1号店に屋宜原が選ばれたのも、嘉手納基地からの近さが理由のひとつだった。車の中で食べるという独特なドライブインも、1960年代の沖縄におけるアメリカ人社会で車文化が広まっていたがゆえに採用された方式である。

ファストフード文化の先駆けとして今でも沖縄県民に愛されるA&Wだが、その歴史は1972年まで続いた米軍による沖縄占領、そして現在でも続く基地問題と切り離すことができない。

MVで消された「沖縄」の影

先に挙げた「SINCE1969 MAKIMINATO」の大きな看板が1番のサビという曲の要で正面から撮られていることからもわかるように、このMVの中でA&Wはアメリカ的空間の象徴となっている。

店内の様子が映されてもそこに「日本らしさ」や「沖縄らしさ」と呼べるものは見当たらない。メニューや案内板等に書かれているであろう日本語はMVの中で文字が読めないほど小さく映されてもいるかピントが合っていないかのどちらかだ。店舗の外側が映されても、そこにあるのは「ONION RINGS」「BURGERS」といった英語で書かれた商品名ばかり。

このようなアメリカ的空間の創造は、MVを作成するなかで意図的に行われたものと考えられる。

A&W牧港店の外壁には、ちょうど巨大看板の真下にあたる部分に「A&W」の文字と並んで「OKINAWA」と書かれている。MVの撮影時期は定かではないが、他の外壁の様子を見るに撮影当時にも「OKINAWA」の文字はそこにあったことが予想される。

しかしMVで外壁のその部分が映っても「OKINAWA」の文字はない。おそらく、撮影時あるいは編集の過程で意図的に消去されたのだろう。

また、2番の冒頭では、ドライブスルーの上に掲げられた「ALL AMERICAN FOOD DRIVE IN」の赤いネオンが光る。ただでさえ目立つこの文字は、「AMERICAN FOOD DRIVE IN」の部分が点滅することでさらに目を引く。この点滅も、映像の編集時に加えられたものと考えるのが妥当だろう。

看板に書かれたMAKIMINATOという地名は確かにこの撮影場所が沖縄であることを指し示してはいるが、それは「MAKIMINATO」であって「牧港」ではない。米軍/アメリカというフィルターを通してのみ存在する空間がこのMVでは作り上げられている。アメリカ的空間として再構築されたこの映像の中で「沖縄」の影は限りなく薄い。

では、そのアメリカ化された空間で何が起こっているのか。

沖縄と日本政府の関係を彷彿とさせる

曲の始まり、米津はバスルームの中で大きく割れた鏡を覗き込んでいる。当然ながら鏡に映る彼の顔にも複数のヒビが入っている。

逆再生によって米津がバスルームから店内へ出てくると、そこでは暴動が発生している。黒づくめの客たちがバッドや椅子を振り回し、窓ガラスを割って侵入し、床にゴミやらガラス片やらを散乱させている。

しかしよく見ると、窓ガラスから少し離れた席には椅子に座ったままその様子を眺めている客のグループがおり、入口近くには「もっとやれ」と言わんばかりに楽し気に両腕を挙げている二人組がいる。店内を破壊する彼らの行動は、まるで盛り上がりすぎたパーティーの成れの果てのようだ。

沖縄で「暴動」といえばコザ暴動が思い浮かぶ人も多いだろう。1970年に沖縄のコザ市(現在の沖縄市)で起きたコザ暴動は県民の生活や人権を軽視する米軍支配の横暴に耐えかねた人々による命がけのプロテストだった。しかしこのMVの中にあるのは、それとは全く異なる見世物のような破壊行為である。

さらに逆再生が繰り返され米津が店の外に出ていくと、窓から見える店内にはすでに人の姿が消えており、窓の外には野次馬が集まっている。

背後に映るパトカーから野次馬の前に立つ数名の男性は警察官だと推測できるが、彼らはまるで音楽に合わせて手を振っているかのようにただゆらゆらと左右に揺れている。この場面で警察官たちは、市民を守るでも犯罪者を捕えるでもなく、「アメリカ的空間」の内部で起きた暴力を一般市民から隠し、彼らをその空間から遠ざける境界線の役割を担っているにすぎない。

A&Wという沖縄のアメリカ化を象徴するような空間で、人々はうっぷんを晴らすように好き勝手に暴れ、本来であれば治安を維持するために働くはずの警察官はその空間を市民から隠そうとする。

この関係はまるで戦後から現在まで続く沖縄と日本政府の関係のようだ。米軍基地の存在によって引き起こされる県内部の問題は、警察に象徴される日本の公権力によって本土の人々から遠ざけられ忘れ去られ、「青い海・青い空」といった形で安全に切り取られた一部分の沖縄だけが提示される。

曲が2番に入ると、暴徒と思しき人々は去っていき、店内の秩序は回復される。米津が2回目に入口から店内に入ってくるときには客の賑わいさえ見られる。

しかしその一方で、外に出ればA&Wの敷地外で次々とあがる細い火柱が見える。まるでA&Wの店内にあった暴力が外部の空に移し替えられたかのような不穏さがそこには漂う。

暴力の痕跡がすべて消えたわけではないと示すように、「人が宣う地獄の先にこそ わたしは春を見る」と歌う米津が覗き込む鏡の中には、まだいくつかひび割れが残っている。「地獄の先」に見えるはずの「春」は、まだ不完全な形でしかそこに存在しない。

「沖縄」そのものを表現

では、この「アメリカ的空間」であるA&Wの店舗の内外を回遊するように動き回り、割れた鏡を覗き込む米津自身は何者なのだろうか。

私は彼が「沖縄」そのものを表現しているのではないかと考える。「アメリカ的空間」の内部であり外部であり、ひび割れた自己しか見ることができない現在の沖縄。それがこのMVにおける米津玄師自身ではないだろうか。

1番のサビの部分で彼は、野次馬、警官たち、そして割れた窓ガラスに背を向けてカメラを正面から見据える。画面の上半分は先ほど言及した「SINCE1969 MAKIMINATO」の看板が占めており、視覚的にも「アメリカ」が上から覆いかぶさっているような構図の中で、米津は「瞬け羽を広げ 気儘に飛べ どこまでもゆけ」と歌う。空を占める「アメリカ」を挑発し、その先へ行けと彼は歌っているのだ。

さらに「100年先も覚えてるかな 知らねえけれど さよーならまたいつか」と米津が見せるピースサインは、今は失われてしまった平和な空を思い出せと100年前の世界から訴えかけるかのようである。

ラストの大サビで再び外に出た米津が「今羽を広げ 気儘に飛べ どこまでもゆけ」と指さす空にも、依然として炎が幾筋もたちのぼっている。

A&Wの敷地内だけを見れば平和が戻ったかのような場面でも、「羽を広げ」飛び立とうと思えば、その空にはまだまだ危険が満ちている。それでもなお彼は「どこまでもゆけ」と力強く空を指さす。

現代の日本が抱えるもうひとつの理不尽に光を当てる

そして「生まれた日からわたしでいたんだ」と最後に米津が再び鏡を覗き込むとき、その鏡からはすっかりヒビが消えている。その傷のない姿こそ、現代を生きる私たちが目にすることのできない、彼が「知らなかっただろ」と我々に問いかける沖縄の姿だ。その姿を取り戻すため、「どこまでもゆけ」と彼は我々に訴える。

ヒビのない鏡に向けて米津は「さよーならまたいつか!」とウインクし、その「またいつか」が来る時まで我々に一時の別れを告げるようにしてこのMVは終わる。

『虎に翼』は1930年代から物語が始まり、ほぼ「100年先」の現代からその過去を振り返るよう視聴者を促す作品となっている。その100年の間に、女性は弁護士になり、議員になり、裁判官になり、少しずつその権利を拡大し、より良い社会を実現してきた。一方で、寅子が社会の理不尽に直面するたび口にする「はて?」という問いかけは、100年前と現代の女性差別が地続きであることも強調する。

その主題歌のMVが沖縄を舞台として作られたこと、そこでアメリカの暴力とその部分的な隠ぺいが描かれたことは、私たちに何を伝えているのだろうか。

店の内部で暴力が蔓延する1番、店の敷地の外で空に炎が満ちる2番という二段階の変化に、「銃剣とブルドーザー」と呼ばれる戦後沖縄の土地支配と、本土復帰の後も騒音や墜落事故によって空から沖縄を危険にさらし続ける米軍基地問題という大きな歴史の流れを私たちはこのMVから読み取ることができる。

しかし、逆再生を頻繁に用いるこのMVの構成は、その時系列を意図的に混乱させる。地上での暴力と空からの暴力、沖縄の土地や人に対する直接的暴力と、沖縄に置かれた基地が支えるアメリカの世界における軍事行動。それらは前者から後者へと直線的に移行するようなものではなく、このMVの時系列のように、前後し、繰り返され、はっきりとした始まりも終わりも見えないまま現在まで引き延ばされている。

『虎に翼』で描かれる女性差別の問題と同様に、沖縄に対する差別や暴力も戦前から現代にいたるまで形を変えながら繰り返されているのだ。

加害者はアメリカだけではない。「アメリカ的空間」とされてしまった沖縄を人々の目から隠そうとする日本政府も、安全な場所から「野次馬」として覗き込んでいるだけの本土の人々も、その構造の一端を担っていることを忘れてはならない。

透明化されてきた人々や彼らを取り巻く差別を可視化してきた『虎に翼』。その中でも語られることのなかった沖縄の問題。「さよーならまたいつか!」のMVは、『虎に翼』における沖縄の不在に対し「はて?」を投げかけながら、現代の日本が抱えるもうひとつの理不尽に光を当てるものとなっている。

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