「東大を地方に移転させる」という政策を発表し、話題を呼んでいる河野太郎デジタル相

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 自民党総裁選に出馬している河野太郎デジタル相が、東京一極集中を是正するため、「東大を地方に移転させる」という政策を発表し、話題を呼んでいる。

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 しかし、東大は独立行政法人(国立大学法人)なので、たとえ河野氏が総理大臣になったとしても、現行法下では東大側が自主的に移転しようと考えない限り、地方移転は実現できない。
 
 では、東大側が自主的に地方移転を考えることはあり得るのか。老朽化した設備が目立つキャンパスを見ると、もしかしたら今よりも充実した研究環境を用意すれば、研究熱心な学者たちは移転に賛成するかもしれないという気もする。

「東大を地方に移転させる」という政策を発表し、話題を呼んでいる河野太郎デジタル相

 だが、尾原宏之さんの近著『「反・東大」の思想史』には、いくら充実した研究環境を用意しても、東大の地方移転は難しいと思わせるエピソードが描かれている。以下、同書から一部を再編集して紹介する。

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三木清の東大論

 東大は東京、しかも都心にあることによって東大たり得てきたといえる。昭和戦前期、全国の旧制高校生の進路志望は東大一極集中の様相を呈していた。1936(昭和11)年、哲学者の三木清はその原因について根本的な考察を加えている。
 
 三木は「学生の東大集中には十分の理由がある」という。だがその理由は、東大の整った設備やすぐれた教授陣、教育内容では必ずしもない。高校生が教育内容に関心を持っているかどうかは、実のところ怪しい。東大に人気が集中するのは、「今日の日本では凡(すべ)ての文化が殆ど東京に集中されてをり、文化生活の豊富さにおいて他の都市は東京とは全く比較にならぬ」からだ、というのが三木の見立てである。
 
 娯楽や遊興の豊富さといった卑近な話だけではない。勉学についても、東京は「知的文化的生活」を提供してくれる唯一の都市である。「学生は単に学校でのみ学ぶものでなく、また社会から学ぶものであり、そして東京の如きは都市そのものが大学である」。入手できる書物、鑑賞できる芸術作品、そして、その気になればたやすく接触できる知識人・文化人の数を見ても明らかだろう。
 
 一方、「地方には殆ど文化都市といふものが存在しない」。「東大集中」は、政治・行政だけでなく文化も東京に一極集中したことの結果である。「東大を出ることと東京にゐること」は卒業後の就職においても有利なので、浪人してもそれを上回るメリットがある(「東大集中の傾向」)。

国家のエリート養成機関として設立された「東大」。最高学府の一極集中に対し、昂然と反旗を翻した教育者・思想家がいた。慶應義塾、早稲田、京大、一橋、同志社、法律学校や大正自由教育を源流とする私立大学、さらには労働運動家、右翼まで……彼らが掲げた「反・東大」の論理とは? 「学力」とは何かを問う異形の思想史

 三木は、地方大学への転学促進による東大集中緩和策に否定的だった。学生が大学を移動できるドイツには地方に文化の香り高い大学都市が存在するのに対し、日本の場合は冴えない地方都市に大学が所在しているにすぎない。学生に自主的な都落ちを期待するのは無理がある。三木の東大集中緩和策は、結局のところ私立大学を改善して帝大並みに引き上げることだった。私大の多くは東京にあるので、これは東京一極集中の抗いがたい現実に即した解決策だといえる。

関東大震災と東大の危機

 東大と東京との密接なつながりを物語る前例がある。1923年に発生した関東大震災である。死者・行方不明者総数約10万5000人、当時の東京市15区の66.5パーセントを焼失させたこの震災は、東大にも大きな被害を与えた(武村雅之『関東大震災がつくった東京』)。工学部や医学部の実験室などから出た火が燃え移り、震害を含めて本郷キャンパスの建物の三分の一が失われたという(『東京大学百年史』)。

 震災直後、東大は研究・教育機関として当面立ちなおれないのではないか、という見方が広がった。とりあえず学生をほかの帝大に転学させるアイディアも浮上し、九州大では東大工学部の学生を引き取る案が協議された(『大阪朝日新聞』9月12日)。東大当局も乗り気で、転学希望者について、東大に在籍したまま京大や東北大で勉学を続けられるよう便宜を図る決定を下した(『東京大学百年史』)。

 ところが、転学希望者はほとんどいなかったようである。『東京朝日新聞』は、「焼けても恋しい 東京の帝大 地方の大学へ転校者尠(すくな)し」という記事を掲載し、転学希望がごく少数にとどまったことを報じている(10月11日)。75万冊の図書館蔵書が燃え、実験設備が焼けてもなお学生は東京、東大にいることを選んだということだろう。三木が東大一極集中の背後に見た東京の魅力の強さの一例といえる。

 東大側もこの点には自覚的だった。関東大震災の後、この際東大を郊外に移転させる案が浮上したが、学内からの強い反対もあり、頓挫した。文学部教授の松本亦太郎(またたろう)によれば、東大の指導的役割は東京都心に位置することによって維持されている、というのが大きな反対理由である。「伯林(ベルリン)に伯林大学の光があり、巴里(パリ)にソルボーン〈ソルボンヌ〉の光が輝く如く、東京に東京帝国大学の光が無ければならない」と移転反対者はいう。

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 東大が東大たりえているのは、日本で唯一無二の文化都市・東京の都心部に位置するからだとすれば、いくら地方に優れた研究環境を用意しても、東大側が自ら移転する気になることはないだろう。「東京一極集中の是正」は、想像以上に難しい課題のようである。

※本記事は、尾原宏之『「反・東大」の思想史』(新潮選書)に基づいて作成したものです。

尾原宏之(おはら・ひろゆき)
1973年、山形県生まれ。甲南大学法学部教授。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。日本放送協会(NHK)勤務を経て、東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得退学。博士(政治学)。専門は日本政治思想史。首都大学東京都市教養学部法学系助教などを経て現職。著書に『大正大震災 忘却された断層』、『軍事と公論 明治元老院の政治思想』、『娯楽番組を創った男 丸山鐵雄と〈サラリーマン表現者〉の誕生』、『「反・東大」の思想史』など。

デイリー新潮編集部