スーパーの菓子を食べたことがない重役夫人が養護施設で味わった「不幸のどん底」と100歳で達した無欲の境地
※本稿は権藤恭之『100歳は世界をどう見ているのか』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。
■会社の重役の妻としてぜいたくに暮らしてきた100歳の女性
2007年に大阪大学に移ってきて共同研究者たちと百寿者の話をまとめる機会がありました。そして幸福感の内実について、要素を抽出しました(図表1)。すると「前向きな気持ちで生きる」とか「制限の中で生きる」、あるいは「他者との良い関係性を築く」ことで「人生の充足感を感じる」ことがわかりました。
幸福感の中身はさまざまですが、その中で一番大事なのは「あるがままの状態を受け入れること」だと私は考えています。
100歳の女性Fさんを紹介しましょう。この人は旦那さんが会社の重役か何かをしていてわりあい贅沢な生活をしていました。いつも京都にお茶を飲みに行っていたと話されましたが、お茶といってもきちんと点てたお茶です。そういう生活だったので、スーパーでプラスティックのパックに入っている和菓子を見ると、「どなたがお食べになるのかしら」と思っていたそうです。
その後、家族が体調を崩し、自分は施設に入ることになりました。最初の何カ月間は泣いて暮らしていたそうで、「自分は不幸のどん底や」と思っていたそうです。ところがある時、施設でその「どなたがお食べになるのかしら」と思っていたパックの和菓子が出されて、ちょっと食べてみようと口に入れたら「あら美味(おい)しい」と驚いたことを話してくれました。
■食べたことのないスーパーの和菓子をおいしいと思うように
そういう経験が重なって、私がお会いした時には非常に幸せに施設で生活していました。Fさんが自分から語ったのが毎月のお小遣いのことです。昔は贅沢をしていたが、今は月に3000円をお小遣いとしてもらっている。それで新聞広告を見て、いい本があると1カ月に1冊か2冊、1000円台のあまり高くない本を買うのが楽しくなったと。「以前は何でも手当たり次第に買っとったけれど、自由に買えなくなって、自分でああでもないこうでもないって考えて買うことがものすごい楽しみなんです」というのです。
私たちも美味しいものを食べたり楽しい経験をしたりしますが、Fさんのような話を聞くと、楽しみ方もさまざまだと感じます。最近は「アクティブ」という言葉をシニア世代に当てはめることが多いですが、活動的ではないけれど、頭の中で考えたり想像したり、いろいろな楽しみがあるのだなあと思うのです。
■「100歳になると優しくしてもらうことがいちばんうれしい」
後日NHKの取材でFさんを再び訪問する機会があり、普段の調査とは異なり、撮影しながらの雑談の時にいわれたことがあります。「優しさがいちばん」という言葉です。「この年になると優しくしてもらうことがいちばん嬉しい」、そして、「ご両親に優しくしてあげてね、優しさがいちばん」、Fさんはそう何度も繰り返したのです。
この言葉は、私の金科玉条となっています。決して守れているわけではなく、心がけている程度のものかもしれません。同じ台詞を同じ歳ぐらいの人にいわれてもそこまで心に刺さることはなかったかもしれません。やはり100年の人生を生きてきた人の台詞は重みが違います。彼女の人生も決して順風満帆であったわけではないでしょう。教えてもらわなかったことも多いと思います。そのように人生を過ごしてきた最晩年に話されることは本当に価値があると思います。
他にもこういうことを話した人がいます。「新しくやってみたいことはもう年やからできんかなと諦める。十分なことはできんでも、諦めて落ち込んだりはせん。年かなという感じですねえ」。
■「年だからあきらめる」という心境は、必ずしも不幸ではない
また別の人は、「少しは欲しいものがあるのではないですか」と聞いたら、「それは美味しいものを食べたいなと思うこともあるけど、もう諦めてますね。ええ、これでもう十分です」。
「諦めている」というと後ろ向きな感じがしますが、100歳くらいの人の「諦めている」という言葉には「自然に任せる」という要素が非常に強く含まれていることがわかります。後ろ向きではなくて、あるがまま。10年ほど前に映画『アナと雪の女王』がはやって、「レット・イット・ゴー〜ありのままで〜」という歌が大ヒットしましたが、そういう、あるがままを受け入れる状態になっているということではないかと思います。
中学生の時に聴いたザ・ビートルズの「Let it be」はメロディーが気に入りましたが、最近改めて聴くと歌詞が心に刺さります。まさに「words of wisdom」、知恵の言葉だと思います。もちろん、まだ人生の前半(どこまでが前半かは自分で決めればよいのです)にいる人は、もっと抗う必要があります。抗いと受け入れのバランスは人生のテーマですね。
■約20%の人に「老年的超越」という心の変化が起きる
さて、こういった心の変化を「老年的超越」という言葉で表現した研究者がいます。スウェーデンの社会老年学者ラルス・トルンスタム(ラーシュ・トーンスタム)教授で、大規模な調査を踏まえて1989年にこの概念を提唱しました。「加齢に伴う、社会で求められてきた物質主義的で合理的な世界観から宇宙的、超越的、非合理的な世界観への転換」という意味とされます。
これは、年を取るに従い、世界を理解する枠組みの考え方が変わったり、世界のとらえ方が変わってくるということを示しています。おそらく多くの人にとっても同様で、昔考えていたのと今考えている世界は異なるでしょう。私自身、若い時はまわりが敵だらけのように感じていましたが、今はいい人ばかりというような感覚があります。
トルンスタムはスウェーデンで65歳以上の約1600人に調査を行い、約20%の人が「老年的超越」を達成していると報告しています。その達成には、年齢が高いこと、活動的であること、専門的職業に就いていたこと、比較的都市部に住んでいること、大きな病気を多く体験していることが関係していたそうです。
私は彼に一度しか会ったことがありませんが、非常に明るい方でした。老年的超越を唱えた人なので、きっと気難しい人なのだろうと想像していたので拍子抜けしました。また、彼は観察力に長けた人だと思います。
■3人の子がいる状態で離婚し苦労した女性も「老年的超越」に
例として挙げられるのが元看護師の女性エヴァです。彼女は結婚して3人の子どもを儲けますが数年後に離婚、大きな精神的苦痛を経験します。エヴァは「精神的苦痛を通じて何かを学ぶことができる」といい、また人生については「前は川の流れに乗っているように感じていたが、今は私自身が川であり、楽しいこともそうでないことも、すべてを含んだ流れになっていると感じる」と答えています。
川の流れの件から、トルンスタムはエヴァが自分自身の存在と「大いなるもの」、彼の言葉で言い換えると「宇宙的意識」との一体感を感じていると見出しています。彼は、文献調査、インタビューや質問紙調査を進めて、最終的に年を取るとともに変化が生じる3つの領域を指摘したのです。
それらは「宇宙的意識」「自己意識」「社会との関係」と呼ばれます。少し難解ですが「宇宙的意識」の領域では、自己の存在が過去から未来への大きな流れの一部であり、過去や未来の世代とのつながりを強く感じるようになる。最終的には、宇宙という大いなる存在につながっているという意識を持ち、生と死の区別も弱くなると説明しています。
■手塚治虫の名作『火の鳥』でも描かれた集合体意識
私は子どもの頃、手塚治虫の『火の鳥』という漫画をよく読んでいました。その中に「コスモゾーン」という概念が出てくるのですが、これは多くの意識の集合体であり、ふたりの主人公の心が融合し一体化するという結末で登場しました。後年の作品でいうと大友克洋の『AKIRA』という漫画でも多くの意識や物質が同じように融合するという結末があります。少しだけリアリティーを持たせると、『スター・トレック』というSF作品のシリーズでは、機械につながれた個人の意識が一体化しているボーグという存在が繰り返し出てきます。このような集合的な一体感を、年を取るとともに感じるのだと考えています。
私が老年的超越の研究を進めるに至ったきっかけは、研究所勤務時代に別の部門の部門長を務めていた高橋龍太郎先生のこの理論についての文章を読んだことにあります。その後直属の上司になり、老年的超越の概念を整理する際に多くの示唆をもらいました。当時、高橋先生はこのことを「一体感」(Oneness)と呼んでいました。現在私は「つながり」と呼んでいますが、当時の議論がなければ老年的超越について理解が進むことはなかったでしょう。
■周囲の人とのつながりを意識することで精神的な健康を保てる
ユング心理学では、多くの人が気がつかないだけで、共通して持っている何かが存在すると考えられています。自分が自分だけでは存在しておらず、何かとつながっているという感覚を人間は持つことができます。私の場合は、大きな会場で開かれるコンサートに行った時に、自分が他の聴衆とひとつになっているような感覚を持つことがあります。この感覚は座禅を組んで呼吸をする中で、自分の中に宇宙を取り込んでいく感覚に近いものがあると感じます。
このように人間を含んだ物質世界だけでなく、精神世界などさまざまな領域の間隔が近くなり、境界が明確でなくなったような感覚を年齢とともに感じることが多くなるというのが宇宙的意識の変化だと説明できるでしょう。
百寿者たちは昔の思い出話を、「今、ここで」経験しているかのように話すことがあります。昔、東京の港区に住んでいたことがある百寿者は、近所に住んでいた有力な政治家のお嬢さんが家から馬車に乗って出かける時、いつも馬車の窓に頰杖をついていた様子を「あまりお行儀がよくなかったわね」と批評しながら話してくれましたが、その語り口調は昔を懐かしんでいるというより、ついさっき見たことを話しているかのようでした。特に亡くなった配偶者やお子さんとの思い出を、つい昨日のことのように話す人が多い印象があります。
年を取るとどうしても身体機能や認知機能が低下して健康状態は落ちてきます。しかし、だからといって、機能が低下していることが不幸せに直結するということではありません。多くの例で示したように、精神的な健康を保ち、「老年的超越」を高めて幸福度を高くすることは可能なのです。
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権藤 恭之(ごんどう・やすゆき)
大阪大学大学院人間科学研究科教授
1965年神戸生まれ。専門は老年心理学。日本老年社会科学会(理事)。日本応用老年学会(常任理事)。2000年より慶應義塾大学と共同で東京都23区の百寿者、および全国の超百寿者を対象とした訪問面接調査を行っている。2010年からは東京都健康長寿医療センター研究所、慶應義塾大学医学部と共同で、高齢者の縦断調査SONIC を開始。
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(大阪大学大学院人間科学研究科教授 権藤 恭之)