ドルトムントで黄金時代を築き上げたクロップ photo/Getty Images

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ドルトムントやリヴァプールといった、就任当時は低迷期にあった古豪を見事に蘇らせてきたクロップ。スーパースターがいない中でも強豪と渡り合えるチームを作り上げ、クラブに数々のタイトルをもたらしてきた。

そこでキーとなってきた戦術が、彼の代名詞とも言える「ゲーゲンプレッシング」。このカウンタープレスを駆使したプレイモデルは「ストーミング」とも言われ、ボールを保持したいと考える格上のチームに対して絶大なる効果を発揮する。まさに強者を喰らうための“魔法の杖”なのだ。

「ゲーゲンプレッシング」を植え付けることで、ドルトムントやリヴァプールを欧州トップクラブの地位へ返り咲かせてきたクロップの方法論に迫る。

人を惹きつける能力はまるで名司会者!?

ユルゲン・クロップをはじめて知ったのは2006年。マインツの監督として頭角を現していた時期なのだが、それは後で知ったことで、テレビ画面に映っていたクロップは有能な司会者だった。

メディアの仕事はすでにドイツ放送局『ZDF』のドイツ代表戦コメンテーターとして始めていたという。06年はドイツで開催されていたワールドカップ特番のアナリストだったのだが、見たところ番組を仕切っていたのはクロップだった。長身でサラサラの金髪、弾けるような笑顔はドイツ語がわからない筆者にも極めて印象的だった。好感度抜群。てっきり人気のある司会者だと思っていた。

人を惹きつける明るさ、頭の回転のよさ、周囲の状況と雰囲気を即座に把握できる能力など、監督業にも活かされている。というより、監督としてのパーソナリテイーが司会に活かされていたわけだが。ともあれ、人との距離感をあっという間に縮めてしまう、何の違和感もなく懐に入っていける感じは稀有だと思った。

ゲーゲンプレッシングは強者を倒すためのツール

クロップ監督は「ゲーゲンプレッシング」で知られている。

この守備戦術自体は1980年代の終わりごろからある。87年にACミランの監督になったアリゴ・サッキが導入して有名になった。ただ、当時のミランは強力なメンバーを揃えた強者だったが、クロップ監督の率いたボルシア・ドルトムントはそうではない。バイエルンという圧倒的な強者の君臨するブンデスリーガで、その強者を打ち負かすための有効な方法としてプレッシングを活用したことに大きな意味があった。

「優れたプレイメイカーよりも有効だ」

プレッシングはもともと攻撃のための守備戦術だったことをクロップはよく理解している。敵陣でボールを奪ってしまえば、ボールを持って相手の守備を崩す手間は省けてしまうからだ。

ボールを奪った直後、相手チームは不安定になる。守備と攻撃ではポジショニングが異なるからだ。守備では相手をマークするが、攻撃ではマークから逃れなければならない。ボールを奪った直後はその狭間になる。ゲーゲンプレッシングはその不安定な瞬間を狙い撃ちにするわけだ。攻撃に移ろうとした瞬間にボールを失えば、すでに攻撃のためのポジションをとろうとしているから即座に守備を再構築できない。つまり、敵陣でプレッシングを成功させると、それだけで相手の守備は半壊状態になっている。崩す手間はかなり省ける、崩すための特殊能力者もとくに必要としない。

ボールを保持して攻撃することを前提としている強者に対して、ゲーゲンプレッシングはより効果を発揮する。個々の能力、年俸で大幅に上回っているバイエルンだったが、ドルトムントの奇襲に屈し、2年連続でチャンピオンの座を明け渡した。クロップは従来の価値観とは違う価値を提示した。市場で高価な選手を集めるだけがすべてではない。強者と思われている相手でも倒すことができる。この事実は圧倒的多数の持たざるクラブを大いに勇気づけたに違いない。

戦術の根底にある「雑さ」 質より量で相手を苦しめる

ゲーゲンプレッシングの理屈は単純である。ただ、これを実行するにはハイレベルな体力、走力、集中力が不可欠なのはいうまでもなく、いつプレスしないかの判断、カウンターのカウンターを受けた場合のスクランブル対応など、いくつものハードルがある。したがって、緻密さが内包されているし、規律も要求される。

しかし、クロップの戦術はある種の「雑さ」が根底にあるのだ。

敵陣でボールを奪うには、敵陣にボールがある必要がある。そのため、まず敵陣にボールを入れることが優先されるのでロングボールが多用された。

首尾よく敵陣で奪えばチャンスだが、1回で仕留められず、相手が守備を再構築した場合でも波状攻撃を仕掛け続ける。そもそも一発で仕留めようとは思っていない。クロスボールの連発など、相手が息をつく間もなく攻め続ければ、第二第三のゲーゲンプレッシングが可能なので、ガードの上からでもパンチを打ち続けることが重要なのだ。

簡単にいえば「質より量」。相手の守備を完全に崩そうとするのではなく、崩れるまで攻め続ける。何回ゴール前にボールを入れられるか、数撃てば当たる方式である。

リヴァプールを率いてからは優れた選手も獲得していき、すべての精度が上がった。最終的には質を極めてきたマンチェスター・シティにも劣らない質の高さを身に付けるに至っている。ただ、基本に「雑さ」があるのは変わりなく、「雑の質」を上げ続けた結果だろう。

窮地に追い込むことで選手たちが限界突破

では、クロップ戦術の「雑さ」は何をもたらしたのか。シティとの最後の試合、切磋琢磨してきたグアルディオラ監督との対決はドローだった。シティのプレッシングに対して、ボールを奪われないくらいリヴァプールの質は向上していた。ただ、シティの苛烈なプレスの前に、リヴァプールはそれをパスワークで外して前進することはできていない。そのかわり、GKのロングキックで一気に状況を変えている。

リヴァプールの自陣でのパスワークに対して、シティは地の果てまで追い込むようなプレスをみせていた。フィールドプレイヤー10人をマンマークしていく。しかし、その前がかりな守備をロングキック一発で通過すると、前線は広大なスペースでの2対2になっていた。そしてリヴァプールが2度連続でチャンスを作ると、シティのプレスは鎮静している。技術という質で外し切ったわけではなく、ロングボールに強いダルウィン・ヌニェスに象徴される個のフィジカルでシティをたじろがせていた。

この試合では「偽CB」を使って中盤に数的優位を作ったシティに対して、遠藤航がケビン・デ・ブライネとベルナルド・シウバを監視するという無理難題が丸投げされている。前線のプレス人数を減らしたくないために中盤にしわ寄せが来ていたのだ。CBを1人前に出せば数的不利は解消されるが、そうするとアーリング・ハーランドともう1人のCBが1対1になるリスクがあり、実際にフィルジル・ファン・ダイクがフィールド半面でハーランドと1対1になる場面もあった。

ヌニェス、遠藤、ファン・ダイクへの課題の投げ出され方はいかにも「雑」だ。「そこは君が頑張れ」と丸投げされているに等しい。しかし、それによって彼らのリミッターが外れたようにみえた。全力でやらなければとうてい無理な状況で、持っている能力が全開になっていた。

クロップは自らのサッカーを「ヘヴィ・メタル」に喩えている。それはエネルギーのサッカーだ。とてつもないハードワークが要求されていて、労働環境は真っ黒なブラック企業といっていいかもしれない。しかし、彼の選手たちは嬉々として、熱狂的な情熱とともにそれを実行してきた。

アンフィールドのベンチ前ではクロップの躍動する姿が常に見られた。誰よりも情熱的で、サポーターを煽りに煽る。リミッターを外せと言っているようだった。おそらく選手たちが自らの能力を制限解除して味わった快感を、アンフィールドの人々にも求めているのだろう。

何が起こるかわからないし、何でも起こせる。カオスを誘発し、それで優位性をとる。そのための「雑さ」。それを支える途方もないエネルギー。人との境界線を無造作に飛び越えていける司会者は、選手とファンと町のリミットを越え、拡張し続けたのだ。

文/西部 謙司

※電子マガジンtheWORLD(ザ・ワールド)第294号、6月15日配信の記事より転載