店内の、コーヒーショップがある〝対話フロア〟には各国の人たちが集い、話し込む姿が見られる。世界の若者が集まり、活気のある交流の場となっている。

 小坂さんには『銀座に生きて』(財界研究所刊、2016年発行)という著作がある。多様性の世界の中で、どう生きるか─というテーマの著作である。


『日本に生まれ、米国で育ち』

 同書のサブタイトルは、「日本に生まれ、米国で育ち」である。

 小坂さんは慶應幼稚舎を経て、米国に留学。アリゾナ州のハイスクールを卒業後、米東部に移り、1960年米コルゲート大学を卒業。米ミシガン州立大学大学院を卒業した後、1962年米国の化学会社フィリップスに入社。

 同社と昭和電工(現レゾナック)との合弁事業に携わった後、1985年に家業の小松ストアー社長に就任した。

 小坂さんの趣味は幅広く、小唄、謡、笛、仕舞と日本文化への造詣も深い。また、ゴルフやセイリングなどスポーツにも熱心だ。

 筆者も時折、小坂さんを訪ねて話をさせてもらうが、話題が広く、しかも本質を衝く話をされるので、いつも小坂さんの話に吸い込まれてしまう。知的好奇心を掻き立てられる御仁である。

 ご本人は、若い頃に米国に渡り、「異文化に触れたことが大いに今の仕事に役立っています」と語られる。

「ハイスクール時代は、友達2人と計3人で、米国横断を3回やりました。車を3人で交代して運転して、疲れたら後部座席でゴロンと横になるという感じでね。各州の風土や人情に触れられて楽しかったですね」

 青春時代の思い出を、ユーモアを交えて茶目っ気たっぷりに話をされる小坂さんの姿もまたチャーミングである。


栄光学園の教育

 給湯機器の製造販売でトップのリンナイ社長の内藤弘康さん(1955年=昭和30年生まれ、東大工学部卒)。内藤さんは中学・高校時代、神奈川県鎌倉市にあるミッション系の栄光学園で学んだ。

 栄光学園は、イエズス会が戦後設立した学園として知られる。

 男子校の同校OBの間で今も語り継がれるのが、初代校長を務めたグスタフ・フォス神父(1912―1990)。

「1学年180人の学校でしたが、今でも忘れられないのは、2時限と3時限の合間に、上半身裸になって校庭を走らされたことですね」と内藤さん。

 JR大船駅から、小高い丘にある学園までは徒歩20分の道のり。

「バス乗車は禁止されていましたからね。毎日歩くことで体の鍛錬になるという神父の考えですね」

 厳格な校風だが、「ウルフ先生という副校長がおられたんですが、ウルフ先生はグスタフ校長とはまた違った考えの持ち主。多様性のある学校だと子供心にも感じていましたね」と内藤さん。

 多感な頃に異文化に接することは人生を豊かにしてくれる。