トランプ氏が出廷する日、裁判所には支持者と抗議者が集まった(写真・Bloomberg)

ドナルド・トランプは刑務所入りを避けるために大統領選に出馬している」――。

7月末、アイオワ州共和党の資金集め会合「リンカーンディナー」で、共和党大統領選の対抗馬ウィル・ハード元下院議員がこのように訴えると、大ブーイングが鳴り響いた。だが、その言葉は事実からさほど逸れてはいない。

共和党内支持率でトランプ前大統領は55%まで上昇し、2位のフロリダ州知事ロン・デサンティス候補を約40ポイント差まで引き離した(リアル・クリア・ポリティックス最新世論調査平均値、8月15日時点)。

選挙戦は絶好調だが、しかし司法面では、トランプ氏に対する包囲網が徐々に狭まっている。8月14日、ジョージア州の大統領選投票集計妨害疑惑でトランプ氏は起訴され、同氏の起訴は4件まで積み上がった。

「刑務所入り」リスクが迫る

トランプ氏が首都ワシントンの裁判所に出廷した8月初め、「ロック・ヒム・アップ!(彼を刑務所に入れろ)」とのプラカードを掲げ、叫んでいる反トランプ派が裁判所周辺に集っていた。

2016年、トランプ氏の支持者集会でも、メール問題でFBIの捜査対象となっていたヒラリー・クリントン候補について「ロック・ハー・アップ!(彼女を刑務所に入れろ)」との掛け声で盛り上がりを見せていたが、クリントン氏に意図的な違法行為は見つからず、起訴さえされなかった。

だが、トランプ氏の場合は、すでに起訴されており、大統領選と裁判次第ではあるが、刑務所入りのリスクは目前にまで迫っているといえよう。

トランプ氏の起訴を順番に並べると、

(1)ニューヨーク州における口止め料支払いを巡る記録改ざん疑惑(4月)

(2)機密文書の不正保持・開示疑惑(6〜7月)

(3)議会乱入事件と2020年大統領選を覆そうとした疑惑(8月)

(4)ジョージア州の大統領選投票集計妨害疑惑(8月)

うち(2)と(3)については米司法省ジャック・スミス特別検察官による捜査で、残り2件はニューヨーク州マンハッタン地検とジョージア州フルトン郡地検による捜査だ。

4件の起訴を累積すると最長717年の刑期となりうる。大統領経験者のトランプ氏が一般の刑務所に収監される可能性は極めて低いが、フロリダ州の私邸「マール・ア・ラーゴ」で自宅軟禁となる可能性などは残されている。

大統領は自分を「恩赦」できるのか

いずれの起訴についても、今後、法廷で審理される見通しだが、最終的にトランプ氏の運命を決めるのはアメリカ国民となるかもしれない。なぜなら、仮にトランプ氏が2024年大統領選で勝利し、裁判が続いていた場合、トランプ氏管轄下の司法省は起訴を取り下げ、スミス特別検察官も解任するからだ。

仮にトランプ氏が大統領に就任する前に有罪判決が下されていたら、就任後、トランプ氏は自らに恩赦を与える可能性が高い。


恩赦をめぐっては、ニクソン大統領がウォーターゲート事件で辞任する直前の1974年、司法省法律顧問室が「大統領は自らに恩赦を与えることはできない」との意見書を残している。ただし、憲法修正第25条第3項に基づき、「大統領は職務遂行が困難な場合、一時的に副大統領が大統領代行となって、その際に恩赦を与えることは可能」としている。

同意見書は法的拘束力がない。そのため、もし大統領に就任したトランプ氏が自分に対して恩赦を与えた場合、合憲性が問われ、最高裁判所で争われることになるであろう。

ただし、トランプ氏は選挙キャンペーンで自らの潔白を訴えていたことを国民が支持したとして、恩赦の正当性を訴えるであろう。

なお、ニューヨーク州における口止め料捜査とジョージア州における大統領選投票集計妨害疑惑捜査については、連邦法に基づく捜査ではないことから大統領に恩赦を与える権限はない。

しかし、1973年に司法省が示した「現職大統領を起訴しない」とする方針が地検の捜査に影響するかもしれない。トランプ政権下の司法省はこの方針に基づき、同氏任期中は大統領に対する地検の起訴も阻止することが想定される。その是非については司法で争われること必至だが、最高裁判所はトランプ政権の主張を認める可能性が高い。

もちろん、これらはトランプ氏の大統領当選が前提となるが、いずれの事件も裁判所の判決のタイミングが重要となる。すでにトランプ陣営は判決が大統領選後となるよう、裁判の延期を試みている。

そもそも起訴されて出馬できるのか

トランプ氏は起訴、あるいは有罪判決が下されても大統領選に出馬可能との見方が一般的だ。アメリカ憲法では大統領選出馬の条件は、(1)アメリカで生まれ、(2)35歳以上であり、(3)アメリカに14年以上在住していること、のみとなっている。

しかし、大統領選出馬にはもう1つ条件がある。それは憲法修正第14条第3項で、政府に対する反乱に関与した「役人」は公職に再び就くことを禁じていることだ。

もともと同条項は、南北戦争でアメリカ合衆国(北軍)に対抗したアメリカ連合国(南軍)の人物が戦後、公職に就くのを防ぐことを目的に1868年に憲法に追加された条項だ。

だが、「役人」に大統領も含まれるかは不明だ。

2010年、ジョン・ロバーツ最高裁判所長官は「役人」とは任命された人物で、選挙で選ばれた政治家ではないとの意見を述べている。ただし、大統領の扱いについて具体的には示さなかった。

したがって、仮にトランプ氏がジョージア州の大統領選投票集計妨害疑惑や議会乱入事件、2020年大統領選を覆そうとした疑惑で有罪となった場合でも、政府に対する反乱に関与したと捉えることができるかは不明瞭だ。

選挙で選ばれても、公職に就くことを禁止された人物は最近でも存在する。2021年1月の議会乱入事件で逮捕された「トランプのためのカウボーイズ(C4T)」といった支持団体の共同創設者で、ニューメキシコ州オテロ郡政委員を務めていたクオイ・グリフィン氏だ。

2022年、ニューメキシコ州の裁判所は憲法修正第14条第3項を根拠に、選挙で郡政委員に選ばれたグリフィン氏を解任し公職に就くことを禁じた。

「ミ・ファミリア・ボタ(スペイン語で「我が家は投票」)」と「人々の言論の自由(フリー・スピーチ・フォー・ピープル)」の2つの市民団体は同条項を根拠に2023年7月以降、州務長官がトランプ氏出馬を禁止するよう全国的にロビー活動を展開している。

今後、世論の行方、そして司法で争われる同条項の解釈に注目だ。

「出馬断念で懲役回避」の司法取引も?

トランプ氏が大統領選に勝利する以外で懲役を回避する方法として、当局との司法取引がある。

アメリカの指導者で司法取引の前例がある。それは半世紀前、ニクソン政権で副大統領(1969〜1973年)を務めていたスピロ・アグニュー氏だ。

アグニュー副大統領は、1973年に前職メリーランド州知事時代などの汚職問題が発覚した。副大統領就任後もホワイトハウスに隣接する旧行政府ビルの副大統領執務室や自宅に、メリーランド州の企業幹部は賄賂が入った封筒を送付し続けていたという。

最終的に、罰金および同氏が副大統領を即時辞任することなどと引き換えに、刑務所には入らないといった司法取引に当局とアグニュー氏が合意し、決着した。

トランプ氏は司法で窮地に陥った場合、刑務所入りを回避するため、政府当局と司法取引し、大統領選出馬を断念、あるいは大統領任期中であればアグニュー氏のように辞任することもありえなくもない。

だが、トランプ氏のこれまでの言動からも、少なくとも選挙前、同氏が司法取引に合意する可能性は低いであろう。

アグニュー副大統領の時代と大きく異なるのが、アメリカの深刻な二極化社会だ。

アグニュー氏は自らの潔白を訴えたものの、共和党エスタブリッシュメントは同氏を見捨て、保守系メディアの支持も集めることができなかった。だが、今日は状況が違う。共和党のケビン・マッカーシー下院議長もトランプ氏を擁護。保守系メディアはトランプ氏の強力な味方だ。

トランプ氏は1970年代にはなかったソーシャルメディアを巧みに利用し、共和党の岩盤支持層に直接訴えかけることで、計り知れない影響を及ぼすことが容易となっているのだ。

バイデン大統領に「息子の嫌疑」で反撃

トランプ氏は、司法捜査を民主党バイデン政権の「政治的迫害」「魔女狩り」と訴えることで、共和党内の支持固めに成功している。

さらに追い風が吹き始めているのが、バイデン大統領の息子ハンター氏の嫌疑だ。共和党やトランプ氏は、「おまえだって論法」でハンター氏の司法問題について「大統領は身内には対応が甘い」と訴え、トランプ氏の疑惑から世間の目を逸らそうとしている。

したがって現状、トランプ氏は司法取引をせず、大統領選勝利に自らの将来をかける可能性が高い。つまり、裁判所ではなく、選挙を通じた世論という法廷で裁かれることを狙う。

だが仮に大統領選で敗北し民主党政権が発足すれば、政治生命だけでなく人生そのものが狂うリスクを秘めている。

(渡辺 亮司 : 米州住友商事会社ワシントン事務所 調査部長)