空港MRTの新駅「老街渓」駅開業日の様子。同線には快速(直達車)もあるが延伸開業区間は普通列車のみ乗り入れる(筆者撮影)

7月21日、台湾の空の玄関口である桃園空港を経由して台北と郊外の桃園を結ぶ「空港MRT」(機場線)の新区間が開業した。

今回開業したのは、これまで桃園側の暫定の終点だった環北駅から桃園市南部の都市である中壢の中心部に位置する「老街渓」駅までで、これにより空港と台北を結ぶアクセス手段としての役割に加えて、桃園地区を訪れるビジネス客や観光客の増加、台北と周辺の衛星都市を結ぶ新たな通勤手段としても期待されている。

2017年の開業から2023年で6年、路線延伸によって新たな展開を迎えた空港MRT。その一方で、さまざまな課題も見えてきている。

14回の入札不調乗り越え延伸

空港MRTの路線総延長は51.03kmで、MRT(都市鉄道)の路線としては台湾で最長を誇る。一方、今回延伸開業した区間は約800mで、着工からかかった歳月は約4年。準備からだとさらに長い。なぜ、これだけの時間を要したのだろうか。

延伸区間は2014年から準備がスタート。当初は2018年の開業を目指していたが、最初の開業区間で電気工程を受注したイギリス・インベンシス社の鉄道部門を買収したシーメンス社が入札に参加しないなど、14回の入札不調に頭を抱えさせられることとなった。

最終的に2019年10月、シーメンス社が電気工程を手がけることとなり何とか着工したものの、コロナ禍が遅れに追い打ちをかけた。東南アジアからの土木作業員確保が滞ったほか、設備の搬入や技術者の派遣が遅れたことが工期に大きく影響したのだ。


開業した新駅、老街渓の出入り口。近くに流れる川の生態系がモチーフだ(筆者撮影)

また、信号システムは同じシーメンス社製でも、最初の開業区間は同社が買収したイギリス・インベンシス社による従来の固定閉塞の安全性を強化したCBTC-EPだったのに対し、延長区間は移動式閉塞のCBTC方式を採用したため、整合に時間を要することとなった。信号の切り替え準備や試験は毎日、終電から始発までの約3時間しか行えず、2022年末の開業予定が結果的には2023年7月にずれ込むこととなった。

信号システムの違いは実際の運行にも影響が見られる。開業当日に筆者が試乗したところ、システムの切り替え地点となる環北駅では扉が閉まった後、切り替えに約30秒を要してから発車。環北駅から老街渓駅までの乗車時間が2分程度に過ぎない中で、時間のロスを感じざるをえなかった。


空港MRTの新開業区間へ入線する普通列車(筆者撮影)


延伸区間用に車内に増設された信号システム(OBCU)(筆者撮影)

さらに、快速運転を行う「直達車」の車両は延伸区間用のシステムを搭載しておらず、延伸区間に直通するのは普通列車のみとなっている。これはダイヤの組み方や追い抜き設備も関係していると当局は説明するが、このような複雑な運行体系となったことは、人材確保や電気設備の設計を海外に頼らざるをえない台湾の弱点を露呈する形となった。

さらなる延伸に期待がかかるが…

そんな新区間であるが、老街渓駅からさらに1.2kmほど市街地中心部にある、台湾鉄道の中壢駅までの延伸工事も進んでいる。2028年開業を目指すこの区間が完成すると、台湾鉄道沿線からの空港アクセスが改善され、工業地帯やベッドタウンが広がる北部の都市からの利便性向上が期待される。また、同駅へ延伸する予定のMRTグリーンライン(緑線)との直通も計画しており、これが実現すれば桃園地区をぐるっと一周する環状線状のネットワークが完成することとなる。

しかし、中壢駅の工事は台湾鉄道の地下化事業と重なり、複雑な工程になることが予想されるほか、信号システムこそ同じであるものの、空港MRTと異なり無人運転かつドア位置も異なるグリーンラインとどのようにして直通運転するかなど、課題が多い。市民からは「百年建設」だと揶揄する声も聞かれる。

駅周辺の開発も課題だ。これまでの終点だった環北駅付近は宅地開発が進むが、新たに開業した老街渓駅周辺は昔からの商業地帯ではあるものの衰退しつつあり、駅の隣には高層の商業ビルが建つが、多くの百貨店や映画館が撤退している。台湾のシリコンバレーと呼ばれる新竹などの工業地帯に近いことから日本企業の駐在者向け飲食店も多い地域であるが、コロナ前ほど客足が戻らず商売にならないといった声も聞こえてくる。


老街溪駅周辺は空きテナントが目立つ(筆者撮影)

一方、桃園空港―台北間の利用者数は回復どころか急増しており、空港MRTを運営する桃園メトロの発表によると、1日の平均輸送人員はコロナ前に比べ20.34%伸びた。その背景としては、空港利用客の回復のほかに、政府が2023年7月から全国的に導入した鉄道・バスなどの公共交通機関が乗り放題となる定額定期券「TPASS」の存在がある。


定額定期券「TPASS」の専用改札(筆者撮影)

会社が通勤費を補助するといった概念が普及していない台湾では、公共交通機関の利用にさまざまな割引が用意されている。その一環として、台北地区では以前から地元政府の主導で同様の定期券を1カ月1280元(約5700円)で販売していたが、政府主導で制度を全国に拡大した7月からは価格が1200元(約5400円)に値下げされ、同時に従来は対象外だった空港MRTや桃園市の交通機関も利用可能となった。その結果、運転手不足によるサービス品質の低下が深刻なバス利用者がMRTにシフトしたと考えられる。地元政府も、ラッシュ時間帯に駅へ向かうシャトルバスを整備するなどMRTの利用を後押ししている。


新駅開業日の様子。開業から1カ月間、新区間は運賃無料となった(筆者撮影)

需要が急増する中、大きな課題となっているのが乗務員と車両の不足だ。列車本数は8月から普通車・直達車ともに15分間隔のコロナ前の状況に戻ったものの、朝ラッシュの増発は2本と少ない。これ以上の増発が厳しい状況で、当局は69人の採用を計画している。車両については、コロナ前から普通列車用の車両を直達車に転用するなど余裕のない運用が続いており、増発や今後の延伸に向けて早期の増備が期待されるが、目立った動きがないのが現状である。

空港アクセス以外の需要伸ばせるか

このように、需要が急増する台北エリアと、延伸開業したものの駅周辺の活性化に課題が残る桃園エリアで異なる事情を抱える空港MRTだが、その差は旅客数を見ても明らかだ。直近の統計では、台北駅の1日平均旅客数が3万4000人なのに対し、環北駅は5000人ほどにとどまり、途中駅も中壢寄りでは2000人に満たない駅がほとんどだ。

しかし、桃園側もポテンシャルが低いわけではなく、桃園空港では第3ターミナルの建設に並行して「桃園航空城」と称する、空港を起点とした研究施設や物流拠点を設ける都市開発が進む。また、沿線には世界2位の病床数を誇る病院、長庚醫院やアウトレットなどの商業施設も立地する。一方、台北駅も、駅舎上部で高層ビル「台北ツインタワー」が着工した。


空港MRT沿線では各地で開発が進む。ポテンシャルは高い(台北市政府観光伝播局資料の路線図に筆者加筆・作図)

また、前述の定額乗り放題の定期券「TPASS」も券種拡大が計画されており、台湾版MaaSとも言われるこの制度が空港MRTの末端区間の輸送をどう変えるか期待がかかる。とくに桃園の沿線から台北への通勤は高速鉄道を使う市民が多かった中、「TPASS」の利用により、所要時間では劣るものの、高速鉄道の定期券と比べ通勤費用を3分の1以下に抑えられる空港MRTへのシフトが進むことが期待されている。

観光面でも近年では桃園市政府が主導となり沿線に「横山書法芸術館」や、神奈川の八景島シーパラダイスを手がける横浜八景島による台湾初の都市型水族館「Xpark」が開業するなど開発が進むほか、沿線の野球場にホームグラウンドを置く台湾プロ野球チーム「楽天モンキーズ」と提携し、観戦券がセットになったワンデーパスを発売するなど、公民連携のユニークな施策も見られる。こういった沿線開発が進む中、旅行者にとっても単なる空港アクセス路線としてだけでなく、沿線が旅の目的地となる日はそう遠くないかもしれない。


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(小井関 遼太郎 : 東アジアライター)