『潜入捜査官 松下洸平』(写真:TVer提供)

在京阪の民放キー局、準キー局10社および大手広告代理店が出資する民放公式配信サービスTVer。ドラマやバラエティをはじめとした民放各局の豊富な番組を、見逃し配信およびリアルタイムで配信する。テレビを見ない若者層も取り込み、視聴者数も再生数も右肩上がりの成長を続けている。

そんなTVerが、初のオリジナルドラマ『潜入捜査官 松下洸平』を制作した(9月5日配信)。

各局が制作する連続ドラマは近年増え続け、いまや1クールで40本にも上る飽和状態だ。その一方で有料動画配信プラットフォーム市場を見ると、ParaviとU-NEXTのサービス統合や、Huluとディズニー+のセットプランが登場するなど、シェア争奪戦は新たな局面を迎えている。

オリジナルドラマ制作に乗り出したTVerの狙いはどこにあるのか。豊富な民放番組を無料配信するプラットフォームは、激化するシェア争奪戦をどう戦うのか。今回の新たな取り組みの意味を考えてみる。

サービス開始から右肩上がりで成長

2015年のサービス開始から、右肩上がりで成長を続けるTVer。この5月には、月間再生数3.5億回、月間ユーザー数は2800万MUB(月間ユニークブラウザ数)を記録。前年比1.8倍となり、過去最高を更新した。いまやテレビ番組のヒット指標には、従来の平均世帯視聴率よりも、TVer再生数や番組登録者数が使用されることが多くなっている。

またテレビを持たない若者層も、TVerのアプリを通してテレビ番組を視聴しており、若者層とテレビ番組の接点にもなっている。

配信プラットフォームの観点からTVerを見ると、動画配信プラットフォームの熾烈なシェア争いからは、一線を画するポジションにいる。それは、有料と無料のサービス形態の違いによるところが大きい。

TVerのコンテンツはすべて無料で見ることができるため、サービス特性という点では、同じく無料で視聴できるYouTubeやTikTokに近い。その一方でYouTubeやTikTokのような、一般人も含めて発信できるユーザー投稿型サービスとは異なり、TVerが配信するコンテンツはすべてテレビ局(後述の一部オリジナルを除く)が制作したものであるため、内容面での差別化も図れている。

またTVerは、配信プラットフォームでありながら、テレビ各局からの出向社員が運営に携わっている。現在はスタッフ160人のうち40人ほどがテレビ局と広告代理店からの出向者で、配信プラットフォームとテレビ局、両方の血が流れているのだ。

テレビバラエティ本番中に配信ドラマを撮影

そんなTVerは初のオリジナルドラマ『潜入捜査官 松下洸平』を9月5日から配信する。これまでにオリジナルコンテンツとしては、さらば青春の光・森田哲矢と若槻千夏がMCを務めるトークバラエティ『褒めゴロ試合』、さまざまな業界のトップランナーが先生となり熱い授業を届ける教育番組『TVerで学ぶ!最強の時間割』の2本があった。

そこにドラマというテレビ番組としても花形のコンテンツ制作に乗り出した。その仕掛け人が、TVerの小原一隆氏だ。フジテレビ局員であり、ドラマ『鍵のかかった部屋』『失恋ショコラティエ』や映画『ひるなかの流星』『劇場版ラジエーションハウス』などのプロデューサーを務め、2021年からコンテンツ担当としてTVerに出向している。

小原氏は「在京阪テレビ局の社員が集まるという、なかなかない仕事環境にいるので、全局で共同作業をしてオリジナルドラマが作れないかとずっと考えていて。社内にもそういう雰囲気がありました」と企画立案当初を振り返る。

そして、フジテレビ時代から懇意にしていた松下洸平のマネージャーとの雑談が出発点になり、出向前はライバル同士だった在京5局のプロデューサーなどドラマ制作経験者たちと、TVerでなにができるかアイデアを出し合った。そこから生まれたのが本作だ。

本作は松下洸平が本人役として主演を務める、サスペンスコメディだ。松下は芸能界で活躍する一方で、実はある疑惑解明のために15年前から警視庁の潜入捜査官として芸能界に潜入していたという設定だ。

数々のバラエティ番組も登場

劇中には、日本テレビ『ぐるぐるナインティナイン』、テレビ朝日『あざとくて何が悪いの? 特別編』、TBSテレビ『ラヴィット!』、テレビ東京『緊急SOS!池の水ぜんぶ抜く大作戦』、フジテレビ『全力!脱力タイムズ』といったバラエティ番組が出てくる。


テレビ朝日『あざとくて何が悪いの? 特別編』(写真:TVer提供)

これらは実際に松下本人が、出演しているバラエティ番組だ。ドラマではバラエティの出演シーンを、松下が潜入捜査官としてこれらの番組に出演している設定にして放送する。

ドラマに登場するバラエティ番組の中には、すでにテレビで放送されているものもある。視聴者は松下本人として見ていたはずだが、本配信ドラマの企画を知ると、それが潜入捜査官としての松下洸平だったのかもしれないと、混乱するかもしれない。

そこに視聴者の意識を持っていかせたり、感情を動かしたりすることも小原氏の狙いの1つにあるという。

まさにTVerだから実現できた各テレビ局にとっても初の試みとなる。小原氏は「それぞれのバラエティの世界観を壊さず、きちんと成立させるなかで、ドラマも撮る。どの番組でも初めてのことだったので、双方にとっておもしろくなる接点をどう作っていくかの挑戦でした」と振り返る。


TVerの小原一隆氏(写真:筆者撮影)

ドラマの尺や本数も、プラットフォームでの配信に向けたTVerオリジナル仕様になっている。1話の尺は約20分で、全5話。小原氏が「最近のドラマ視聴傾向を分析すると、長すぎても話数が多すぎてもよくない。気軽にスキマ時間にスマホで見られる尺と本数にこだわりました」と話すように、短尺の動画を好むYouTubeやTikTok世代との親和性も意識しているという。

「テレビ局のドラマとの違いとして、尺を決めなくていいことがあります。尺に合わせる編集をしなくていいのは作りやすかったです。制作側の意図がしっかり伝わる形で仕上がっています」(小原氏)

一方で、ドラマシーンを振り返るとすでに飽和状態でもある。昨今では在京阪のキー局、準キー局だけでなく、在名などローカル局でもドラマ制作を始めており、民放だけでも連続ドラマが毎クール40本以上。それらをすべて見る人はまずいないだろう。

そこにTVerのオリジナルドラマを投入する狙いはどこにあるのか。

小原氏は「テレビ局とドラマで競合するつもりはありません」とテレビ局が出資するTVerの立ち位置とミッションを改めて語る。

バラエティへの導線をつなげる

「TVerのコンテンツで圧倒的に人気があるのがドラマです。ただドラマファンはドラマしか見ないことが多い。そこから、コンテンツ量としてはいちばん豊富なバラエティへの導線を設けることが、本作の1つの狙いです。それは同時に現在放送中のバラエティおよびテレビ局のプロモーションにもなります」

また毎クールの間の端境期に、オリジナルドラマを放送することで、ドラマファンをTVerにつなぎとめておくための施策にもなる。そのためのチャレンジでもある本作は、7月期と10月期のつなぎとなる9月に配信される。

今回の企画は、ドラマに比べて視聴者数が少ないバラエティ番組への導線という、課題に対する施策の1つである。また、オリジナルコンテンツ制作という点では、TVerもしくはテレビ局にメリットがある形を取り、プロモーションとしての意味合いも強い。

ただ、たとえプロモーションが出発点であったとしても、初のオリジナルドラマ制作は、TVerとしても大きな一歩になっただろう。民放127局の懸け橋となりえるTVerには、単局では制作できないテレビ局を横断するコンテンツ作りのポテンシャルがあり、そのノウハウを蓄積しはじめている。

すでにローカル局を含めた多くのテレビ局から本作は注目を集めているが、ここから結果が得られれば、オリジナルドラマの強化につながっていく可能性もある。

たとえば、今回は各局のバラエティが劇中に登場したが、新作ドラマの登場人物たちが枠と局を超えて共演するようなTVer発のドラマができれば、プロモーションだけでなく、話題性も注目度も、大きく跳ね上がることだろう。

小原氏は、本作を通して「おもしろそうだからやってみようという機運がテレビ局に生まれたことに意義があります。5局が制作協力に入ることで、テレビ局の叡智が集まった“奇跡の座組”のドラマになりました」と力を込める。

現在は無料広告動画マーケットで成長を続けるTVerだが、今回のような取り組みを通して、無料、有料問わず全配信プラットフォーム市場のなかでも、大きな存在になっていくことが期待される。

(武井 保之 : ライター)