2019年のコロナ禍前に、日本でショッピングを楽しむ中国人観光客(写真・共同)

「失われた30年」に歯止めがかからない日本で政治、経済、社会のあらゆる領域で「大国」の指標が下落している。明治維新から155年、日本は中国、朝鮮半島など近隣諸国(人)を鏡に「脱亜入欧」と富国強兵による近代化建設を進めたが、敗戦で自滅した。

1980年代には世界第2位の「経済大国」の地位を確立したものの、GDPで中国に抜かれ、間もなくインドにも抜かれる。「大国」の実相が失われる反面、「大国願望」を満たす排外主義は高まる。日本(人)は、「大国」自画像をめぐる「アイデンティティ・クライシス(危機)」の中をさまよっているともいえる状態だ。

「中国人観光客=爆買い」の固定観念

アイデンティティ危機を如実に反映したのが、中国が日本への団体旅行を解禁する決定(2023年8月10日)に関する報道だ。中国人の訪日外国人客全体に占める割合は2019年の新型コロナウイルス禍前には約3割にも上った。観光業界は、団体旅行復活で観光客消費額を2000億円押し上げると予測。メディアも「中国人観光客はもっと増えてほしい」と歓迎する観光地の声を伝えた。

その反面、人手不足による受け入れ体制の不安、訪問客急増に伴う地域住民の生活や自然環境の悪化を意味する「オーバーツーリズム」を警戒する報道もあった。とりわけ中国人観光客の「爆買い」再現を、期待とさげすみが相半ばする報道も目立った。

中国人観光客を「爆買い」と表現するのは、どんな心理が作用しているのだろう。中国人観光客が大型観光バスで店に乗り付け、化粧品や電気製品、ブランド品を争って買う姿を見て、多くのメディアは「遅れた中国(人)」や「成り金」をさげすむ一方で、「優れたニッポン製品」という大国意識をくすぐる心理作用も働いていたと思う。

「中国人お断り」と言わんばかりの記事も出た。ある全国紙は「上質な観光大国」を目指すため、インバウンドで脱中国を進め、欧米などの富裕層を増やすべきと提唱する記事を掲載した。「欧米白人」を上質と持ち上げる視線を裏返せば、中国人やアジア人を「劣った」とみる差別意識が透ける。

「脱中国」の理由として、この記事は中国人観光客の「お行儀の悪さ」を挙げ、「まだ海外旅行の初心者も多く、京都など有名観光地に集中してしまいパンク状態を招いた」と、地元との摩擦を挙げている。

さらに「日本が上質な観光大国をめざすなら『今後集客すべきなのは欧米からの客。日本の観光を、単純にコロナ前の姿に戻してはいけない』」と提言する星野佳路・星野リゾート代表のコメントを付け、主張の拠り所にする。

欧米観光客を「優良」とみなすのは一時代前の幻影だ。欧米のバックパッカーの若者が、夜中に路上で酒を飲んで大騒ぎするのはよく知られている。

欧米客が増えている背景の一つは、円安の進行による「安い日本」がある。一方、北京、上海など大都市の「金持ち観光客」は、お行儀がよい高額消費の「優良顧客」だ。帰属から人を判断する偏見が大新聞の記事を飾る。

中国が豊かになり、中国人の旅行も団体から個人へ移行し、買い物よりも体験型に変化している。そんな変化に気付きながらも中国人観光客を「爆買い」イメージで語るのは、メディアの固定観念からだろう。

中国、朝鮮を鏡に自画像描く

日清戦争の10年前となる1885年、「時事新報」に掲載された「脱亜論」は、「不幸なるは近隣に国あり」として、「遅れた朝鮮清国のごとき国に隣接するは日本の不幸」と書いた。日本(人)は、歴史的思想的に共通の基盤があり、風貌も近似した中国と朝鮮半島を鏡に「自画像」を描いてきた。

近代化とは遅れたアジアを脱し、欧米列強に伍する「世界の一流国」実現を意味した。日清、日露戦争に勝利して「大国化」の目標は実現したが、その後中国大陸とアジア一帯を侵略・植民地化し、アメリカと戦って自滅した。

1945年の敗戦時、多くの日本人は「欧米に負けたのであり中国に敗北したわけではない」と思い込んだはずだ。敗戦直後から始まる「冷戦」は、旧ソ連、中国、北朝鮮など社会主義諸国を敵視することによって、アジア侵略・植民地化の加害責任を直視して反省する契機を失った。

日本政府が、アジア侵略・植民地支配への反省と謝罪を公式に表明した「村山談話」発表(1995年)まで半世紀も要したのだった。

日本(人)は世界第2位の経済大国の地位を2010年に中国に奪われたが、アジア観はほぼそのまま維持してきた。それは中国の団体旅行解禁に関するメディア報道でもわかる。

だが「大国」としての経済・社会指標は下落する一方だ。「失われた30年」の中、1人当たり国内総生産(GDP)は、アジアのシンガポール、香港に抜かれ世界第24位。間もなく韓国、台湾にも抜かれるだろう。

実質賃金はこの30年まったく上昇せず、労働生産性は主要先進国(G7)で最下位。所得格差は拡大・固定化し、階級化が進む。世界経済フォーラムによると、2023年の日本のジェンダーギャップ(性差)指数は、146カ国中125位と前年から9ランクダウンし、2006年の公表開始以来最低だった。質の高い論文ランキングでも1位の中国はもちろん、イランにも抜かれ13位に転落した。

これだけデータを並べれば、日本がもはや「大国」「先進国」の名に値しない「衰退途上国」ないし「中進国」に転落したことは一目瞭然だろう。

日本だけではない。5月に開かれたG7広島サミットは「斜陽クラブ化」したG7に代わって、インド、ブラジルなど新興・途上国である「グローバルサウス」が、存在感と発言力を強める多極化世界秩序が浮き彫りになった。

衰退が顕著になったのは、7年8カ月にわたる最長政権を誇る安倍晋三政権時代と重なる。安倍は選挙のたびに「世界の中心で輝くニッポンを取り戻す」というスローガンを叫び続けた。要するに、大国にふさわしい日本を取り戻そうという号令だった。

慶應義塾大学の片山杜秀教授は、安倍時代の特徴として「日本の国際的な地位低下への不安と、日本の強い存在感への希求」にあったと分析、「日本の国はまだまだ強い」と思いたい民衆の願望を満たしたとみる(「『保守』の現在地 『国体護持』から『中今』へ」(中央公論7月号)。

こうしてみると「大国からの転落を示す」現実と、「大国であり続けたい」願望との乖離と相克が、日本(人)で進む「アイデンティティ危機」の実相だ。それは国内政治のアジア諸国観をめぐる対立の背景にもなっている。

とりわけ、現実と願望の乖離を埋めるうえで、中国脅威論や嫌中・嫌韓論、ヘイトスピーチなどがぜひとも必要になるのである。

願望維持するための「嫌中・嫌韓」

日本(人)にとって「アジア」とは、日本を含む「地理的概念」ではなく、多くの文脈で経済・文化的な概念であり、「後進性」の象徴でもあった。だから中国が日本を追い抜き、韓国が日本を追い上げる現実は、大国願望を阻む邪魔な存在でしかない。

現実を認めれば、「アジアの後進性」を鏡に「大国」としての自画像が崩壊する。メディアを覆う嫌中・嫌韓論は、自画像の崩壊を少しでも緩和する「ショックアブソーバー」(衝撃緩衝材)の役割も果たしている。

嫌中・嫌韓論の裏返しとして、リベラル勢力を含め世論で「親台湾」情緒が高まる。自民党副総裁として台湾を初訪問した麻生太郎氏は2023年8月台北で、台湾有事を念頭に「戦う覚悟」を求める発言をした。「親台湾」世論に乗じたのだと思う。

では日本に「戦う覚悟」はあるのか。官民ともに「覚悟などない」というのが筆者の持論だ。ある世論調査では「自衛隊が米軍とともに中国軍と戦う」に、反対が74.2%と、賛成を大幅に上回った。

多くの日本人にとり、台湾の存在は強大な中国を抑止するための「カード」であろう。日本社会を覆い尽くす「嫌中」「中国脅威」の裏返しであり、台湾は、「ヒーラー(悪玉)中国」の存在あっての「モノ種」といえる。これはアメリカも同じであり、米中衝突の危険を避けるため、有事でもウクライナ戦争同様、アメリカ軍を投入しないはずだ。

日本人がアイデンティティ危機を自覚し、「衰退途上国」にある現実を認めるにはまだ時間がかかる。それでも、日本(人)が自分の「身の丈」を自覚した時、明治維新以来頑なに守ってきたアジア蔑視から脱却し、日本がアジアの一員として国際政治・経済・社会に参画する新時代誕生の契機になる。アイデンティティ危機はその助走だ。

(岡田 充 : ジャーナリスト)