ロコ・ソラーレ藤澤五月が初恋の相手を明かす。小学生の頃に抱いた「将来の夢」とは?
連載『藤澤五月のスキップライフ』
2投目:夢は世界中を巡るCA
カーリング女子日本代表のスキップとして目覚ましい活躍を見せているロコ・ソラーレの藤澤五月。彼女の半生、"思考"に迫る連載『スキップライフ』の2回目は、小学校、中学校時代について振り返る――。
幼い頃の藤澤五月(左)。右は姉。写真:本人提供
初恋の相手は『ドラゴンボール』の孫悟空
小さい頃、どんな子だったの? と聞かれることがありますが、負けず嫌いだった以外は普通の子だったと思っています。
アニメが好きで『美少女戦士セーラームーン』や『キューティーハニー』など、女子に人気のアニメは人並みに見ていましたね。お兄ちゃんと一緒に『ドラゴンボール』も見ていたので、初恋の相手は強くて優しい孫悟空でした。
小学校ではシール交換をしたり、ミサンガを作ったり、女の子らしい遊びもしましたし、男の子ともドッジボールをしたりもしました。
将来の夢は、キャビンアテンダントでした。理由は忘れましたが、幼稚園の頃から海外や英語を喋ることに憧れていて、世界のいろいろなところに行ってみたかったのだと思います。
カーリングも学年が上がるにつれて、最初はハウスに自分の石を入れて、相手の石を打って、というだけだったのですが、徐々に細かいルールも学んでいきました。
小学校の中学年くらいの頃には、お父さんがコーチでお姉ちゃんがスキップを務めるステイゴールドIIというチームに入ってプレー。ポジションはセカンドをやることが多かったですが、リードやサードも経験しました。スイープは、どちらかというと好きではなかったような気がします。
試合も増えていって、ライバルは家族で一番のお父さんから、(本橋)麻里ちゃんがいた「マリリンズ」など少し上のお姉さんチームを筆頭に、杏菜ちゃん(近江谷/フォルティウス)や、元ロコ・ソラーレの(江田)茜ちゃんがいた「grace」というチームになっていきました。どこも強くて、なかなか勝てなかった記憶があります。
小学校6年生でやっと、ジュニアの日本選手権に初出場。すると今度は、「wish」という強いチームに、のちに中部電力でチームメイトになる(市川)美余ちゃんらがいたりして、振り返るとカーリングを通して私の世界は広がっていったんだなと思います。
ただ一方で、私は結構人見知りなので、他のチームの選手と個人的に話すとか、そういうことはできませんでした。みんなと話せるようになったのは、それぞれチームメイトになってからですね。
夏はソフトテニス、冬はカーリングに熱中
中学校に入ると、ソフトテニス部に入りました。
ソフトボールも好きだったので、ソフトボール部とどちらにするか迷ったのですが、もともと家族でやっていたソフトテニスを選びました。
ただ、今でもソフトボールや野球は大好きなのですが、投げるのはあまり得意ではないんです。その後の人生で、プロ野球の始球式のマウンドに立つなんてことがあるのを想像もしてなかったので、「ソフトボール、やっておいてもよかったかな〜」とちょっとだけ思っています(笑)。
もちろん、ソフトテニス部は楽しかったですし、今もたまにやりたくなることがあります。ペアの選手とのコミュニケーションが重要でしたし、自分たちを鼓舞するために、いい時も悪い時もめっちゃ声を出していました。
基本的にはダブルスだったのですが、年に一度くらいシングルスの大会もあって、その時は助けてくれるペアがいないので、全責任が自分にある、負けても言い訳ができない、他人に頼れない、といった楽しくも難しい状況を経験できてよかったなと思います。
学校の成績は、中の中から中の下くらいだったのかな。
ただ、中学校に入ると、しっかり日程の組まれた、成績に直結するテストが始まるじゃないですか。いわば、あの人生初のテストがすごく怖かった印象があります。
結果的にはコツコツ努力するお兄ちゃんと、勉強してなさそうなのに成績のいいお姉ちゃんからの情報を頼りにうまく乗り越えることができたので、それ以来、要領よくテストをこなしてきました。こういうのも「末っ子だなあ、私」と自覚しています。
だから、基本的に中学時代は、夏はソフトテニス部、冬はカーリングに熱中していました。よく「カーリング、飽きないの?」と聞かれますが、私の学生時代には通年のリンクがなくて冬しかカーリングはできなかったので、結果的にはバランスがよかったような気がします。今みたいに通年リンクがいくつもあったら、どうなっていたかは自分でもわかりません。
人生初のカナダ渡航で連発したセリフとは?
初めての渡航は小学生の時でした。
家族旅行でハリウッドのユニバーサル・スタジオに行く予定だったのですが、その前の年の9月11日に同時多発テロ事件があって、アメリカは避けようということになり、結局、カナダに行って、ブリティッシュ・コロンビア州のケロウナという街でカーリングの世界ジュニアを観戦しました。
その時の日本代表は、男子がのちに私がミックスダブルスでペアを組む山口剛史選手のいた南富良野の「Knight's」というチームで、女子が麻里ちゃんの「マリリンズ」だったので、今思えば不思議な巡り合わせです。お母さんが「ガンバレマリリンズ」と書いたでっかい横断幕を用意してスタンドで応援したのですが、ちょっとだけ恥ずかしかったですね。
私はその時もまだCAさんになりたかったので、初の国際線でCAさんを凝視して、搭乗案内の仕草とか、安全マニュアルのセリフとかを覚えようと必死でしたね。
成績は中だったのですが、英語は頑張ろうと思っていたので、ケロウナのカーリングホールにあったカフェで「Can I have orange juice?」を連発していました(笑)。オレンジジュースは美味しかったし、生まれて初めて使う英語が通じてうれしかったのでしょう。オレンジジュースをゴクゴクと飲み、1週間の旅行で5kg太ったのは少し苦い思い出ですが。
ちなみに、CAさんになる夢は身長や視力の問題で、高校進学あたりで絶たれます。
(つづく)
藤澤五月(ふじさわ・さつき)
1991年5月24日生まれ。北海道北見市出身。高校卒業後、中部電力入り。日本選手権4連覇(2011年〜2014年)を果たすも、ソチ五輪出場は叶わなかった。2015年、ロコ・ソラーレに加入。2016年世界選手権で準優勝。2018年平昌五輪で銅メダル、2022年北京五輪で銀メダルを獲得した。趣味はゴルフ。